26日夕方に日本に到着し、とり急ぎ、ホテルに荷物を置いて父が入院している病院に行った。私を見てすぐに分かったあたり、頭はしっかりしている様子。しかし、体はほとんど動かず、会話もあまりできず、面会30分ほどで父が眠いと言い出したので、とりあえず初日は早々に退散した。
寝不足で眠いのに、時差ボケで3時過ぎに目が覚め、午前中は比較的のんびり過ごした翌27日。父が入院している病院の担当医師が午後に話をしたい、とのことで、午後2時頃に、再び病院を訪ねた。
父の様子を改めて見ると、昨日は布団がかかっていて気付かなかったが、両手にミトンがはめられており(ミトン型鍋つかみのような手袋をはめられて、それがベッドの柵につながっており、手をあまり動かせなくなっている)、私の顔を見るなり、それを外してくれと言う。昨日も、そのせいでほとんど動かなかったのかと、愕然とする。
10分ほどで担当医と面談となり、延命はいっさいしない、すべての施術は苦痛を和らげるために行う、ということを、結構強硬にお願いして了承してもらう。
いやまあ、首に刺した透析&点滴用のカテーテルを、無意識に抜いてしまうから両手を拘束したという病院の立場は分かるよ。下手なことすると、ここぞとばかりに訴訟に持ちこもうとするような非常識な連中が多いからね。
しかし、私だったら両手を拘束されるような、そんな最期は絶対にイヤだ。何をやったってどうせ長くないのに、回復することなんてあり得ないのに、今さら透析や点滴なんかして、どうなる?! もうすべて止めちゃって!!と、父がミトンをはめられる原因になった首のカテーテルを抜いてもらい、もちろんミトンも外してもらう。
例え相手が誰であろうと、そんな風な最期は絶対に迎えてほしくないから。
点滴も透析も輸血も、もうしない。でも、苦痛を和らげるための鎮静剤を投与するには、やっぱりカテーテルを差さねばならない・・・ということで、今度は腕にカテーテルを刺し、鎮静剤を投与してもらう。
説明だと、そのまま眠ったままになってしまうかも、とか、呼吸も止まってしまうかも、などという話だったのに、鎮静剤の投与を始めても一向に父の様子が楽にならないどころか、(たまたま、そういうタイミングだったのかもしれないが)逆に苦しそうになってすらいる・・・。父が鎮静剤で眠ったら私も今日は失礼して、買い物でもしてホテルに戻ろうと思っていたのに、まったく眠る気配がないどころか、前よりも苦しそうにうんうんうなってジタバタしている。
なんで、そうなるの・・・???
私、超寝不足、それも数日間連続で。お疲れだし、どんどんどんどん睡魔が襲いかかってきて、ベッド脇で父を見守りつつも、わずかな隙に自分のほうが眠りに落ちそうになる・・・
苦しんでいる相手を何もできずに見守りつつ、自分はとてつもない睡魔と戦う・・・。これって、なかなか苦行である・・・
天の助けか、鎮静剤投与開始から約2時間後に担当医師が様子を見に来てくれたので、状態を話して鎮静剤の点滴量を倍にしてもらう。
しかし、それでも相変わらず苦しそうにジタバタしている父・・・
なんかもう、強力な睡眠薬でも何でも注射とかしてくれ!!! 安楽死とか、できんのか?!と、絶叫したい気分・・・
鎮静剤を倍にしてから約1時間後、ようやく父が眠った様子。と言っても、眼は半開きで白目をむき、呼吸も苦しそうなままである。ただ、その呼吸が規則正しくなり、視線も動かなくなったので、眠ったと判断。5時間半後に、ようやく解放されたのでありました・・・
それにしても、人間の最期について、いろいろと考えさせられる。前回6月に会った際の父は、つらそうではあったけれども、とりあえず「普通の人間」ではあった。しかし今回の父は、以前から徐々になっていたのかもしれないが、がたがたに歯並びがゆがんでいる。それが、ここ数日、透析をまともにやっていないせいで体内の水分を抜くことができず、医師曰く「肺が半分、水没している状態(比喩的表現なのか、実際にそうなのかは不明)」なので呼吸が苦しく、口を常に大きく開けているためによく見えてしまう。さらに、口内は血まみれで、その血がゆがんだ歯と歯の間や歯茎との境目に乾いて黒くこびりついている。かなり衝撃的な姿である。ずっと口を開いているから、おそらく口内はかぴかぴに乾いているのだろう。一見、乾いた血で口内は真っ黒である。
もちろん水分が抜けていないのだから、手足、とくに手はパンパンにむくんでいるし、全体に紫に変色している。
傲慢で自信過剰でエラそうなことばかり言っていた男の末路・・・
こんなんなるぐらいなら、下手に長生きするより、もっと早くぽっくり死んでたほうが、よっぽど良かったんじゃないの・・・???
