退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「正反対な『男子の生態』ふたつ」について

2021-04-19 02:23:33 | Weblog
くもりのち晴れ。通り雨も何度か。

ぼくらの非モテ研究会「モテないけど生きてます」を読む。

副題に「苦悩する男たちの当事者研究」。
今ある世の中の「正解」とは相容れない男子の悩みがここに。

「内に秘めた思い」を外に出すことで「解毒」される事実がある模様。
互いにあれこれ話すこととその内容を「記述すること」の重要さをあらためて。

「好きに生きればいい」というシンプルがここまで「抑圧」されるのか。
出来ればもっと各地で「実のあるコミュニケーション」を。

「『自分』がもたらすもの」について思いを致したいもの。
「非モテ」以外の「原因」もあれこれあったりして。

「自分の認識の在り様」がこれほどまでに影響を及ぼすことを知っておこう。
それは「非モテ」であるかどうかに関わらず。

リー・ワネル「透明人間」(’20)を観る。

「自分にとって『意味のある女子』」を好きにしたい男子の「妄想」よ。
「歪んだ認識」をテクノロジーが実現させてしまう内容。

DVも含めた「彼の思い通り」は「妄想」にふけりがちな「男子の姿」を描いて。
「透明」なだけに「普通のストーカー」の数倍気持ち悪く。

「相手」を全く無視したコミュニケーションの「在り様」にふむふむ。
現在では「ありがち」なことだけれど。

「自分の全能感を維持したい」だけのような姿。
ハッキリと描かれないあたりの「モンスターぶり」よ。

何とも後味の悪い内容。
こういう男子が身近にいたらご用心。
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「『恋愛』が自分のもたらす『妄想』であることと『圧倒的なデタラメ』が現実を動かすことあるいは年月の経過にまかせるしかないこと」について

2021-04-18 02:47:36 | Weblog
終日降る雨。緑が目に映える。

「失われた時を求めて9 ソドムとゴモラⅡ」読了。

相変わらずの貴族とそこに集う人々のあれこれ。
今回はシャルリュス男爵の「手練手管」が印象に残る。

何事かが「失われる」と思った瞬間に浮かび上がる「嫉妬」の姿も。
繰り返すがやはり「恋愛は病気」だということで。

「徹底的な愚かさ」を潜り抜けないと「真っ当」にはなれないのか。
いやおそらくそれでも「ダメなはず」で。

マル激を観る。

今回は「トリチウムを含む汚染水の危険性」について。
薄めて放出しても「総量」は変わらないことと同時に。

詳細は控えるが「遺伝子を壊す働き」をもたらす模様。
われわれとその他の生きものに決定的な「被害」をもたらすものであることを覚えておこう。

そもそも「貯えていればいいもの」をなぜ放出するのか。
仮に放出したとしても「総量は同じ」なので被害は同じことに。

「石油タンク」という「前例」のあるものにするという「オルタナティブ」はあるのに。
その当然が出来ていないのだから何とも。

「風評被害」以前に実際に被害をもたらしたのは国と東電。
後者が「加害者」であるにも関わらず「データ」を作っている事実を知ろう。

ここまで「デタラメ」が「通用」する現実たるや。
「立場」の如何を問わず本気で「怒り」を発しないとどうにも。

「よくわかっていないこと」に対しては「最悪の結果」を予想する当然が忘れ去られ。
久方ぶりに「許せん」と思った次第。

番組内で神保哲生も言っていたがマスコミはこの「事実」を知らせないと。
せめてもの「救い」は放出の実行が2年後であること。

さまざまな「インチキの果ての結果」を未来の世代の「負担」にすることなく。
その「倫理」を実行できるかどうかがカギ。

深夜「わたしたちはガイジンじゃない」の再放送を観る。

イッセー尾形の見事な演技が「在日ブラジル人たち」に共感される姿よ。
わが国が彼ら彼女らを「使い捨て」にした現実を覚えておきたいもの。

ここでも再び「許せん」という気持ちが湧き上がり。
その一方で彼ら彼女らを支援する人々もいて。

古典小説も含めていずれも「人であること」が問われている。
AIに「倫理」を指導されなければならないわれわれの存在とは如何に。

あらゆる場所で「劣化」が進行中であることは確か。
怖ろしいのはそれがさらに酷くなることが「確実」であることだったり。

ならば敢えて「劣化の速度」を早めてという「加速主義」が登場するのもわかる一方。
「歴史」を踏まえた上で「今の自分」のみを最優先させない「態度」が望まれるのだが。

この種のことが「現実」になるためには「相当の年月」が必要かも。
更に「どうしようもない」それにお付き合いするしかなさそう。
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「著者の息の長さに驚く古典小説と昔のアメリカの喜劇映画」について

