ぶらぶら人生

心の呟き

歌を味わう

2015-11-17 | 身辺雑記
 横山未来子著『やさしい短歌のつくりかた』  (日本文芸社・2015年9月30日刊)(下の写真)

                 

 私は、今まで短歌という形式で、人生を綴ろうと思ったことはないし、これから先もないだろう。
 しかし、短歌(人の作品)を味わうのは好きな方だ。
 短詩形の中に込められた世界は、実に豊かで、味わい深いと思っている。

 書店で、この本を手に取り、一瞬、購入をためらう気持ちが起こったのは、<短歌の作り方>を説く目的で書かれた本である点だった。
 第1章から第4勝に取り上げられている項目を見ると、その内容は、短歌の常識のようなもので、今さら改めて学ぶ必要もなさそうだと思ったのだ。

 それなのに、結局求めたのは、引用されている歌の多さだった。
 すでによく知っている歌人の有名な歌もあれば、あまりなじみのない現代歌人のいい歌もある。
 この本の著者も、活躍中の歌人として著名な人のようだ。
 
 この本は、短歌を始めてみたいという人には、最高の参考書だと思う。
 入門書(教科書)として、これ以上のものはないのではあるまいか。
 やさしい言葉で、懇切丁寧な解説が試みられ、和歌・短歌の歴史にも触れている。

 さらに名歌の鑑賞を、存分楽しむことができる。
 私にとっては、その点が嬉しかった。


 引用された歌の中には、いい歌がたくさんあった。
 私は少女期より、たくさんの歌を諳んじてきた。
 それらの歌も、この本には数多く引用されていた。

 記憶していないものの中にも、いい歌がたくさんあった。
 例えば、

   吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ  (若山牧水『別離』)
   おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを   (伊藤和彦『瞑鳥記』)
   早朝ののみどをくだる春の水つめたし今日も健やかにあれ   (春日井健『朝の水』)


 などなど。(歌集名まで載せてあるが嬉しい。)

   疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりやぁあなた (斎藤 史『秋天瑠璃』)

 この歌を読んだ時には、思わず笑ってしまった。《そうだ、そうだ》と共感しながら。
 79歳でヘルペスを経験した私は、いまだに神経の痛みを覚える。
 が、この歌を口ずさめば、気持ちが軽るくなりそうだ。
 《八十年生きれば そりやぁあなた》と呟けば、《なんてことないさ》と、気分転換もできそうだ。

 上の引用歌の作者は、知名の人であり、私自身も多くの歌を味わってきた。


 ところが、現代歌人には、知らない人がかなりある。
 永田和宏の二著『近代秀歌』『現代秀歌』を読んだ時にも、前書に登場の歌人や歌はなじみのものが多いのに対し、後書では知らない歌人や歌がかなりあった。
 このたびも、上の二冊を書棚から取り出して、参考にした。
 特に『現代秀歌』の方を。

 現代歌人の中で、私の目を惹いたのは、私と同年の歌人であった。
 歌よみの間では、著名な歌人なのであろうけれど、私は知らなかった。

   風よりも静かに過ぎてゆくものを指さすやうに歳月といふ  (稲葉京子『柊の門』)
   ただにただ人を恋ひたる若き日がありにきわれはわれを嘉する(同   『秋の琴』)


 もう少し多くの歌に接してみたいと思い、稲葉京子歌集『紅を汲む』をアマゾンに注文し入手した。
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『100歳が聞く100歳の話』

2015-11-16 | 身辺雑記
 月の初め、山口に出かけた際、書店で4冊の本を求めた。

 その中の一冊、 
 『100歳が聞く100歳の話』<聞き手・日野原重明  対談者・篠田桃紅・堀文子・入江一子・後藤純男・高山辰夫>(実業之日本社・2015年10月25日刊) (下の写真)を読了。

                  
                (帯の写真は、左・日野原重明 右・篠田桃紅)

            

 この対話の初出誌は「月刊美術」の由。
 それぞれ、
    篠田桃紅 2007年7月号・8月号
    堀 文子  2010年9月号
    入江一子 2011年1月号
    後藤純男 2009年3月号
    高山辰夫 2005年7月号・8月号
 に、掲載されたものという。

 聞き手の日野原重明氏は、1911年生まれ。今年104歳。
 篠田桃紅 1913年生まれ。対談時、94歳。
 堀 文子  1918年生まれ。対談時、92歳。
 入江一子 1916年生まれ。対談時、95歳。
 後藤純男 1930年生まれ。対談時、79歳。
 高山辰夫 1912~2007(95歳没)。 対談時、93歳。

