昨日は泣きながら目が覚めた。 恥ずかしいことだ。
新型コロナウイルス禍で、硝子越しであっても母に会うことは難しい。
時々しか姿を見ることができない母。
段々弱っていく母。
腎臓は薬が効いて2週間前に比べれば好転したが、まだ相当悪い母。
介護士がいないと車椅子から立ち上がることも降りることもできなくなった母。
立ち上がっても手摺りに掴まって10mも歩けなくなった母。
認知機能は更に悪化して、日付も季節も答えられず、子供の名前も言えなくなった母。
でも、家族という認識はできている様子の有難い母。
僕が誰なのか分かるうちに、僕と曾孫との写真を見せることができて本当に良かった。
「写っているのは〇〇(僕)と曾孫の〇〇〇ちゃん。手紙を書いて送ってくれたのは孫の〇ちゃん」と、家族との幸せの記憶の1つにしてくれただけでも嬉しい。
「これ以上病院では特にすることはないので退院してもいい」と言われた。
こんな悲しい退院ってあるだろうか。
でも、退院時に直接会えるし、今後は面会の緩和がなされるそうだし。
妹と昔の話をした。
そこには笑顔で元気な母がいる。
戦争を生き抜いた母。
「空襲で逃げるときは手でこうして目と耳と鼻と口を押さえるの」と教えてくれた母。
地元で有名な名家で裕福でも父親を早く亡くして家事手伝いで大変だった母。
「お祖父さんは戦時中に町内全戸に防火桶を寄贈した」と教えてくれた母。
「お祖父ちゃんは腹巻きに大金を入れて持ち歩いていた」と言っていた母。
故郷のミスコンテストで入賞していた母。
繁華な街から田舎町へ嫁いだ母。嫁いだ後は毎日泣いていた母。
在所では普通の話が田舎町では浮世離れしていて信じてもらえず悔しがっていた母。
お洒落だった母。
表は店から裏は母屋まで走り回って睡眠は3時間だった母。
僕が生まれた頃の写真でやつれて力なく笑っていた母。
「忙しくて貴方達におっぱいをあげながら接客していた」と笑っていた母。
夜中まで碁を打ちに来る父の知り合い達が嫌いだと言っていた母。
在所帰りの特急車内で3色アイスクリームを買ってくれた母。
夏休みには母方の親戚と一緒に海辺の高級ホテルで贅沢させてくれた母。
故郷では「〇〇です」と屋号を言うだけでそのまま駅構内に出入りできた母。
クラシック大全集24巻をセットで買ってくれた母。
父の長寝と出不精と口下手と競艇好きが嫌いだった母。
ウエストレベル方式のカメラでマメに写真を撮って沢山のアルバムを作っていた母。
風呂場の前から裏の玄関まで何度もおぶって笑顔で走ってくれた母。
父方の親族からいつも悪口を言われていた母。
僕達兄弟3人を大きな乳母車に乗せてあちこち連れて行ってくれた母。
白のパンプスが好きだった母。
「〇〇焼き」と称した葱だけのお好み焼きを作ってくれた母。
「恋ごころ」のオルゴールに合わせてよく歌っていた母。
僕が父に殴られる度に祖母と一緒に慰めてくれた母。
「あの橋の畔で」が好きで欠かさず観ていた母。
食器棚の財布からお金を抜いた僕を黙って許してくれた母。
僕の「姉」を流産したことを想い出して泣いていた母。
旅館で買って落として壊してしまったオモチャを交渉して新品と交換してくれた母。
辛いことがあると僕を連れて駅前の喫茶店でホットケーキセットを注文していた母。
子供には精一杯良い服を着させてくれた母。
自転車に半日で乗れるようになったことを「インスタント上達法」と褒めてくれた母。
クリスマスプレゼントをミシンの奥の棚に隠していた母。
僕の顔の汚れを唾で湿したハンカチで拭き取った母。
美容師を何人も呼んで会場を借りて大勢の客を集めていた母。
「〇〇(僕)は器用で色々なものを作るから」とガラクタ集めを否定しなかった母。
運動会で重箱一杯の弁当を作って持ってきてくれた母。
物が捨てられなくて複数の部屋を荷物でダメにした母。