2021-04-17 02:50:15 | Weblog
くもり。夜になって降り出す。

プルースト「失われた時を求めて9 ソドムとゴモラⅡ」を半分くらい読む。

「サロンの愚かさ」がまたここに。
「特定の集団に属すること」がそれらをもたらす模様。

ブリショの「語源に関する話」もたっぷり。
主人公はそれに興味津々だがその他のメンバーは全く興味を示さず。

シャルリュス男爵があらたにモレルを手に入れて。
ヴェルデュラン夫妻にイジメられるサニエットの哀しさよ。

それにしても著者の「息の長いこと」ときたら。
これまた明日読了予定。

チャールズ・バートン「凸凹猛獣狩り」(’49)を観る。

アボット&コステロの喜劇映画。
後者はデニーロを太らせて縮めたようなキャラクター。

彼が息を切らせて喋れなくなるシチュエーションが頻繁に。
アボットはハンフリー・ボガートのような声で「狂言回し」を。

クライド・ビーティという「猛獣使い」と
フランク・バックという「猛獣狩り」は「本物」だったり。

本作で一番面白いギャグはワニに襲われたコステロか。
「手製モーター」でボートを走らせてしまう「ナンセンス」。

ドナルド・クリスプがプロデューサーなのにふむふむ。
「当時の『特撮』ぶり」は今となってはチャチだがその「工夫」が偲ばれる次第。

「ゴリラ」に気に入られるコステロ。
もちろんそれは彼がそれと知らずワナから救ってくれたせいではあるのだけれど。

いったんは追いかけるもののやがて逃げ出すパターンが随所に。
「お決まりの繰り返し」は悪くない。
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「『絶滅』に瀕する生きものたちと『奇妙な現実』を描いた映画」について

2021-04-16 03:00:43 | Weblog
晴れ。今日はおだやか。

九州両生類研究会編「九州・奄美・沖縄の両性爬虫類」を見て読む。

いろんな生きものがいることをあらためて。
ただし「絶滅の危機」は相変わらず。

やはり「人類が害虫」だと思うことしきり。
もう少し「無害」に暮らせよと思うのみ。

なぜわれわれはかくも「愚か」なのか。
「自分の立ち位置」に関係なくそう思わないとどうにも。

田中征爾「メランコリック」(’19)を観る。

何とも「奇妙な雰囲気」がいい感じ。
ただし本作には「ショット」はなく。

「殺人」を「仕事」として淡々とこなす存在にふむふむ。
「東大出」の主人公は就職したこともなくアルバイトばかりで。

銭湯が「掃除しやすいから」という理由で「殺人の場所」になる設定。
その一方で「既得権益」を守りたい者とそうでない者との「対立」など。

プロデューサーでもある皆川暢二は「演技者」としてもなかなか。
主人公の恋人役吉田芽吹の「微妙な魅力」が素敵。

松の湯のオーナー羽田真の落ち着いた雰囲気よ。
ヤクザの矢田政伸も悪くなく。

「殺人のプロ」小寺の浜谷康幸の「不穏さ」を覚えておこう。
「これまで観たことのない俳優陣」が好ましいこと。

「何とも希薄な現実の姿」がここに。
なるほど「メランコリック」になるわけか。
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「何とも素敵な『伴走者ぶり』と『モンスター映画』というジャンルに隠された意味」について