 したがって、題名の『100歳が聞く100歳の話』は、事実からすれば、少々ずれている。
 (<100歳が…100歳の…>という語呂の響きはいいけれど、この本の内容からして、<100歳>にこだわる必要はない、と思う。
  私のように、題名も、その本の重要な一部と考えるのは、一般的ではないのだろうか?
  近年、売るためにつけられたた題名の本が、多いような気がする…。)
 
 
 しかし、100歳ではないにしても(後藤純男画伯以外は)、対談時に90歳を超えておられるから、見事な高齢者であることには違いない。
 その対話の内容も、老いとは全く無縁で、味わいのある高尚なものである。
 対談集を読みつつ、5人の、優れた芸術家の心を支えている思想の確かさ、生き方には、心打たれることばかりであった。
 また、聞き役・日野原重明さんの、衰えを知らぬ聡明さにも感心した。
 異なる画家たちそれぞれの、考え方や個性が、ごく自然に導き出されていた。
 
 5人の画家のうち、<入江一子>さんについては、絵画に接したこともないし、知らないことばかりだった。
 が、他の4人は、いずれも、なじみのある芸術家だ。
 作品を見たり、本を読んだりして。
 堀文子さんの本(絵画と文)は5冊持っていて、繰り返し読んだり、鑑賞したりしている。
 篠田桃紅さんについては今年になって知り、2冊の本を読んだり、その作品はタブレット上で、鑑賞したりした。
 
 後藤純男さんや高山辰夫さんの絵画には、展覧会で、幾度か出会っている。
 その画風を思い描くことができる程度の親しみは持っている。

 このたび、『100歳が聞く100歳の話』を読んで、一番興味深かったのは、高山辰夫さんとの対談であった。
 対談者は、1911年と1912年生まれ。
 同時代(戦前・戦中・戦後)を生きられた方同士だけに、話題が共鳴し合い、絶妙な味わいがあった。
 感銘を受ける話が、特に多かった。

 (高山辰夫さんの書かれた著作はないかと、PCで調べてみたが、見つからなかった。残念である。
  名だたる画家や彫刻家には、秀逸な文章を書かれる方が多い。
  篠田桃紅さんや堀文子さんも然り。)        
 


        
               山口市 パークロードの欅並木 11月5日
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庭の表情(木々は準備を怠らず)

2015-11-16 | 小庭の四季
 晴れ間ののぞいた庭に出てみる。
 3本の椿が、春に備えて、それぞれ怠りなく準備をしていた。
 木ごとに、蕾の形は、少しずつ異なる。

 シデコブシの蕾は、綿毛に覆われて。
 ロウバイの蕾は、かわいい乳首の形して。
 

          
             椿の蕾(白い花)           椿の蕾(紅色の花)

                  
                     椿の蕾(淡紅色の花)

          
               シデコブシの蕾           ロウバイの蕾


          
                    丈高く熟した高砂百合の実


  
     初夏から咲き続けるノボタンの花               横庭の山茶花

  
          万両の実                      残りのモミジ葉


 今日もまた、百舌鳥の声を聞き、裏庭に出た。
 場所を変えながら、鳴いている。
 声の行方に目をやると、屋根のはるか上の電線に、ぽつりと止まっている。
 自由気ままに四方八方を眺め、時折激しく鳴いていた。

         

 下は、昼前の空。
 午後になると、空は雲に覆われた。(11月に入ってからは、好天が続かない。)

  
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街路樹の紅葉

2015-11-12 | 身辺雑記
 M美容院で、髪の手入れをしてもらった後、スーパーまで歩いた。(1キロ足らず)
 街路樹の紅葉を眺めながら。

 大きな落葉が、路に踊る。
 駅前ビルの前で、掃除婦が落ち葉を掃いておられた。
 「この街路樹は……?」
 と、木の名前を尋ねてみたが、知らないとの返事だった。

 私は、「アメリカフウ」では? と、以前から思っているが、自信はない。
 帰宅後タブレットで調べてみた。
 「アメリカフウ」は「モミジバフウ」ともいうらしい。
 似てはいるけれど、間違いなくそうなのかどうかは、依然としてよく分からない。

 新しい街づくりの一環として、道幅を広くし、その両側に植えられた街路樹である。
 成長の早い木なのだろう、かなり大きく育ってはきたが、まだ若木である。
 年月をかけて、さらに街路樹の貫録を示すだろう。