スープが付いていない生ラーメンを買ってしまって僕にスープ作りを任せた母。
僕には「勉強しなさい」などと一言も言わなかった母。
1時間以上かけて街へ出て腕に紐の痕を付けながら沢山の袋に入った販促品と一緒に美味しい食材を買ってきてくれた母。
「東京にいた頃は小遣いばかりねだっていた」と祖母(母の母親)に言われていた母。
クリスマスの日に帰りが遅れて兄と妹が「先にケーキ切っちゃおうよ」と言ったとき「〇〇(僕)はロマンチストだから待ってあげて」と言ってくれた母。
信じられない高熱を出した僕を看病しながらアルバムに記録してくれた母。
幼少時に優秀だった兄が劣等生になっていくのを受け容れられなかった母。
中学のとき朝帰りした僕を寝ずに待っていた母。
音を立てないよう注意して夜食のカップ麺を作りに行くと必ず起きてきた母。
妹の私立中学への遠距離通学で毎日夜明け前から朝支度をしていた母。
煮物が常でいつも汁が漏れてしまう弁当を作ってくれた母。
大学進学の上京直前に近所の店でスーツと革靴を買ってくれた母。
大学進学の上京時に笑顔で送り出してくれた母。
上京先のアパートまで来てくれた母。
電話した時に「先輩の看病で風邪が治った」と話したらその直後大家さんに「息子が大変!」と電話をして大騒ぎした母。
薬剤師国家試験の結果が心配で早朝かけた電話に新聞を見て眠そうに「載ってるわ、〇〇の名前(方言修正)」と教えてくれた母。
たまに帰ると地元の美味しい料理を出前して父と一緒に待っていた母。
帰り際に僕が角を曲がり見えなくなるまで見送っていた母。時に駅まで来てくれた母。
狭い道を生け垣に擦りながら走るタクシーに乗ってテラスハウスまで来てくれた母。
高価な服は一目で見抜いた母。
いつもチラシ等の裏紙に手紙を書いていた母。
急に白髪になった母。
自分自身にはお金をかけなかった母。
地元のイベントで先頭に立っていた母。
町おこしツアーでガイドを務めて有名になっていた母。
NTT 代理店のインターネット契約詐欺に遭ってしまっていることに気付いた僕が NTT 本社と交渉して解決したことを何度も何度も感謝していた母。
僕と長男と3人でカラオケに行き熱唱していた母。
使い終えたプラスティック容器を洗って山のように貯めていた母。
割り箸を洗って使っていた母。
生まれ育った洋館が壊され鉄筋建になった寂しさで矢も楯もたまらず連絡もせず3時間かけて訪ねた実家に「皆旅行に行ってて入れなかった」と悲しそうに話していた母。
一緒に郵便局へ行ったとき僕の素の表情から「今大変なんだね」と見破った母。
CD ラジカセをプレゼントしたら近所中に自慢していた母。
携帯を買った後すぐにメールを使いこなすようになった母。
長男が一人暮らしを始めた寂しさをメールで慰めてくれた母。
「僕が上京したときも…」というメールに「みんなそお」と返信してくれた母。
伯母の葬儀後に手配したグリーン車へ父と嬉しそうに乗り込んでくれた母。
「いらない」と何度言っても荷物を送ってきた母。賞味期限が読めなくなった母。
風呂場で転んで腰が曲がってしまった母。
僕が部長になっても会社役員になっても帰省する度にお年玉や小遣いをくれた母。
「〇〇(兄)の命令で孫(兄の娘)二人が家に勝手に入ってきて私物に手を付け家捜されて惨めで悔しい」と電話をかけてきた母。
「家捜しのことはお父さんも怒っていた」と少し嬉しそうに話していた母。
父の最期に老老介護で汚物処理もやっていた母。
質素な宅配弁当を三食大切に食べて「美味しい」と言っていた母。
「老老介護の大変さを分かってくれるのは〇〇(僕)だけ」と嘆いていた母。
長男の結婚式の早朝に迎えに行った僕とグリーン車で楽しく話していた母。
駅の待合室で折れて取れそうな歯で笑って僕を見上げていた母。