2021-04-15 02:28:22 | Weblog
晴れ。夕方から夜にかけて風強し。

イ・ドンジン「ポン・ジュノ映画術」を読む。

「パラサイト 半地下の家族」(’19)を189シーンに渉って確認する著者よ。
タイトルはどうやら「ヒッチコック 映画術」に倣った模様。

ここまで作品を読み込んでくれる人がいれば監督にとっては「勇気百倍」だろう。
監督自身も気付かない指摘まであるのだからいやはや。

「映画に愛される」とはこういうことなのだと確認した次第。
著者の圧倒的な情熱が凄いと言うよりなく。

彼が引用する監督たちの作品を辛うじて知っているのが「救い」か。
ポン・ジュノ作品が好きな人は是非。

「そういう意味があったのね」と思わされること請け合い。
この「伴走者ぶり」こそがおそらくは「批評の基本」になるはず。

ギャレス・エドワーズ「モンスターズ/地球外生命体」(’10)を観る。

「モンスター」についてはどこかで同じシーンを観た記憶があるのだが詳細は不明。
「メキシコからの移民」を拒否する「アメリカの姿」を描いたものでもあり。

スクープを求める記者と父親に決められた結婚から逃げる娘の「ロードムービー」。
「汚染地帯」の描写とそれらを支える音楽の魅力がなかなか。

「お金をかけないモンスターの描写ぶり」にふむふむ。
そして彼らが「光」に反応する「生きもの」であることも覚えておこう。

怪我している娘の「左手」には「政治的な意味」がありそうで。
「左翼の在り様」を表していると思われ。

ラストでの「モンスター同士の『交歓』」に影響される主人公ふたりの姿など。
ただしそんな風な「確認」がないと「自分の思い」を遂げられないのは微妙。

これが「現実の姿」だというのには納得。
フランク・キャプラ「或る夜の出来事」(’34)を思わせるところもあるのでよろしく。

いかにもな「英国人好み」。
その「屈折ぶり」が伺われる次第。
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「泰西名画の『文脈』を教えてくれる本と『捕虜収容所』を描いた名作あるいは大昔の中国の怪異な物語」について

2021-04-14 02:17:09 | Weblog
雨。風も少々。

中野京子「新・怖い絵」を観て読む。

表紙はジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」。
シェークスピア「ハムレット」を題材にした作品。

留学中の夏目漱石が見て感銘を受けたという「歴史」もあり。
「季節を異にするさまざまな植物」が描かれていて「花言葉」にも意味があるそう。

モデルになったラファエル前派の女性の哀しい人生など。
「美しい土左衛門の姿」を覚えておこう。

フリーダ・カーロ、ミレー、シャガール、ティツィアーノ、モネ、カラヴァッジョ、ゴヤ。
そうした中でかの「シリアルキラー」ジョン・ウェイン・ゲイシーの絵が。

著者が教えてくれるさまざまな「文脈」は実に興味深く。
「見ること+文脈」で「観ること」になるのだと思わされる。

ビリー・ワイルダー「第十七捕虜収容所」(’53)を久方ぶりに再見。

「脱走しようとするより収容所にいる方がマシ」というセフトンのウィリアム・ホールデン。
なぜなら成功してもまた新たな戦場に駆り出されるだけだから。

所長には監督としても有名なオットー・プレミンジャー。
「バッハに似た名前」のいかにもいやらしいシュルツにシグ・ルーマン。

捕虜たちを取り仕切る「ホフィー」にリチャード・エルドマン。
警備役のフランクに「スパイ大作戦」が懐かしいピーター・グレイヴス。

セフトンをスパイだと疑うデュークにネヴィル・ブランド。
「アニマル」ロバート・ストラウスと「シャピロ」ハーヴェイ・レムベックのコンビが愉しく。

「戦争神経症」を患うジョーイのロビンソン・ストーン。
「メイルマン」で独特の声の持ち主ウィリアム・ピアソンなど「キャラクター」の多彩さよ。

失った左足の「隙間」にいろんなものを隠す捕虜の姿も忘れずに。
実に面白い内容だけれど今回観た印象では「もう少し短くしてもよかったのでは」。

柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」を読む。

以前には「普通の現代語訳」で読んだはず。
本書は1919年に出たもので柴田天馬の原文を活かした独特のルビが魅力。

「序」の最後に「大連の寓居に於いて」とあるのが今となっては趣き深く。
あれこれ思い出しつつやはり面白い。

「うだつの上がらなかった人」が集めた怪異な物語の数々を是非。
ただしある程度漢文に接した経験がないと読みにくいかも。
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「笑いのプロとサスペンスのプロの『若書き』」について

