今朝、赤旗新聞の日曜版を読んでいて、「探梅」という言葉に出会った。
なるほど、いい言葉だと思いながら、広辞苑で確かめたところ、<晩冬の季語>となっていた。句作をする人にとっては、なじみの言葉なのだろう。
歳時記には、
<漢詩には「観梅」が梅林や庭園の梅を見ることであるのに対し、雪深い山に梅を尋ねることを「探梅」という。>
とあり、別の言い方として、「春信(しゅんしん)」「梅探る」「春の便り」が挙げてあった。
探梅や枝の先なる梅の花 高野素十
探梅や遠き昔の汽車にのり 山口誓子
探梅や息深くして梅に寄る 下村ひろし (以上、歳時記より)
「四季樹彩」(川隅 功)の記事を読んでいて、「探梅」という言葉に出会ったのだが、筆者は、次のように記していた。
<探梅(たんばい)といって、咲き始めの時期、ところどころに咲き始めている花を探しながら鑑賞します。次に賞梅(しょうばい)は、いっせいに咲き誇った花を観賞すること。最後に送梅(そうばい)といって、咲き終わりの時期を名残惜しみながら鑑賞します。>
と、時期による、梅花観賞の言葉を紹介していた。
そこで、「探梅」についで、「賞梅」「送梅」についても調べてみたが、これらは辞書になかった。
ただ、「日本国語大辞典」には、「送梅」が出ていた。しかし、ここで使われた意味とは異なり、<五月に降る雨。五月雨(さみだれ)>とあり、「送梅の雨」(「送梅」に同じ)、「送梅の月」(陰暦五月の異称)という言い方も載せてあった。
新聞記事に出ていた「賞梅」「送梅」は、一般化されていない言い方なのだろうか。
「四季樹彩」の記事には、東京都青梅市の梅林の、見事な写真が添えてあった。 山の斜面を利用した梅の公園なのだそうだ。約120品種、約1500本の梅があるという。紙上から梅の香が漂ってきそうな風情であった。
この記事中に、紅梅の見分け方についても書いてあり、意外なことを知った。
紅梅・白梅は、花の色で見分けるのではなく、枝の断面の色で区別するのだ、と。だが、そんな知識は、梅の香や花色を楽しむ私にとっては、どうでもいいことにも思えた……。
(写真は、津和野町の小さな梅林。紅梅の花盛りだった。)
なるほど、いい言葉だと思いながら、広辞苑で確かめたところ、<晩冬の季語>となっていた。句作をする人にとっては、なじみの言葉なのだろう。
歳時記には、
<漢詩には「観梅」が梅林や庭園の梅を見ることであるのに対し、雪深い山に梅を尋ねることを「探梅」という。>
とあり、別の言い方として、「春信(しゅんしん)」「梅探る」「春の便り」が挙げてあった。
探梅や枝の先なる梅の花 高野素十
探梅や遠き昔の汽車にのり 山口誓子
探梅や息深くして梅に寄る 下村ひろし (以上、歳時記より)
「四季樹彩」(川隅 功)の記事を読んでいて、「探梅」という言葉に出会ったのだが、筆者は、次のように記していた。
<探梅(たんばい)といって、咲き始めの時期、ところどころに咲き始めている花を探しながら鑑賞します。次に賞梅(しょうばい)は、いっせいに咲き誇った花を観賞すること。最後に送梅(そうばい)といって、咲き終わりの時期を名残惜しみながら鑑賞します。>
と、時期による、梅花観賞の言葉を紹介していた。
そこで、「探梅」についで、「賞梅」「送梅」についても調べてみたが、これらは辞書になかった。
ただ、「日本国語大辞典」には、「送梅」が出ていた。しかし、ここで使われた意味とは異なり、<五月に降る雨。五月雨(さみだれ)>とあり、「送梅の雨」(「送梅」に同じ)、「送梅の月」(陰暦五月の異称)という言い方も載せてあった。
新聞記事に出ていた「賞梅」「送梅」は、一般化されていない言い方なのだろうか。
「四季樹彩」の記事には、東京都青梅市の梅林の、見事な写真が添えてあった。 山の斜面を利用した梅の公園なのだそうだ。約120品種、約1500本の梅があるという。紙上から梅の香が漂ってきそうな風情であった。
この記事中に、紅梅の見分け方についても書いてあり、意外なことを知った。
紅梅・白梅は、花の色で見分けるのではなく、枝の断面の色で区別するのだ、と。だが、そんな知識は、梅の香や花色を楽しむ私にとっては、どうでもいいことにも思えた……。
(写真は、津和野町の小さな梅林。紅梅の花盛りだった。)
た。私もこの方の写真に感動させられています。特に9月7日
の草津白根山が素晴らしくて大切に仕舞ってあります。
oyuse13様のブログの言葉一つ一つが素晴らしくて、コメントす
るのもおこがましい気がしますが、時々勉強に来させて下さい。
赤旗の日曜版には、すばらしい写真や文章が載っていますね。私も楽しみに読んでいます。
気の向いたときには、私のブログも読んでいただければ嬉しゅうございます。そして、また感想をお寄せになってくださいませ。