山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

自転車のこと

2008-07-13 23:08:05 | 日記
また、公営住宅の自治会の自転車の話です。
名前もなく、防犯登録もなく、鍵もかかっていない持ち主不明の自転車が2~3ヶ月前からあるということで、役員のAさんがさわいでいました。
それで、その持ち主を探していたわけですが、役員のBさんが、おそらくCさんの息子さんのものではないかと私に言っていたので、持ち主の見当がついたのはよかったと思い、駐輪場から引っ張り出したり、位置を変えたりしないように、私が役員のAさんに言うと、役員Aさんが、それをCさんに確かめたのだそうです。
私はそのことを関係ないDさんから聞いたのですが、Cさんが役員のAさんから「お宅のですか?」と聞かれて、気分を悪くしていたというのです。何でウチのだなんて言われなきゃなんないのよ、と言うことらしいです。
それで、誰がCさんの自転車だなどと言い出したんだとか、いうことになって、Cさんや私が非難されているらしい状況です。
そして、人に濡れ衣を着せるようなら、自転車登録をして、駐輪場に置くようにすれば持ち主がわかるだろうなどと考える人も出てきているようです。

しかし、登録をしたりステッカーを貼ったり、置き場所を1台1台確定したりする必要はないとすでに役員会でも決めたことであり、そのようなことを年度の途中で言い出されても、新たに役員会を開いたり総会を開いたりしなければならず、私はする気はありません。開けばいいでしょうなどと簡単に言う人もいますが、日程を決めたり、都合を聞いたりするのも容易なことではありません。
そして、もともとたった一人の人が言い出したことだからです。
その人が大騒ぎして、他人の自転車を移動したりするようになってから、とかく自転車に関する騒動がおきるようになってしまったのです。
実際、その自転車は全然違う駐輪場にあったものを、ある住人が自分の自転車のそばにあるのが気に入らず、別の棟の駐輪場に移動させてきたのだということが最終的に判明しました。

しかし、住民も住民で、「お宅のですか?」と聞かれただけで、怒るというのもどうなんでしょうか?聞き方が悪かったということもあるかとは思いますが、確かめたいから聞いているだけなのですから、そのようなことで気分を害されては何も聞けない状況になります。

本当に色々と難しいなあと思うばかりです。
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賄賂

2008-07-13 16:25:13 | 日記
賄賂のことが、話題になっているようです。
くわしいことはわかりませんが、
教師と学生の賄賂も、よく問題になることです。

日本語教師をしていたとき、
よく問題になるのは、
学生が上のレベルのクラスに上がりたいのですが、
テストの成績が非常に悪かったり、
出席率が悪かったり、
宿題の提出率が悪かったりして、
どうにもこの人は上にはあげられない、ということがありました。

そういうときに、
あなたは上のクラスは無理だから
落第です、
もう一回同じレベルのクラスをやり直してください
と伝えました。

そうすると、それらの学生は、
今度はちゃんと真面目にやるから、なんとか上のクラスに上げてくれと
懇願しました。

あるとき、そういう話の面談をしていたときに
ある韓国人の学生が、やはり上のクラスに上げてくれと熱心に頼んできました。
そのひとは、学生とは言っても、すでに何年も社会人をしていた人でした。
すでに社会人になっている年齢の人というのは、
語学をするのにはなかなか吸収が悪いという傾向もありました。
同時に、熱意もなかったので、成績も悪いのは当然です。

しかし、こういう人は若い学生とは違って
人間くさい交渉術のようなものを持っているわけです。

そのひとは、そのとき、韓国海苔の大きな箱入りを持ってきていて、
話の最後にそれを差し出しました。
そして、この海苔は今回の進級の話とはなんら関係ありません
と言いました。
単なる先生への土産なので食べてくださいとのことでした。

教師経験の少ない私は、ああそうですか、進級のお願いとは関係なんですね
と思って、それをありがたく受け取りました。

それで、そのひとは当然「落第」を覆されたわけではありませんでした。

今になって思うと、
あれはやっぱり進級のための賄賂だったのでしょう。
本当は受取ってはならない場面だったと思います。

賄賂を受取っておきながら、落第させるとは
なんだか、さらに学生をだましているようですが、
そのときは、本当に言葉をそのまま受取っていました。

幸い、その後何ら問題はおきず、
海苔は我が家の食卓で腹の中に納まってしまいました。

思えば、確かそのときは
教務で「見せかけの進級」というものが考えられていました。
表向きは中級だが、実は学ぶことは初中級であるクラスを作ろう
というものです。
ラベルは中級、レベルは初中級ってものです。

実力のない学生があまりにも多く、そういう人を集めて1つのクラスを
作るとかいうことでした。
その人もそのクラスに入ったようなので、
進級できたと思ったかもしれませんが、
進級してみてびっくりということもあったかもしれません。

教師としての常識や心構え
そういうのは、今思えば、私はあまりにも無知でした。
今考えると、おそろしいことです。
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思い

