退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「魅力的な扇動者あるいは機械に操られること」について

2017-09-28 01:50:00 | Weblog
くもり。仕事帰りにちょいと降る。

蓮實重彦「映画時評 2012-2014」をおそらく再読。

個々のシーンを鮮明に覚える「技術」を身に付けた者は
実は誰もが「見ていないこと」を知ることになる。

著者による「視点」は一定の人々に受け継がれて久しく。
映画に関する知識の圧倒的な豊富さも手伝って。

映画を「愛人」としてしか扱ってこなかった者としてはいつも遠巻きに眺めるだけ。

あらためて「見ること」について考えさせられるのみ。
「à Chantal」という夫人への献辞はかつては愛称だったような。

雑誌「話の特集」で「シネマの扇動装置」を知り
「反=日本語論」「表層批評宣言」「物語批判序説」へ。

その後の著作にも結構目を通しているはずだけれど
今調べてみたら未読のものもある模様。

何より肝心の「『ボヴァリー夫人』論」を読んでいないし
ついこの前話題になった「伯爵夫人」も同様。

その文章の魅力を味わうのみで「中身」については覚束ないこと夥しく。
とりあえず「魅力的な扇動者」であることだけは間違いない。

それとは別に。

LINEを使って初めて「長い会話」をする。

キーボードが小さいので打ちにくいこと打ちにくいこと。
ついつい絵文字などを使うことに。

個人的にはもっと「言葉」を連ねたいもののそうもいかず。
「機械の形式」に表現が操られる「事実」を確認した次第。

「事情」により「通話」できなかったこともあり。
もちろんこれが若者ならどのようにでも対応できるのだろう。

いやはや。

「好奇心」はどこまでも旺盛である自信はあるのだとして
「身体」がついていくかどうか。

さらなる「老化」がどのように訪れるのかは「愉しみ」でなくもなく。
まあどうにかなるはず。
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