横山未来子著『やさしい短歌のつくりかた』 (日本文芸社・2015年9月30日刊)(下の写真)
私は、今まで短歌という形式で、人生を綴ろうと思ったことはないし、これから先もないだろう。
しかし、短歌(人の作品)を味わうのは好きな方だ。
短詩形の中に込められた世界は、実に豊かで、味わい深いと思っている。
書店で、この本を手に取り、一瞬、購入をためらう気持ちが起こったのは、<短歌の作り方>を説く目的で書かれた本である点だった。
第1章から第4勝に取り上げられている項目を見ると、その内容は、短歌の常識のようなもので、今さら改めて学ぶ必要もなさそうだと思ったのだ。
それなのに、結局求めたのは、引用されている歌の多さだった。
すでによく知っている歌人の有名な歌もあれば、あまりなじみのない現代歌人のいい歌もある。
この本の著者も、活躍中の歌人として著名な人のようだ。
この本は、短歌を始めてみたいという人には、最高の参考書だと思う。
入門書(教科書)として、これ以上のものはないのではあるまいか。
やさしい言葉で、懇切丁寧な解説が試みられ、和歌・短歌の歴史にも触れている。
さらに名歌の鑑賞を、存分楽しむことができる。
私にとっては、その点が嬉しかった。
引用された歌の中には、いい歌がたくさんあった。
私は少女期より、たくさんの歌を諳んじてきた。
それらの歌も、この本には数多く引用されていた。
記憶していないものの中にも、いい歌がたくさんあった。
例えば、
吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ (若山牧水『別離』)
おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを (伊藤和彦『瞑鳥記』)
早朝ののみどをくだる春の水つめたし今日も健やかにあれ (春日井健『朝の水』)
などなど。(歌集名まで載せてあるが嬉しい。)
疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりやぁあなた (斎藤 史『秋天瑠璃』)
この歌を読んだ時には、思わず笑ってしまった。《そうだ、そうだ》と共感しながら。
79歳でヘルペスを経験した私は、いまだに神経の痛みを覚える。
が、この歌を口ずさめば、気持ちが軽るくなりそうだ。
《八十年生きれば そりやぁあなた》と呟けば、《なんてことないさ》と、気分転換もできそうだ。
上の引用歌の作者は、知名の人であり、私自身も多くの歌を味わってきた。
ところが、現代歌人には、知らない人がかなりある。
永田和宏の二著『近代秀歌』『現代秀歌』を読んだ時にも、前書に登場の歌人や歌はなじみのものが多いのに対し、後書では知らない歌人や歌がかなりあった。
このたびも、上の二冊を書棚から取り出して、参考にした。
特に『現代秀歌』の方を。
現代歌人の中で、私の目を惹いたのは、私と同年の歌人であった。
歌よみの間では、著名な歌人なのであろうけれど、私は知らなかった。
風よりも静かに過ぎてゆくものを指さすやうに歳月といふ (稲葉京子『柊の門』)
ただにただ人を恋ひたる若き日がありにきわれはわれを嘉する(同 『秋の琴』)
もう少し多くの歌に接してみたいと思い、稲葉京子歌集『紅を汲む』をアマゾンに注文し入手した。
私は、今まで短歌という形式で、人生を綴ろうと思ったことはないし、これから先もないだろう。
しかし、短歌(人の作品)を味わうのは好きな方だ。
短詩形の中に込められた世界は、実に豊かで、味わい深いと思っている。
書店で、この本を手に取り、一瞬、購入をためらう気持ちが起こったのは、<短歌の作り方>を説く目的で書かれた本である点だった。
第1章から第4勝に取り上げられている項目を見ると、その内容は、短歌の常識のようなもので、今さら改めて学ぶ必要もなさそうだと思ったのだ。
それなのに、結局求めたのは、引用されている歌の多さだった。
すでによく知っている歌人の有名な歌もあれば、あまりなじみのない現代歌人のいい歌もある。
この本の著者も、活躍中の歌人として著名な人のようだ。
この本は、短歌を始めてみたいという人には、最高の参考書だと思う。
入門書(教科書)として、これ以上のものはないのではあるまいか。
やさしい言葉で、懇切丁寧な解説が試みられ、和歌・短歌の歴史にも触れている。
さらに名歌の鑑賞を、存分楽しむことができる。
私にとっては、その点が嬉しかった。
引用された歌の中には、いい歌がたくさんあった。
私は少女期より、たくさんの歌を諳んじてきた。
それらの歌も、この本には数多く引用されていた。
記憶していないものの中にも、いい歌がたくさんあった。
例えば、
吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ (若山牧水『別離』)
おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを (伊藤和彦『瞑鳥記』)
早朝ののみどをくだる春の水つめたし今日も健やかにあれ (春日井健『朝の水』)
などなど。(歌集名まで載せてあるが嬉しい。)
疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりやぁあなた (斎藤 史『秋天瑠璃』)
この歌を読んだ時には、思わず笑ってしまった。《そうだ、そうだ》と共感しながら。
79歳でヘルペスを経験した私は、いまだに神経の痛みを覚える。
が、この歌を口ずさめば、気持ちが軽るくなりそうだ。
《八十年生きれば そりやぁあなた》と呟けば、《なんてことないさ》と、気分転換もできそうだ。
上の引用歌の作者は、知名の人であり、私自身も多くの歌を味わってきた。
ところが、現代歌人には、知らない人がかなりある。
永田和宏の二著『近代秀歌』『現代秀歌』を読んだ時にも、前書に登場の歌人や歌はなじみのものが多いのに対し、後書では知らない歌人や歌がかなりあった。
このたびも、上の二冊を書棚から取り出して、参考にした。
特に『現代秀歌』の方を。
現代歌人の中で、私の目を惹いたのは、私と同年の歌人であった。
歌よみの間では、著名な歌人なのであろうけれど、私は知らなかった。
風よりも静かに過ぎてゆくものを指さすやうに歳月といふ (稲葉京子『柊の門』)
ただにただ人を恋ひたる若き日がありにきわれはわれを嘉する(同 『秋の琴』)
もう少し多くの歌に接してみたいと思い、稲葉京子歌集『紅を汲む』をアマゾンに注文し入手した。