2021-04-12 02:13:39 | Weblog
晴れ。おだやか。

萩本欽一「ダメなやつほどダメじゃない 私の履歴書」を読む。

「欽ちゃんの個人的な過去」を知ると同時に。
「設定」さえあればアドリブでどうにでも出来るコメディアンの素敵さを。

彼の妻になる澄子さんの何とも「粋な姿」よ。
踊り子だった彼女は「頑張りなよ」と声を掛けて彼が有名になったら「姿を消す」。

何とも「ドラマティックな現実」がここに。
ある種の人々にはこういう「展開」があるのだと思った次第。

滝大作との「コント談義」は「笑い」に関わる人々は是非知っておくべき内容。
「反射神経」を鍛えるのには「若くないとダメ」いうのも同様に。

「相方」坂上二郎の「凄さ」をあらためて。
彼の存在が「狂気の突っ込み」を生み出したのだとも言えて。

コンビがわずか「5年」だったというのにも驚く。
敢えて「私生活」では疎遠だったことも忘れずに。

アルフレッド・ヒッチコック「暗殺者の家」(’34)を観る。

「The man who knows too much」というタイトルは「知りすぎていた男」(’56)に同じ。
面白いかと言われると微妙だったり。

ドリス・デイが「ケ・セラ・セラ」を歌うリメイクの方がいい出来。
ピーター・ローレの「不穏さ」は悪くないけれど。

本作は監督が考え込み過ぎてしまったような趣き。
かの人にしてこのようなことがあるのだと思うとふむふむ。

「スタイリッシュであること」を意識しすぎて「わかりにくくなる」内容。
「自己中毒」だと思えばいいか。

「物語の経済」をあらためて考えたいもの。
そこに「わかりやすさ」がないといけないという事実。

もっともそうでない作品も魅力的だったりもするので「ややこしいこと」に。
「アマチュアとプロの差」に思いを致すのみ。
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「まだ『狂う』自分と身体が要求すること『ミャンマーの現実とわが国の関わり』あるいは『昔からある同性愛』と早口が魅力な昔の映画」について