2008-07-13 16:01:20 | 日記
暇をもてあましています。

なんとなく、遠くの空で雷のような、音のようなものがしています。
それが、はっきりと雷の音になって
そして、ザーっと、
大雨が降ってくればいいのに
と思います。

なんで、雨がふればいいのか・・・
暇をもてあましているからです。
雨が降れば、雨を見ることができるでしょう。

暇だから、人のブログを読んだりしています。
いつも読んでるのがあんまり更新されていないので、
新しいのを物色しています。
でも、なかなか好きなブログに出会いません。

何か、面白いブログはないかな~

最近みつけたブログに
ものすごくいっぱい文章を書いているのをみつけました。
そのひとは、書くことがいっぱいあるのです。
内面から湧きでるたくさんのものがあって
それを記述しないといられないのです。

それは、うらやましいです。
それをお気に入りに登録し、読もうとしているのですが、
何度読んでも読み続けられません。
字が小さすぎるというのもあるのですが、
内容もなかなか把握することができません。

それでも、その人が自分の内面から湧き出るものを
そんなにも書き連ねているのは
すごいと思います。

人が読んでつまらなかろうと
理解できなかろうと
そんなことはどうでもいい。
それだけ自分自身がこだわることのできるものがあれば
それでいい。

今の私にはそれがありません。
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エミリー・ウングワレー展

2008-07-13 01:05:12 | 美術・美術館
六本木、国立新美術館に“エミリー・ウングワレー展”を見に行ってきました。
友人が招待券を手に入れたおかげですが、以前フェルメール展に行ったときに、予告のチラシを見て、ちょっと興味を持っていたものでした。

エミリー・ウングワレーという人は、オーストラリアのアボリジニです。その作風は、アボリジニ独特のものから発生していて、種やイモの蔓、大地などを描いていて、興味深いものでした。モネの点描に似た要素もあるとのことですが、やはりこのアボリジニとしての個性は強烈です。単純な点や線からなるデザインのような作品は、なんともいえない不思議な魅力がありました。その自然に発生したような点や線というものは、実際、自然界に自然に発生しているデザインの再現に他ならないのかもしれません。
作品が自然界そのものだとすると、人間も画家もまた自然界そのもののようです。
そして、人間が大地に生まれ、大地と共に生き、そして死んで大地に返る、ということを強く感じさせられました。この画家はほんとうにおばあさんになってからの数年間でたくさんの作品を創作し、そして、亡くなる間際まで作品を描いていたそうです。そうして、天寿を全うしたのでした。この人は、一生涯大地ととともに生活していた人でした。
この人に限らず、人間とは、本来そういうもののはずではないのだろうか、と思いました。
そうしたら、死ぬこと、地に返ることは決して恐ろしいことではなく、ごく自然なことに思えてきました。
都会に棲む人間には、大地とともに生きて大地に返るという感覚はなかなか持つことができませんが、きっと同じことなんだろうと思います。
アボリジニにはアボリジニの暮らし方、東京人には東京人の暮らし方があります。
アボリジニに自分が自然界の一部であることを実感できるのなら、都会人でも都会人なりに何かを感じることができるはずだと思いました。
「何かを感じることができるはず」
そういう感覚を研ぎ澄ましてみたいものだと思いました。

それを実感できたら、もっと平和に自然に生涯を送れるのではないかと思いました。
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過去の経験に感謝

2008-07-13 00:29:10 | 日記
最初に就職した会社が日割り計算で退職させているような、せこい会社だと書いたわけですが、ふと、考えてみました。
今の会社は、その会社より規模は小さいですが、いい会社のようです。
でも、どうして今の会社に就職できたかというと、最初の会社の仕事経験があったからにほかなりません。
正社員として勤めたのは、最初の会社のたった2年間でしたが、やはり一度も正社員として働いたことがないのに比べたらずっといいと思います。
そして、なによりも、仕事のやり方を徹底的に仕込まれたことでした。
2年ばかりの経験では大した技術も身についてはいませんが、それでも、仕事の基本をしっかり教わったことは確かだと思います。
それで、今は理工系の内容の文書の誤記などをチェックしていますが、私にとって校正の基本というのが身についているのは、非常に強みだと思います。
会社の中には、校正の勉強はせず、理工系の知識のすばらしい人がいます。内容を理解する点では、そういう人にはかなわないと思います。しかし、私には校正魂というか、一種の職人気質みたいなものがしみついているので、書類を手に取ればできうる限り詳しく目を通すという根性があります。どこが違うかというと、たったそれだけのことかもしれません。仕事に対するしつこさというか、のめりこみの強さだけが、私の武器です。
理工系の大学を出た人と同等に文書の内容を理解することなどは到底無理なのにもかかわらず、内容の整合性をチェックしたり誤記などを見つけ出したりすることができるのは、結局はそういう職人根性のおかげだと思うのでした。
そして、それは昔勤めていた会社のおかげであるので、その会社には感謝しなくちゃいけないなと思っています。
今の会社では、3年勤めて時給が90円上がりました。これも、この会社で経験を積むうちに多少なりとも腕を磨いて向上しているからだと思います。考えてみれば、最初のころに目を通してもまるでわからなかった内容が、今では同じような内容を何十も読んでいるので、かなり理解できるようになっています。
やはり、そういう小さな経験の積み重ねが大きな力になるんだなと思います。
“何をやっても、無駄なものは何もない”
それは、事実ですね。
これからも、がんばろうと思います。

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