今日は、美容師の娘が、留袖に半襟をつけに来てくれた。(詳しく言えば、長襦袢のほうにつける作業が大変のようだ。)留袖は、実家の母から借りたのだが、私は着物の事は全くわからない。
普通は、母から子に物事を教えるものであるが、私から娘に教えてやれることは何もなく、娘は別のルートから、様々な知恵と技を教わって身につけている。
私の場合、着物は親から借り、着つけは娘にしてもらうという情けない状況だが、なんと、恵まれた人間なのであろう。自分は何もしないで、親と子の恩恵にあずかっているわけだ。全く幸せ者である。
それにしても、半襟って、半紙を折りたたみ、白い布にアイロンをかけて半紙を挟み、布の片側を着物の襟に縫いつけ、もう片側もまた縫いつけてとめるというような大変な作業。娘が一生懸命やっている間、こちらはのんきにテレビの2時間ドラマを見ていた。
本当に、娘がいてよかったと思う。もしこの娘が居なかったら、着物を持って当日美容院に行くことになるだろうが、前もってこんなにきれいに準備しておけなかったわけである。だいたい、何を持っていったらいいのかも、よくわからない。長女の結婚式の当日は、次女が着付けをしてくれるので、安心である。(次女の結婚式の時はどうなってしまうのかな?)
そういえば、このあいだの日曜日は、ブログを書かなかったけれど、「always三丁目の夕日」の映画を見に行って来た。そこで、六ちゃんの結婚式の場面があって、鈴木オートのお母さん(薬師丸ひろ子)が留袖を着ていた。薬師丸ひろ子は、優しいお母さんとして、なかなかいい味を出している。あんなふうになりたいものだ。留袖というのは、既婚女性が着用する最も格の高い礼装であるので、これをきちんと着るのが一人前の女性の証だ。
次女の留袖の着つけの腕は、客観的な評価によっても、なかなかのものである。ところが、着せられるほうの人間が、その立ち居振る舞いなどがめちゃくちゃであるので、せっかくきれいに着せてもらっても、どうなる事やらという感じだ。
留袖を着るのは一生にそう何回もあるものではないだろうから、身の引きしまる思いである。
式までは、まだ何日もあるのであるが、美容師はとにかく休みがないので、週1回の休みのたびに少しずつ用意をしてくれている。深夜12時過ぎにアパートに帰ったが、明日も仕事。
御苦労様です。
普通は、母から子に物事を教えるものであるが、私から娘に教えてやれることは何もなく、娘は別のルートから、様々な知恵と技を教わって身につけている。
私の場合、着物は親から借り、着つけは娘にしてもらうという情けない状況だが、なんと、恵まれた人間なのであろう。自分は何もしないで、親と子の恩恵にあずかっているわけだ。全く幸せ者である。
それにしても、半襟って、半紙を折りたたみ、白い布にアイロンをかけて半紙を挟み、布の片側を着物の襟に縫いつけ、もう片側もまた縫いつけてとめるというような大変な作業。娘が一生懸命やっている間、こちらはのんきにテレビの2時間ドラマを見ていた。
本当に、娘がいてよかったと思う。もしこの娘が居なかったら、着物を持って当日美容院に行くことになるだろうが、前もってこんなにきれいに準備しておけなかったわけである。だいたい、何を持っていったらいいのかも、よくわからない。長女の結婚式の当日は、次女が着付けをしてくれるので、安心である。(次女の結婚式の時はどうなってしまうのかな?)
そういえば、このあいだの日曜日は、ブログを書かなかったけれど、「always三丁目の夕日」の映画を見に行って来た。そこで、六ちゃんの結婚式の場面があって、鈴木オートのお母さん(薬師丸ひろ子)が留袖を着ていた。薬師丸ひろ子は、優しいお母さんとして、なかなかいい味を出している。あんなふうになりたいものだ。留袖というのは、既婚女性が着用する最も格の高い礼装であるので、これをきちんと着るのが一人前の女性の証だ。
次女の留袖の着つけの腕は、客観的な評価によっても、なかなかのものである。ところが、着せられるほうの人間が、その立ち居振る舞いなどがめちゃくちゃであるので、せっかくきれいに着せてもらっても、どうなる事やらという感じだ。
留袖を着るのは一生にそう何回もあるものではないだろうから、身の引きしまる思いである。
式までは、まだ何日もあるのであるが、美容師はとにかく休みがないので、週1回の休みのたびに少しずつ用意をしてくれている。深夜12時過ぎにアパートに帰ったが、明日も仕事。
御苦労様です。
最近は、普段でも和服姿の女性をみかけます。
だれかれとなく娘さんの技術をお話しておくと、お仕事を依頼されることもあるかもしれませんよ。