ぶらぶら人生

心の呟き

気まぐれな晴れ間

2013-09-08 | 身辺雑記
 カーテンを開けて外を見ると、入り口の扉が半開きになっている。
 新聞配達人が、閉め忘れられたのだろう。
 早速、戸締りのために庭に下りる。

 今日も、天気予報では、雨が降ることになっていたが、空が一部青い。
 気まぐれな晴れ間だろうと思いながら、雲の動きを眺める。 

         

 結局今日は、雨が降らなかった。
 このシーズン、運動会の行われているところも多いだろう。
 暑からず、寒からず、雨さえ降らなければ、スポーツ日和といえそうだ。

 スポーツと言えば、2020年のオリンピック開催地が、東京に決定した。
 テレビ報道を見ていると、日本中が過剰に喜んでいるかのようである。

 報道には、必ずといっていいほど偏りがある。
 それは、ある種の怖さである。

 すべての人が、喜びに酔い痴れているわけでもないのに、陰陽の陽の面ばかりが目立ちすぎる。
 そんな報道に少々辟易しながら、昨日のテレビで語っていた、被災地の人の言葉を思い出した。
 3・11の震災(人災)以来、自宅に戻れずにいる、福島の女性の呟きである。
 まるで日本の国が二つあるみたいだ、と。

 オリンピック誘致こそが、最大関心事とばかり熱狂的な人たちと、それを醒めて眺める人たちとがある。
 後者には、今なお仮設住宅に暮らしながら、未来の見えない人たちも含まれる。

 <とりあえず今日を生きる>ことを志す老いの身にとっては、2020年は遠すぎる。
 是が非でも東京での開催を願うでもない私など、東電の汚染水の処理問題や被災地復興の方が先ではないかと思ってしまう。
 為政者は、その華やぎの外にいる人のことも、忘れないで欲しい。
 疎外感を拭えないでいる人たちにも、光を当ててほしい。

 今日は、早朝以来、晴れがましそうに東京開催を喜ぶ人たちの様子ばかりが、大々的に報道されている。
 その決定で、夢を膨らませるスポーツマンや若き人たちは多いだろう。それはそれで悪いことではない。
 一方、お金が儲かるぞ!、と経済効果にほくそ笑む人たちも多いのだろう。
 しかし、そういう人たちばかりでないということに、為政者の目は注がれなければならないと考える。
 



 紫式部や白式部の実が、庭の片隅で、存在感を示し始めた。
 紫色はまだ淡く、深みが足りないけれど。
 白い実にも、光沢がまだない。

  

 1本のモミジの葉色が様々である。
 PCのペイント画面を開き、その葉を描いてみようと折り取ってきた。
 右側の写真を手本にして、緑と赤の葉を描いてみたが、実に稚拙な絵になってしまった。
 

  

 卓上においていたモミジの葉が、昼過ぎに見ると、少し萎れかけていた。
 少しでも、美しさを保たせようと、皿に水を張って浮かせておいた。
 
             
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