退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『巨乳』と女子の身体が商売になり続けることあるいは『煙草の害』とそれでもやめないこと」について

2018-06-04 02:32:07 | Weblog
晴れ。久方ぶりにNHKの将棋を観る。

安田理央「巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか」を読む。

「巨乳好み」が当然とされる現在に対して
決してそうではなかった過去の歴史を振り返る内容。

原宿にわが国初の巨乳専門ショップがあったことに始まりその後「世界」へ。
江戸時代にはおっぱいそのものが性的対象でなかった事実も。

「グラマー」や「ボイン」あるいは「Dカップ」という言葉が流行した時代もあり。
基本は著者の専門のAVに関する「歴史」。

月亭可朝「嘆きのボイン」を載せておく。
オリジナルは1969(昭和四十四年)。

元々はTV番組「11PM」で大橋巨泉が浅丘雪路の大きな胸を指したのが「ボイン」。
今や三人とも彼岸へ。

懐かしい女優もしくはグラビアアイドルたちの名前にふむふむ。
もっともAVに関しては新しくなればなるほど知らない名前が多く。

「男子の女子に対して感じるエロさ」も時代によってさまざまに。
「女子の裸体」が延々と「商売」になることだけは変わりがない模様。

マル激を観る。

今回はチェーホフではないけれど「煙草の害について」。

「副流煙」が吸っている当人の3倍くらい他人に害を与えることは不勉強にして知らず。
煙草に関する権益は「財務省理財局」が握っていることも同様に。

最近流行している「電子煙草」も基本的に害は変わらないそう。
ニコチンの中毒性はヘロイン並みだとも。

そうか「他人のいる場所」で吸ったらマズイのかと思った次第。
たとえそれが外であっても。

外国の煙草の箱にはショッキングな画像が貼り付けてあるらしい。
それと比べるとわが国のそれは文字だけでいかにも「おだやか」。

そもそも「身体に悪い嗜癖」を「嗜好」と呼ぶのには問題がありそう。
やはり「ニコ中・アル中・活字中」と三拍子揃っているのは「おかしな人」か。

がしかし。

敢えてそれらを止めるつもりはないことをあらためて。
出来る限り「他人への害」を与えないかたちで続けるつもり。

生まれた時からヘソは曲がっているのだから仕方がない。
ただ若者たちには「やめておきなさい」と言うつもり。

その「矛盾」をどう説明するのかって?

「正しさ」に関する敏感さの違いだと思っていただければ結構。
要は「複雑さを生きる」のだということでよろしく。

あとは「実験」なので可能な限り「報告」はできるはず。
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