山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

岸田吟香・劉生・麗子展(世田谷美術館)2

2014-03-21 16:20:12 | 美術・美術館


なんと、美術館に行ってから2週間近くも経ってしまいました。
前振りを書いてから、本編を書かなくてはと思いつつ、何度か書き始めてみたものの、どうもうまく書けないまま時が経つばかりでした。

それは、自分の言葉で展示内容について書こうとすると、内容に間違いがあってはならないと思い、事実を調べなくてはならなくなる。
少し調べてみると、膨大な情報。調べるのも大変。
そのなかから、重要な部分や、自分が書きたい部分を簡潔にまとめる力量もなし。→挫折。
という状況です。

そうこうするうちに、だんだん記憶も薄れてきたので、それは却って好都合かもしれない。
印象に残っていることだけを、適当に書いてしまおう。

今回の展示では、吟香という人のインパクトが強かった。
何でもやってしまう人だ。
記憶に強いのは、目を病んで、横浜のヘボンを訪れ、目を治してもらうとともに、和英辞書の編纂を手伝うことになったこと。吟香にとって、ヘボンとの出会いはとても大きなものであったのだろうと思う。
その後、新聞記者などもし、ジャーナリストとして活躍するが、西洋医学の目薬の効果を知り、日本で初の点眼薬「精水」を発売する。それまでは、目の薬と言えば塗り薬だったようだが、ガラスの瓶に入った液体の目薬をつくった。また、この看板や広告の図案も自分で手掛け、絵も書いている。この目薬の売り込みも盛んであり、資生堂などとともに新聞や雑誌にも掲載されていた。
展示物には、吟香の書いた新聞記事、書物、原稿、手紙、それから掛け軸となった絵や書道、当時の広告など様々であった。
吟香の作品もあれば、吟香に関するもの、当時の関連する物事(偽物の精水等)もあった。とにかく多才でやり手の人だったという印象だ。



ところで、私にとっては「精水」に興味をそそられた。いったい成分はどういうものだったのだろうか?展示の中ではよくわからなかったので、自分で調べてみたが、当時の目薬の成分としては「硫酸亜鉛水和物」というものだったようだ。効果としては、おだやかな収れん作用と抗炎効果があり、目の炎症を抑えるものだったと思われる。現在の目薬の成分にもなっているようだ。
吟香が実際、どういう目の病を患っていたのかはよくわからないし、新しい眼薬によって全快したのかもわからないが、とにかく日本古来の目薬に比べると効果があったようだ。
吟香は、後に盲学校も創立していて、目の病に貢献している。



次に、その息子岸田劉生だ。吟香は子供が多く、14人もいて、そのうちの9番目だった。
父吟香は72歳で亡くなっているが、そのとき劉生はまだ14歳くらいだったことになる。
絵の才能は父親譲りであろう。そして、絵の道に進む。劉生と交流した人たちに関する展示もあった。
才能のある人々は、その分野のそういう人同士の交流があるものだと思った。
岸田劉生の画風は以前から知ってはいたので、特に驚くことはなかったが、少女の像などは、以前は顔にばかり印象が強かったものの、その着物の模様や質感がとてもリアルで、他の見物者も注目していたようだった。

麗子像は、劉生が溺愛していた長女であるが、不気味な感じがするものなどは、わざと童女のおかしな雰囲気をかもし出させたのかもしれないと感じる作品があった。
日本画はあまり上手だとは思えなかった。
岸田劉生は、独創的で破格な画家と言われているが、その点はあまりよくわからない。海外渡航の途中で客死したとのことで、38歳の若さだった。死因はわからず。

麗子は、父親の愛情をあふれんばかりに受けて成長する。父親の絵のモデルになっているので、その愛されぶりもよくわかるが、父から娘へ旅先から送られた手紙なども展示されていた。小さな子どもにもわかるように絵入りで出来事などが描かれており興味深い。
一緒に絵を描いたりもしたようだ。

父が亡くなったときは15歳であり、その後父の旧友だった武者小路実篤に師事する。
絵も描き、また役者として舞台にも立った。父劉生の死後、劇団での、母と弟と共に写った写真なども展示されていた。

麗子が子どもころに描いたというスケッチブックの絵も展示されていた。岸田劉生の子供が描いた絵でなければ、美術館に展示されることもなさそうだが、確かに、女性の着物姿の絵などが事細かく描かれていて、6歳の子供が描くには、かなりのものである。
やはり画家の娘だな~と思うし、父親の存在は強い。親が子供におよぼす影響の強さを感じる。
麗子は、亡き父の日記を精読し、岸田劉生の評伝を書いたそうだ。それを読んでみたいものだと思った。
そして、麗子も48歳という短い生涯を終えていた。

親子3代、なかなか見ごたえのある展示だった。


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オートマ限定解除にかかった費用と時間

2014-03-21 15:24:15 | 車・運転・道路・駐車場2014
さっき、部屋の掃除をしていたら、机の下からすすけたレシートの束がみつかった。
さっそくゴミ箱に捨てようと思って、一応内容を見てみると、自動車学校でオートマ限定解除をしたときの教習料金のレシートだった。
記念に残しておくつもりだったようだ。
しかし、もう茶色く変色していて保存するのもどうかな?という感じなので、とにかく中身を消えないものに転記しておこうと思いついた。