ああ、もう眠くてこれ以上、書き続けられないので、もう寝ます。おやすみなさい!!!
寝不足で眠いのに、時差ボケで3時過ぎに目が覚め、午前中は比較的のんびり過ごした翌27日。父が入院している病院の担当医師が午後に話をしたい、とのことで、午後2時頃に、再び病院を訪ねた。
父の様子を改めて見ると、昨日は布団がかかっていて気付かなかったが、両手にミトンがはめられており(ミトン型鍋つかみのような手袋をはめられて、それがベッドの柵につながっており、手をあまり動かせなくなっている)、私の顔を見るなり、それを外してくれと言う。昨日も、そのせいでほとんど動かなかったのかと、愕然とする。
10分ほどで担当医と面談となり、延命はいっさいしない、すべての施術は苦痛を和らげるために行う、ということを、結構強硬にお願いして了承してもらう。
いやまあ、首に刺した透析&点滴用のカテーテルを、無意識に抜いてしまうから両手を拘束したという病院の立場は分かるよ。下手なことすると、ここぞとばかりに訴訟に持ちこもうとするような非常識な連中が多いからね。
しかし、私だったら両手を拘束されるような、そんな最期は絶対にイヤだ。何をやったってどうせ長くないのに、回復することなんてあり得ないのに、今さら透析や点滴なんかして、どうなる?! もうすべて止めちゃって!!と、父がミトンをはめられる原因になった首のカテーテルを抜いてもらい、もちろんミトンも外してもらう。
例え相手が誰であろうと、そんな風な最期は絶対に迎えてほしくないから。
点滴も透析も輸血も、もうしない。でも、苦痛を和らげるための鎮静剤を投与するには、やっぱりカテーテルを差さねばならない・・・ということで、今度は腕にカテーテルを刺し、鎮静剤を投与してもらう。
説明だと、そのまま眠ったままになってしまうかも、とか、呼吸も止まってしまうかも、などという話だったのに、鎮静剤の投与を始めても一向に父の様子が楽にならないどころか、(たまたま、そういうタイミングだったのかもしれないが)逆に苦しそうになってすらいる・・・。父が鎮静剤で眠ったら私も今日は失礼して、買い物でもしてホテルに戻ろうと思っていたのに、まったく眠る気配がないどころか、前よりも苦しそうにうんうんうなってジタバタしている。
なんで、そうなるの・・・???
私、超寝不足、それも数日間連続で。お疲れだし、どんどんどんどん睡魔が襲いかかってきて、ベッド脇で父を見守りつつも、わずかな隙に自分のほうが眠りに落ちそうになる・・・
苦しんでいる相手を何もできずに見守りつつ、自分はとてつもない睡魔と戦う・・・。これって、なかなか苦行である・・・
天の助けか、鎮静剤投与開始から約2時間後に担当医師が様子を見に来てくれたので、状態を話して鎮静剤の点滴量を倍にしてもらう。
しかし、それでも相変わらず苦しそうにジタバタしている父・・・
なんかもう、強力な睡眠薬でも何でも注射とかしてくれ!!! 安楽死とか、できんのか?!と、絶叫したい気分・・・
鎮静剤を倍にしてから約1時間後、ようやく父が眠った様子。と言っても、眼は半開きで白目をむき、呼吸も苦しそうなままである。ただ、その呼吸が規則正しくなり、視線も動かなくなったので、眠ったと判断。5時間半後に、ようやく解放されたのでありました・・・
それにしても、人間の最期について、いろいろと考えさせられる。前回6月に会った際の父は、つらそうではあったけれども、とりあえず「普通の人間」ではあった。しかし今回の父は、以前から徐々になっていたのかもしれないが、がたがたに歯並びがゆがんでいる。それが、ここ数日、透析をまともにやっていないせいで体内の水分を抜くことができず、医師曰く「肺が半分、水没している状態(比喩的表現なのか、実際にそうなのかは不明)」なので呼吸が苦しく、口を常に大きく開けているためによく見えてしまう。さらに、口内は血まみれで、その血がゆがんだ歯と歯の間や歯茎との境目に乾いて黒くこびりついている。かなり衝撃的な姿である。ずっと口を開いているから、おそらく口内はかぴかぴに乾いているのだろう。一見、乾いた血で口内は真っ黒である。
もちろん水分が抜けていないのだから、手足、とくに手はパンパンにむくんでいるし、全体に紫に変色している。
傲慢で自信過剰でエラそうなことばかり言っていた男の末路・・・
こんなんなるぐらいなら、下手に長生きするより、もっと早くぽっくり死んでたほうが、よっぽど良かったんじゃないの・・・???
ああ、もう眠くてこれ以上、書き続けられないので、もう寝ます。おやすみなさい!!!