山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

初詣

2016-01-17 13:30:44 | 日記
今日は、やっと一人で初詣に行ってきた。いつもは、神社の境内に入ると、そのまま本殿に向かうのだけど、ふと見ると水で手や口を清めるところに、足を運んでいる人たちを見つけた。あれって、参拝する前にやるべきことなのかな?と思い、近づいていくと、手の清め方などの説明が書いてあったので、そのとおりにやってみることにした。口もゆすぐらしいのだが、間違って飲んでしまった。あの水飲める水だったかな?

子供のころからこういう習慣はないので、親からも教わっていないし、自分も教えていない。子供をつれて初詣に行く習慣もなかった。

初詣に行く習慣ができたのは、車を買ってからである。交通安全ということを考えるようになったからだ。それも、自動車学校の教習中に、路上のコースで通った交差点のところにある神社の鳥居が印象的だったので、交通安全はそこの神様に願おうと思っているのである。

今年は、初詣に行くのが遅かったので、それまでは、車に乗るのもなんか落ち着かない感じだった。
お参りを済ませ、やっと交通安全のお守りを買い、それから、なんとなく運が悪そうな年末年始だったので、「厄除け」のお守りを買った。
縁起を担ぎ始めると、それに縛られてしまうというのはよくないけど、何かと考えてしまう。

昨年何事もなかったことを感謝し、今年の家内安全や親族の無事などを祈り、古いお守りと正月飾りを返納してきた。古いお札や破魔矢などを返すという習慣も、最近まで知らなかったことである。今日は家を出るときに準備しておいた。
いつもは、神社に、それ用の大きな囲いがした置き場所があるのだが、なくなっていたので時期が遅すぎたかと思ったら、片隅に小さな場所が存在していたのでほっとした。そこに返している人も結構いた。

これで1段落と思って出口に向かったが、ふと、夫のお守りがなかったことに気付き、また戻って1つ買ってきた。一緒に行けば、勝手に自分用を自分で買うのだが、夫は今日は仕事で行けなかったし、最近老化してきているようなので、お守りがあったほうがよさそうである。これも縁起を担ぐというか、お守り買わなかったから何かが起きたと思いたくない。
そうしたら、今度は、別居している二女や、実家の母の分も必要なのでは?などと思えてきた。しかし、そんなにたくさん買うのもキリがないので、夫の分だけにしておいた。

ここの神社の由来を読むと、その近辺の土地(地名が記載)の鎮守だと書いてあった。私は、そこに住んでいるわけではなく、本当は自宅近くの小さな神社の氏子らしいのである。

だから、本当は、その神社の管轄範囲外なのかな?と思ったりしたけど、きっと別の土地の人でも守ってくれるだろう。近所の神社はそのうち行こう。

おみくじを引いたら「吉」だった。凶でもでるんじゃないかと覚悟していたけど、そうでなくてよかった。

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