2021-04-11 02:31:46 | Weblog
晴れ。まずまずおだやか。

一昨日はちょいと「狂った」模様。

何がそうさせたのかは不明だけれど。
藤井風のせいにしておこう。

もちろん昨日は何度でも繰り返す寝落ちで。
それほど飲んでいなかったはずだが身体が要求することなので仕方なく。

マル激を観る。

今回は「ミャンマーの現実」に関わるわが国の姿について。

「民主化を確認すること」を条件にわれわれの税金が「無償の貸与」に使われたにも関わらず。
それが実は「合法的」に軍関係者の懐に入ることになり。

その金で武器を買い入れられればますます「不服従」をする市民は「困難な状況」に。
ミャンマ―の軍部が「偉そう」でいられるのは「歪んだ憲法」のせいだったり。

その一方で「故郷を逃れた人々」がオンライン上で「政府」を名乗る現状もあり。
「合弁」したわが国の企業の対応が問われることに。

かの国の軍部は決して「一枚岩」ではないものの。
兵士たちは家族を「人質」にされたり酒や麻薬で「踊らされたり」もしていて。

何より歴史を振り返ればずっと「国内の反政府勢力との戦い」を繰り返してきている次第。
それゆえに「国民に銃を向けること」が「普通」である事情にふむふむ。

プルースト「失われた時を求めて 8 ソドムとゴモラⅠ」を読了。

冒頭から秘密裏の「同性愛」が描かれる内容。
著者自身もそうであったようだけれど。

貴族関係やフランソワーズについてもあれこれ。
「ドレフュス事件」は無罪の方向に進み。

アルベルチーヌに対する嫉妬と「レズビアン疑惑」なども。
彼女は今で言えば「どちらもOKなタイプ」だと思ってよさそう。

どういう「セクシャリティー」を持っていようと「自由に暮らせること」が肝要。
昔から「同じ問題があったこと」を知っておこう。

ハワード・ホークス「ヒズ・ガール・フライデー」(’40)を久方ぶりに再見。

ケーリー・グラントとロザリンド・ラッセルの「早口ぶり」を確認したくなって。
それと同時に「新聞記者たちのインチキぶり」も。

圧倒的な「軽快さ」が心地いい。
もっともそのために「田舎者」のラルフ・ベラミーが翻弄されるものの。

市長が選挙で当選するために「病気」のウィリアムスを死刑にしようとする。
彼に殺されたのが「黒人」ゆえ彼ら彼女からの票を得たいがために。

優秀な記者である妻と一度は別れた夫がどうにかして元妻を「復帰」させようとするお話。
ルイのアブナー・ビーバーマンを使って「手練手管」を弄する主人公よ。

それにしても映像が不十分な状態の「商品」をそのまま見せるプライム・ビデオは微妙。
事情は不明だがもう少し何とかならないものか。
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「藤井風にハマること」について

2021-04-09 04:01:17 | Weblog
久方ぶりにハマったのが藤井風。

何度も繰り返し聴いてしまう事態に。
「何なんw」の方言をうまく使った魅力も当然のことながら。

「青春病」の「青春は土止め色」というフレーズにやられ。
「ど根性」という関西方面の言葉を思い出せば「ど・ど・迷路」という解釈も出来。

「優しさ」の歌い上げの微妙に揺れる声よ。
「あの人の木陰で」というあたり。

「優しさに触れるたび私は恥ずかしい」というのもグッド。
16ビートのシンセドラムのリズムの心地よさもあり。

ピアノの腕前、歌声、ヴィジュアルの三拍子揃った存在が素晴らしい。

「帰ろう」では弦楽器の「走る感じ」を加えて。
波のような「バイブ」が基本か。

「旅路」でも「恥ずかしくて」という詞が登場。
ほんの少し「オリジナルラブ」を感じさせる展開。

「もうええわ」の転調の技も。
ここでは声のワイルドさも少々。

いやはや。

愛しちゃったのよ。
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「『無意識の前提』を疑うことの重要さと『人生を感じさせる映画』」について

2021-04-09 02:19:14 | Weblog
晴れ。とはいえ薄雲のかかる空。

キャット・ホームズ
「ミスマッチ 見えないユーザーを排除しない『インクルーシブ』なデザインへ」を読む。

「自分たち」を基準とする何気ないデザインが「排除」を生み出すこと。
ここでも「自分たち=健康な成人男性」だったり。

「困難」を克服するために生まれたものがやがてみんなの役に立つものに。
「障害」が実は「気付き」を生み出すアイデアである「事実」よ。

もちろんすべての人を満足させるデザインなどありはしない。
だがその「不可能性」こそが更なる優れたデザインを生み出す「基」にも。

例えば「曲がるストロー」は「ベッドに横たわる人」に役立ち。
「視力を失った伯爵夫人」が「タイプライター」を生み出した過去など。

「限られた前提」が見失わせるものの多さを思い出そう。
そしてそのことに気付かないでいることの「貧しさ」についても。

ティム・フェーラン「セント・マーティンの小径」(’38)を観る。

名優チャールズ・ロートンがファーストネームそのままの役名でロンドンの大道芸人に扮し。
彼は孤児院育ちでスリのヴィヴィアン・リーの才能を見出すのだがというお話。

「糟糠の妻」の逆バージョンだと思えばいい内容。
もっともやがて有名女優になった彼女は「育ての親の落ちぶれぶり」を心配する。

彼女を女優に導くのが「マイ・フェア・レディ」(’64)のレックス・ハリソン。
その彼が言う「僕はチャールズになりたくない」という台詞が趣き深い。

メア・オニールの「母さん」が主人公に分別を説くのも同様に。
彼が有名女優になった彼女を見送り最後に大道芸人の仲間の元に戻る姿がなかなか。

「芸能の世界」でありがちなパターンか。
大道芸人仲間のラリー・アドラーとタイロン・ガスリーが脇を固めて。

ハーモニカの妙技を見せる俳優の名前を確認できないのが残念。
「人生を感じさせる作品」などいかが。
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