そういえば、オートマ限定解除にはいくらくらいかったのか、レシートの束はあるものの、確認したこともなかった。家計簿もつけていないのでまるで把握していなかった。

私がオートマ限定を解除したのは、2009年の12月のことだった。
オートマの運転免許を取ったのが同じ年の6月なので、それから半年後くらいである。
クルマは、10月に買ったばかりで100kmくらいしか走っていなかった。
だから、運転の再確認にもなったのでよかったと思う。


さて、費用であるが、(2009年 今から4~5年前なので今は変更されているかも)
入学料 1000円
卒業検定料 5000円
卒業証書交付料 6000円
技能料(4時間分の教習料)18000円   
で、合計30000円を先ず払った。

最低これだけはかかるということだ。
実際には、これでは済まず、私の場合あと6時間追加料金を払っている。
1時間4500円×6時間で27000円だ。

最初の4時間分を使い果たした段階で、少なくともあと3回分の教習が必要であることがわかり3回分13500円を申し込んだが、その後もやはり足りなくなり、そのたびに1回分ずつ3回追加料金を払ったことが、レシートでわかった。

それで、合計は57000円ということになる。漠然と10万近くかかったのでは?などと思っていたので、そうでもなくてよかった。

それにしても、オートマ限定を解除するおばさんなんかあんまりいない。しかも、運転が得意なタイプでもないし、家にマニュアル車があるわけでもないので、自動車学校としてはわけのわからない生徒である。
いったい何しに来たの?ってなもんだ。
「下手をすると、もう一度免許を取り直すくらい費用がかかる場合もありますよ」などとMTの教習を始めた時におどされ(?)た。

最初に4回で設定されているものの、それで済む人はまれであり、倍くらいかかるのは普通だ、とは聞いていたが、自分は計10回かかったことがわかった。

ところで、オートマ限定解除したものの、その後マニュアル車を運転することもないし、しかも、路上でマニュアル車を運転したことは皆無なのだから、運転なんかできるわけもない。(オートマ限定解除は、自動車学校の所内コースの中だけでやるので、道路を走行する練習はないのだ。)教習した運転方法も、すっかり忘れてしまった。

免許証の表記はAT限定ではなくなったものの、MT車の運転は絶対不可能である。

まあ、必要とあれば、ペーパードライバー教習を数回受ければ大丈夫だろうとは思う。運転するとすれば、私の場合、スポーツカーではなく、軽トラックあたりだろう。
けど、たぶんそういう機会もないでしょう。


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アタマが飽和状態

2014-03-21 01:04:10 | 日記


とりあえず、きれいな写真を載せておこう。

先週行った神代植物公園の梅園で撮ったものです。
神代植物公園には何度も行っていますが、梅園があることは、今回初めて知りました。

さて、今日も残業を目いっぱいやりました。
それで、もう脳みそが飽和状態となっています。

帰宅後は、もう何も考えられなくなっており、どうもブログを書くことができません。

まず、夕飯を手抜きで作り食べて、それからテレビを見て、パソコンで人のブログを読んだり
ニュースを読んだりしました。

テレビは、芸能人が俳句を読むのをやっていて面白かったです。
この番組は、先週も夕飯を食べながら見たけど、たまたまテレビをつけるとやっていました。
私の場合、テレビは行きあたりばったりです。
だから、番組名がわかりませんし、どこの局かもわかりません。

その後、新聞のテレビ版を見て、サリン事件のことをやるようだったので、
9時からNHKでニュースを出したら、国会で予算が決まったとかで
安倍総理の記者会見が始まりました。
最近、自民党のやりたい放題ぶりは、ちょっとどうかとは思いますが、
安倍総理の話を聴いていたら、安倍総理ってすごいなあと感心しました。
原稿も見ないで、理路整然とわかりやすく次から次に話すではないですか。
ニュースキャスターみたいに分かりやすいです。
話の内容がうますぎる(国民騙されているかも?)という感がないではありませんが、
政治家も頑張って国を運営してくれてるよな、と思わずにはいられなくなるようなものです。

表向き、政治がうまくいっているような雰囲気は、まあ、良しとするべきなんだろうなと思いました。

しかし、記者の質問等が始まると、だんだん退屈してきて、テレビを見るのはやめにしました。

サリン事件(1995年3月20日)で、今もなお後遺症に悩まされている人についての放送は、
その後にやったかどうかわからないままとなりました。

その後は、ブログを書こうと思ったけど疲れて寝てしまいました。
目を覚ましたのが12時。
再びパソコンに向かいましたが、五十肩が痛い。
お風呂に入れば少しはよくなるかと思って風呂に入りましたが、治らず。

それでも、とりあえず、なんか書いとこうと頑張っています。

疲れとか、身体の痛みとか、人間には限界というものがあって、
頑張ればなんでもできるというのはウソです。
そうなると、頑張ろうにも頑張れません。

五十肩は、寝れば治るのではなく、寝ると痛くなるので、困ります。
アタマのほうは、仕事で飽和状態になってましたが、寝てから少し回復しました。
寝てる間にデフラグされたって感じかな。

それにしても、断片化したどうでもいい情報がばらまかれた脳みそで、
ろくな情報も入っていないのが、困りものです。

空き領域に何かまともなものを入れる気力もなく、五十肩の痛みに耐えながら、今夜は再び寝ることにします。



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