ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

縁故入社の闇

2017-10-13 13:24:14 | 日記
人事畑が長かったため、一存で縁故採用が可能な時期も少なくなかった。 そんな頃、ある学生の母親から 「子供を入社させて欲しい」 との依頼を受けた。 それは僕の母方の親族で、勿論 「本人希望なら歓迎するけど、特別扱いは難しい」 と、丁重にお断りをしている。

公正公平であるべき人事の原則を守る意味もあったが、何より 「本人の将来を配慮して」。

その母親にとって子供はいつまでも頼りない子供なのだろうが、実は頼もしい大人へと着実に成長している。 その学生は、自分の意思で選択した地元企業から見事に内定を獲得し、母親からも感謝の手紙をいただいた。 


就活は、生まれて初めて社会に認められるための第一関門。 内定獲得は、人生における自己肯定への大きな一歩となる。 そして、秋には内定式、翌春には入社式を迎え、研修を経て、社会人としての仕事が始まる。

社会人はプロだ。 こと対外的には、たとえ入社1年目であってもプロとしてのレベルを要求される。 これが学業や趣味などとは異なるところ。 アルバイトを軽視するつもりはないが、ステークホルダーの目は、アルバイトへ向けられるそれとは比べ物にならないほど厳しい。

仕事は体育会系に似る。 適切で辛い練習があってこそ、第三者が満足いく結果を出すことができる。 適切な練習が辛ければ辛いほど、結果への評価が高ければ高いほど、達成感は大きい。 この積み重ねが、大人としての自信になっていく。


これが、縁故入社だったらどうだろう。


お膳立てされた職場、仕事は、自分の実力で勝ち取ったものではない。 よって、そこには自己肯定など存在しない。 そればかりか、そこにいる限り 「縁故入社」 という負い目を引きずり続けることとなる。

縁故採用してくれた人物は一応、恩人だ。 本人だけでなく、親も頭を下げざるを得ない。


そもそも、自分が選択した就職先ではないのだから、少々の辛さにも耐えられないだろう。 従って、成果を出すためのプロセスが成立しない。 つまり、社会人としての豊かな達成感に至らず、大人としての自信が得られない。

縁故採用への感謝など短期で消え失せるだろう。 いずれ他社で頑張っている同期の話が羨ましくなり、「もっと良い会社はなかったのか」 となり 「好きで入ったわけじゃない」 という他責へと直結し、甘く安易な転職へと繋がる可能性が高い。

一方、縁故入社した会社を辞めるのは容易ではない。

恩人に直接謝罪し、納得いく説明をすることは、ひととして当たり前だが、甘く安易に転職を考える輩に、納得いく説明など困難だ。 せいぜい、「転職先はいばらの道」 だの 「夢を叶えたい」 だのといった偽善話など、ありえぬ嘘をつくのが関の山。

大体、自分の子供が就活時期を迎えた際、どういうアドバイスをするのだろう? 「努力せず怠けていても、誰かが助けてくれるから大丈夫」 などと嘯き、目標に向け切磋琢磨する子供の成長の芽を摘み取るのか?



縁故入社であっても、努力を常に結果を出し信頼を集め、要職に就くひとだっているだろう。 それはそれで素晴らしいことだが、同族企業の世襲ならともかく、元々縁故入社の必要があったのだろうか?

ひとは弱いもの。 自分が苦労して勝ち取った就職先であっても、甘く安易な〝負の転職〟をしてしまうひとが少なくない中、縁故入社したひとのリスクは高いだろう。






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