           

      
          

 それにしても、寂しい街だ。
 車も少ない、人もいない。
 歩いているのは、私がひとり。


 今日は目的地まで、楽々歩を運ぶことができた。(移動に伴う苦痛を全く感じることなく)

 二本の脚で歩行するのは、健康な人にとっては、ごくごく自然な姿である。
 しかし、赤ちゃんは歩けないし、高齢者も、歩行が次第におぼつかなくなる。
 息苦しかったり、足が妙に重かったり、膝が傷んだり……。

 だから、歩くという当たり前のことが苦もなくできた今日は、嬉しい日であった。
 晴れやかな青空も心地よくて。(落葉を、路上に躍らせるほどの微風はあったけれど)         
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空を見上げると…

2015-11-11 | 身辺雑記
          落ち葉を掃くため庭に出て、空を見上げると… 
                          
                    不思議な行跡
     
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点景

2015-11-10 | 身辺雑記
 二日続きの雨が上がった。

 けたたましく鳴く、鳥の声が聞こえる。
 裏口を出て、空を見上げた。

 百舌鳥が来ているのだった。
 あの電柱の、電線のてっぺんに。


             

 見上げる私には、目もくれない。
 あの百舌鳥には、どんな風景が見えているのだろう?

 雨上がりの、気まぐれな晴れ間、青い空の点景となって、百舌鳥は四方八方を眺めている。
 しかし、下界の私に対しては、全く関心を示さない。
 恐れの対象でさえないらしい。

 だから、こちらも安心して、百舌鳥が自ら飛び立つまで、その風景を楽しむことができるのだ。
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雨の「立冬」

2015-11-08 | 身辺雑記
  雨の「立冬」となった。
 昨夜来、音もなく、雨は降り続いた。

朝食後、雨が上がったので、ひととき 庭に出た。
立冬の日には不似合いな暖かさだ。

 しかし、庭の風情は、冬の気配である。
 大方の落葉樹は葉を落とし、裸木になっている。
 家の庭で、辛うじて葉を残しているのは、モミジぐらいだ。

 全くの例外は、ヤマボウシ。
 葉は、豊かに枝を覆い、わずかに黄葉の気配を見せているだけである。
この落葉樹は、12月に入っても、落葉を急がない。
 が、不思議なことに、年のうちには、すべての葉を落とす。
毎年、そのリズムが狂うことはない。
自然界の、摂理の不思議である。

 これからは、日ごと、ヤマボウシを眺めることになるだろう。



           

           
                      ヤマボウシ


強弱はありながら、雨は、終日降り続いた。
こうして、 たまに降る雨は、地を潤すだけでなく、人の心にも安らぎを与えてくれる。
 味わいのある「立冬」の一日であった。
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晩秋の木々

2015-11-07 | 小庭の四季
          裸木になるのも、時間の問題となった。
                    滅びの美。
                 木々との対話を愉しむ。


        
          ジューンベリーの黄葉 残り少なく…(11月4日)

  
                 友人宅の夏椿とモミジの紅葉(11月5日)
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10月の庭 (森原明良・額展)

2015-11-05 | 草花舎の四季
 今日(4日)は、楽しい展示会。
 森原明良の『ウロとミニとミミ』額展の開催中(10月31日~11月11日)

 素朴さが、心に寄り添ってくれる。 
 木の洞や古材を活かして作られた額。その中に、お母さま多美子さんの描かれたやさしい自然の花や木の実が遊んでいる。
 親子の合作。心温まる作品。

 今日、作家の森原明良さんに、偶然お会いした。
 絵をお書きになっていらっしゃるお母さまの年齢を尋ねると、78歳とのこと。
 「私よりお若いのだ」
 と、言ってしまう。
 森原さんは、木の個性やぬくもりの一つ一つを大切になさっている感じの、実に気取りのない方だ。
 作品は、以前にもいただいているのに、作者ご本人には、今日、初めてお会いした。

 この人柄にして、この作品ありだ。


                       以下、作品の一部
    
  

  


        
                    


  
           コーヒーとケーキ               窓の外を眺めながら



               喫茶室の花々(今日はお庭を歩かず)

             

                  
                     ベニアオイの花
              (今年三度目の出会い。やはり、花より蕾がいい) 


  

                

            
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私の森原作品

2015-11-05 | 身辺雑記
                  私の求めた森原作品が二つになった。
                 前回求めたもの(上)と今回の作品(下)


              

          
               額はサルスベリの木  どんぐりの実が嬉しい
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