山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

人は外見でわかる?

2014-03-15 15:36:15 | 日記
理化学研究所の小保方さんらが発表したSTAP細胞の論文に重大な過誤があったことがあきらかとなった。画像の改ざんや、他の論文から無断引用した部分などが発見されたりし、内容にも信頼性が持てなくなっている。

これは全く驚くことであり、残念なことである。世界に対しては日本の恥ともなりそうだ。

ところで、小保方さんがSTAP細胞を作ることに成功したというニュースが発表されたときは、全く輝かしいニュースだった。しかも、あんなにかわいくてきれいな人が、そのような研究に年月をかけて没頭し、成功させたというのが意外でもあり、驚くことだったのだ。そう、日本人の科学者がSTAP細胞を作ることに成功しても驚かないと思うが、あのような化粧ばっちりの若い女性が、そういう実験を成功させたということが、なによりの驚きであった。

近頃は、科学者も変わったのだろう。いろんなタイプの人がいてもおかしくないのだろう。
「科学者というものは、研究に没頭して化粧もしないで身なりにも気を使わないでいるはず」という固定観念は捨てなくてはならないのだ。何でもできる人は、身だしなみにも気を使い、自分の容姿に対する美も追求し、ファッションにも力を入れ、それとともに毎日の実験にも心血を注ぐことができるわけだ。優秀な人は優秀なのだろう。いろんなことができる人間もいるのだろう。

私はそのように思おうと、自分の脳に、過去の固定観念を振り払うようにたたきこんだのであった。

だが、今となっては、「やっぱりあの違和感は本当だったか」と思わずにはいられないのだ。
つまり、外見があんなにかわいい科学者はいないはずだ。タイプが違うのだ。
スカートをはいてかっぽう着を着て、まつ毛を付けたりしているぶりっ子のような科学者はいないのだ。
「何を重視する人間なのか」というのは、おおかた外見でわかるものだ。

私は理系ではないけど、高校から理系大学に進んだ女子の中で、しかも偏差値の高い人たちというのは、どの人も皆、美のセンスとファッションのセンスはなかった。あったかもしれないが、それを自分の容姿に反映させている人は皆無だった。自然体だった。
追求するもの、関心を持つものが根本的に違っているのだ。

最初にSTAP細胞の成功のニュースが流れたときに、よく内容を見ていなかった私は、そこに写る小保方さんの映像をみて、「どこかの化粧品会社で、細胞から肌が若返る方法を発見したらしい」などと思ってしまったほどだった。

しかし、ノーベル賞にも匹敵する成功、なんて大騒ぎして、かわいい小保方さんの実験姿をアップで写しまくったマスコミも何だったんだろう。

いまとなっては、あの映像を映されるたびに、なんか腹立しくなってきてしまうのだ。

小保方さんに、論文に対する常識がなかったということだが、独立行政法人理化学研究所というのは、何なんだろうか?
もともと国の機関であり、多大な予算もつけられているのだそうだ。よほど優秀な人たちが働いているのかと思うが、それならどうしてこんなお粗末な出来事が起きてしまうんだろう?
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“岸田吟香・劉生・麗子”展(世田谷美術館)1

2014-03-15 10:55:48 | 美術・美術館


最近は、砧公園近辺のことを書いているのですが、本来の目的は、世田谷美術館でした。

企画展の表題は、
岸田吟香・劉生・麗子  知られざる精神の系譜
時代を越えて個を貫いた親子三代の物語

というものでした。

実を言えば、岸田親子三代についての展示内容があまりに内容豊富で、それについて書くのが大変だな~と思い、ついつい後回しになってしまいました。
しかし、もう1週間も経ってしまい、ますます記憶が薄れるばかりなので、とりあえずなんか書いておこうと思います。



岸田劉生が娘を描いた「麗子」像の絵は有名です。正直な感想を言えば、この女の子の絵姿は、ちょっと不気味な感じでもあるので、特に好きな画家でもありません。
しかし、今回はどうしても見ておこうと思いました。

というのは、もう34~35年前になりますが、学生時代に「岸田劉生展」というのを見に行ったことがあったのです。その時も、麗子の絵と自画像などを見た覚えがあります。
あれは、たぶん美学の先生が、展覧会があることを教えてくれたのだと思います。東京に出てきたばかりの私は、先生からそういう紹介があると、のがさず見ようと思って、わけもわからず見に行ったのですね。故郷のほうでは絵画展なんかほとんどないのですから、そんな経験も滅多になかったし、何でも吸収したいと思っていました。

美学の授業は選択科目だったと思いますが、たぶん半年間のものだったと思います。その当時見た日本人の画家の展覧会は、この岸田劉生展と、小磯良平展だったかもしれません。
岸田劉生はどこで見たんだろうか?と今となっては記憶も記録もありませんが、ネットで探したところ、1979年が没後50周年で、東京国立近代美術館で展覧会をやったらしき記載をみつけました。たぶんそれかもしれません。

そして、あの当時見た絵を、もう一度見てみたいと思ったのが、今回でかけた動機でした。
そして、今回は岸田劉生のみならず、その父と娘についても知るチャンスでした。

ところで、今回も何かの何周年なのかと調べてみると、麗子が1914年生まれで、ちょうど生誕100年に当たるようです。今気がつきました。

35年前に、岸田劉生展を見たときに、絵のモデルになっている麗子という人が、どういう人であるのかは、現実的に考えたこともありませんでした。今思えば岸田麗子は1962年に48歳で既に亡くなっていたのでした。岸田劉生は大正時代の人で、1929年に38歳という若さで亡くなっています。そんなことも全然知りませんでした。(ちなみに、岸田麗子さんには3人の子供があり、そのうちの1人は岸田夏子さんといい、画家をしているようです。) 
劉生の生い立ちや、劉生の偉大な父親、吟香についても、以前は全く知りませんでした。

最近の展覧会は絵のみならず、その画家の人間像に焦点があてられるようになってきているような気がします。

今回は、岸田劉生の父吟香と娘麗子について知ることができ、それは、私自身が今、親と子を持つ年齢にもなり、親子3代を考えるのにちょうどよい機会でもありました。

このあいだ、同じ世田谷区の文学館では、幸田文展をやっており、こちらも幸田露伴と幸田文という親子のつながりが取り上げられていました。

親が子供に及ぼす影響、親を見て育つ子、親から子に引き継ぐもの、親が作った土台、等々いろいろと考えさせられる展示でした。

ここまでは、前置きです。長くなってしまったので、内容については、次の記事に書きます。
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