退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「藤井風にハマること」について

2021-04-09 04:01:17 | Weblog
久方ぶりにハマったのが藤井風。

何度も繰り返し聴いてしまう事態に。
「何なんw」の方言をうまく使った魅力も当然のことながら。

「青春病」の「青春は土止め色」というフレーズにやられ。
「ど根性」という関西方面の言葉を思い出せば「ど・ど・迷路」という解釈も出来。

「優しさ」の歌い上げの微妙に揺れる声よ。
「あの人の木陰で」というあたり。

「優しさに触れるたび私は恥ずかしい」というのもグッド。
16ビートのシンセドラムのリズムの心地よさもあり。

ピアノの腕前、歌声、ヴィジュアルの三拍子揃った存在が素晴らしい。

「帰ろう」では弦楽器の「走る感じ」を加えて。
波のような「バイブ」が基本か。

「旅路」でも「恥ずかしくて」という詞が登場。
ほんの少し「オリジナルラブ」を感じさせる展開。

「もうええわ」の転調の技も。
ここでは声のワイルドさも少々。

いやはや。

愛しちゃったのよ。
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「『無意識の前提』を疑うことの重要さと『人生を感じさせる映画』」について

2021-04-09 02:19:14 | Weblog
晴れ。とはいえ薄雲のかかる空。

キャット・ホームズ
「ミスマッチ 見えないユーザーを排除しない『インクルーシブ』なデザインへ」を読む。

「自分たち」を基準とする何気ないデザインが「排除」を生み出すこと。
ここでも「自分たち=健康な成人男性」だったり。

「困難」を克服するために生まれたものがやがてみんなの役に立つものに。
「障害」が実は「気付き」を生み出すアイデアである「事実」よ。

もちろんすべての人を満足させるデザインなどありはしない。
だがその「不可能性」こそが更なる優れたデザインを生み出す「基」にも。

例えば「曲がるストロー」は「ベッドに横たわる人」に役立ち。
「視力を失った伯爵夫人」が「タイプライター」を生み出した過去など。

「限られた前提」が見失わせるものの多さを思い出そう。
そしてそのことに気付かないでいることの「貧しさ」についても。

ティム・フェーラン「セント・マーティンの小径」(’38)を観る。

名優チャールズ・ロートンがファーストネームそのままの役名でロンドンの大道芸人に扮し。
彼は孤児院育ちでスリのヴィヴィアン・リーの才能を見出すのだがというお話。

「糟糠の妻」の逆バージョンだと思えばいい内容。
もっともやがて有名女優になった彼女は「育ての親の落ちぶれぶり」を心配する。

彼女を女優に導くのが「マイ・フェア・レディ」(’64)のレックス・ハリソン。
その彼が言う「僕はチャールズになりたくない」という台詞が趣き深い。

メア・オニールの「母さん」が主人公に分別を説くのも同様に。
彼が有名女優になった彼女を見送り最後に大道芸人の仲間の元に戻る姿がなかなか。

「芸能の世界」でありがちなパターンか。
大道芸人仲間のラリー・アドラーとタイロン・ガスリーが脇を固めて。

ハーモニカの妙技を見せる俳優の名前を確認できないのが残念。
「人生を感じさせる作品」などいかが。
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