退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「笑いのプロとサスペンスのプロの『若書き』」について

2021-04-12 02:13:39 | Weblog
晴れ。おだやか。

萩本欽一「ダメなやつほどダメじゃない 私の履歴書」を読む。

「欽ちゃんの個人的な過去」を知ると同時に。
「設定」さえあればアドリブでどうにでも出来るコメディアンの素敵さを。

彼の妻になる澄子さんの何とも「粋な姿」よ。
踊り子だった彼女は「頑張りなよ」と声を掛けて彼が有名になったら「姿を消す」。

何とも「ドラマティックな現実」がここに。
ある種の人々にはこういう「展開」があるのだと思った次第。

滝大作との「コント談義」は「笑い」に関わる人々は是非知っておくべき内容。
「反射神経」を鍛えるのには「若くないとダメ」いうのも同様に。

「相方」坂上二郎の「凄さ」をあらためて。
彼の存在が「狂気の突っ込み」を生み出したのだとも言えて。

コンビがわずか「5年」だったというのにも驚く。
敢えて「私生活」では疎遠だったことも忘れずに。

アルフレッド・ヒッチコック「暗殺者の家」(’34)を観る。

「The man who knows too much」というタイトルは「知りすぎていた男」(’56)に同じ。
面白いかと言われると微妙だったり。

ドリス・デイが「ケ・セラ・セラ」を歌うリメイクの方がいい出来。
ピーター・ローレの「不穏さ」は悪くないけれど。

本作は監督が考え込み過ぎてしまったような趣き。
かの人にしてこのようなことがあるのだと思うとふむふむ。

「スタイリッシュであること」を意識しすぎて「わかりにくくなる」内容。
「自己中毒」だと思えばいいか。

「物語の経済」をあらためて考えたいもの。
そこに「わかりやすさ」がないといけないという事実。

もっともそうでない作品も魅力的だったりもするので「ややこしいこと」に。
「アマチュアとプロの差」に思いを致すのみ。
コメント
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