退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「何とも素敵な『伴走者ぶり』と『モンスター映画』というジャンルに隠された意味」について

2021-04-15 02:28:22 | Weblog
晴れ。夕方から夜にかけて風強し。

イ・ドンジン「ポン・ジュノ映画術」を読む。

「パラサイト 半地下の家族」(’19)を189シーンに渉って確認する著者よ。
タイトルはどうやら「ヒッチコック 映画術」に倣った模様。

ここまで作品を読み込んでくれる人がいれば監督にとっては「勇気百倍」だろう。
監督自身も気付かない指摘まであるのだからいやはや。

「映画に愛される」とはこういうことなのだと確認した次第。
著者の圧倒的な情熱が凄いと言うよりなく。

彼が引用する監督たちの作品を辛うじて知っているのが「救い」か。
ポン・ジュノ作品が好きな人は是非。

「そういう意味があったのね」と思わされること請け合い。
この「伴走者ぶり」こそがおそらくは「批評の基本」になるはず。

ギャレス・エドワーズ「モンスターズ/地球外生命体」(’10)を観る。

「モンスター」についてはどこかで同じシーンを観た記憶があるのだが詳細は不明。
「メキシコからの移民」を拒否する「アメリカの姿」を描いたものでもあり。

スクープを求める記者と父親に決められた結婚から逃げる娘の「ロードムービー」。
「汚染地帯」の描写とそれらを支える音楽の魅力がなかなか。

「お金をかけないモンスターの描写ぶり」にふむふむ。
そして彼らが「光」に反応する「生きもの」であることも覚えておこう。

怪我している娘の「左手」には「政治的な意味」がありそうで。
「左翼の在り様」を表していると思われ。

ラストでの「モンスター同士の『交歓』」に影響される主人公ふたりの姿など。
ただしそんな風な「確認」がないと「自分の思い」を遂げられないのは微妙。

これが「現実の姿」だというのには納得。
フランク・キャプラ「或る夜の出来事」(’34)を思わせるところもあるのでよろしく。

いかにもな「英国人好み」。
その「屈折ぶり」が伺われる次第。
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