仲の良い6人兄弟が2人きりになって寂しがっていた母。
父の葬儀の準備で部屋を片付けていた僕と長男夫婦を姿を見ずに勘違いして「勝手なことをするな!」と怒鳴っていた母。
父の葬儀では終始不機嫌だった母。
電話をするといつも喜んでくれた母。
夏場のエアコン使用を素直に守ってくれた母。
小さく細くなっていく母。
「子供の心配をすることが親の仕事」と都度言っていた母。
僕のことを「死んだお祖父ちゃん(母の父親)によく似てる」と言っていた母。
顎髭を生やした僕に「お祖父ちゃんのように口髭の方がいい」と不満げだった母。
多分「母親のように立派になりたい」「味わってきた辛さや苦労を分かって欲しい」「田舎に嫁いでも成功したと親戚一同に胸を張りたい」という気持ちが強かった母。
疎遠な次男を「Mちゃんは元気にしてるの?」といつも特別気にかけていた母。
年1回1週間ほど妹の家で孫二人に囲まれて過ごすのを楽しみにしていた母。
閉店が相次ぎ寂れゆく土地で買う楽しみさえ奪われた母。
シュレッダーをプレゼントしたら「これは便利」と何度も何度も感謝してくれた母。
備忘録用にプレゼントした厚手のノート2冊に一生懸命メモをしていた母。
便箋や封筒が買えないのを察してプレゼントしたら自叙伝を書いてきた母。
時々知り合いの車に乗せて貰って外出していることを嬉しそうに話していた母。
幼少期の僕が襖4枚に「おかあのバカ」と絵入りで落書きしたことやトイレが怖くて屋根裏で用を足したことを僕と一緒に笑って話していた母。
投稿した短歌が新聞に載ることを生涯の楽しみにしていた母。
「年取ってお婆ちゃんになって汚い姿になったから」と寂しそうに話していた母。
「今も品があって綺麗だと思うよ」と言うと「まーありがとう」と言っていた母。
老朽化して傾いた蔵や離れの家の取り壊しに当惑していた母。
メール着信が分からなくなって「電話に出られなくてごめん」とかけてきた母。
携帯の電話機能も使えなくなった母。
僕の生徒手帳から長男や次男が出した葉書まで大切に保管していた母。
兄の暴言への愚痴を電話で毎回話していた母。
義姉のことをいつも「いい子」と褒めていた母。
「間違って Mちゃんにかけたら久しぶりに声が聞けて嬉しかった」と喜んでいた母。
「忙しい」が抜けず「忙しい」でないと恥と考え「忙しい」と言い続けていた母。
曾孫に会えることを心待ちにしていた母。
利用するのをずっと嫌がっていたデイサービスで短歌を教えていた母。
デイサービスに行く他はささやかなスペースで質素に過ごしていた母。
電話では「滑舌が悪くなったのよ」と言いながらしっかりと話ができていた母。
電話に出るといつも「Sちゃん(長男)は元気? Mちゃん(次男)は元気?」と訊いてきた母。
物の名前が出てこなくて僕が言い当てると「貴方は頭がいいから」と笑っていた母。
固定電話で話している最中に妹からスマホに(母の病状悪化を僕に伝えるための)電話がかかってきたことを「兄妹仲が良くてよろしい」と嬉しそうだった母。
ある日突然腎機能悪化と圧迫骨折で布団から起きられなくなって救急車で運ばれた母。
退院したらまた妹の家で僕も伺ってと妹と話していたけど叶わなくなった母。
コロナ禍で面会できず TV 付きの個室で独りきりの入院生活を強いられた母。
自力で車椅子への座り降りができなくなった母。
手摺りに掴まっても満足に歩けなくなった母。
日付けも季節も子供の名前も言えなくなった母。
いつかこんな日が来るのかなとは思っていたけど、急に来るんだね、こんな日が。
親が自分を大切にしてくれたことは忘れない。
たとえ親が忘れても、僕のことが誰なのかさえ分からなくなっても。
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