今回は、幼少期の記憶を辿って ・・・ 。
因みに、僕は保育園入園頃からはっきりとした記憶があり、後日 関係者の話から、全て事実であることを確認しています。
それは、祖母に連れられて初めて東京の親戚へ行った時のこと。
幼児らしからぬ鷹揚さが気に入られたのか、これを皮切りに10歳頃まで、夏休みには毎年、兄弟のうち僕だけが東京へ行くことになったのです。
お世話になった親戚宅は23区内の繁華な某駅前にあるエレベーター付きの5階建てビルで、隣は全国的に知られる有名施設。
実は その親戚も結構有名で、たまに親戚宅や叔父が全国放送の TV番組に予告なく出ることもあり、海岸沿いの田舎町で暮らしていた僕にとっては眩しい存在でした。
加えて、そこから徒歩1分のところに2階建ての別棟があり、大きな電光看板が掲げられた その屋上には子供(当時大学生だった年の離れた従兄弟)が自由に使えるペントハウスがありました。
今回の CD は、従兄弟がペントハウスにあった家具調ステレオで聴かせてくれたり、後楽園ゆうえんち(現 東京ドームシティアトラクションズ)で耳にして知った曲で未購入だったものを補足購入した形です。
先ず、フォト左は〝二人の銀座〟と〝柳ヶ瀬ブルース〟が目当て。
「当時の記憶で〝Paint It Black〟や〝二人の銀座〟や〝Gone The Rainbow〟は分かるけど、何で〝柳ヶ瀬ブルース〟?」って思っていたけど、〝Gone The Rainbow〟以外は全て1966年の曲だったんですね。
だから、恐らく初めて東京へ行ったのは1966年。
以前も書いた通り、場内で売られていた真っ黒なソース焼きそば を祖母や叔母と笑いながら食べていた後楽園ゆうえんちには、これらの曲が流れていました。
〝二人の銀座〟は The Ventures(当時のインタビューで「The Beatles をどう思うか?」と訊かれた際に「楽器構成は同じだが真似をしたのは後からデビューした The Beatles の方」と豪語するほど圧倒的な人気を誇ったインストルメンタルロックバンド)作曲のカバーで、美しいメロディーが印象的。
でも、そりゃ原曲がギター演奏曲。
コードをたどって音が飛ぶ難易度の高い旋律を、和泉雅子と山内賢の2人が懸命にデュエットしています。
地下鉄、高速道路、東京タワー、ビル街、ネオン ・・・ そんな景色とともに記憶に刻まれた この曲は、僕にとって「ザ・東京」・・・ 当時の東京そのものなのです。
そう言えば丁度その頃、故郷のオモチャ屋で〝スモッグ〟というプラモデルが売られていました。
箱の絵は覚えていないものの、黒灰色ボディのロボット。 口はごく短いメガホンのような円筒形をしていたので、「大気汚染物質たっぷりの ばい煙を吹き出して街を襲うんだろう」などと解釈していました。
いやいや、やっぱり箱の絵をしっかり見ていたのかも。
続いて、フォト右は〝Poupée de cire, poupée de son〟と〝L'amour est bleu〟が目当て。
〝Poupée de cire, poupée de son〟は1965年のフレンチ・ポップ。
僕の中でベスト20には入る、メロディ良し、コード進行良し、歌良し、演奏良しの傑作で、ちょっと酔っていたら、ひょっとして涙が出るかも。
日本では〝夢見るシャンソン人形〟としてヒットしたこの曲のオリジナルタイトル〝Poupée de cire, poupée de son〟は、日本語訳で「蝋人形 おが屑(木屑)人形 = おが屑を詰めものに使った蝋人形」。
数多くの歌手がカバーしたこの曲の歌詞は次の通り「夢見るシャンソン人形…」などではありません。
私は蝋人形 中身はおが屑なの
私の心は歌の中に刻みこまれているの
蝋人形 中身はおが屑なの
客間にある人形よりいい? それとも悪い?
私 世界をバラ色の眼鏡をかけて見てる
私は蝋人形 中身はおが屑なの
私のレコードは鏡なの
その中に誰もが
歌っている私を見ることができるの
私はどこにでも同時にいるわ
声は引きちぎられているのよ ばらばらでこわれそう
私のまわりで ぼろきれの人形が笑うのが聞こえるわ
彼女たち 私の歌にあわせて踊ってる
私は蝋人形 中身はおが屑なの
あの娘たちは されるがまま
いいとか悪いとか 言ってもらうために
恋は歌の中だけじゃないのに
私は蝋人形 中身はおが屑なの
ひとりで ときどきため息をつくわ
わけもなく恋の歌を歌って なんになるのって
男の子の事 知らないくせに
私はただの蝋人形 中身はおが屑なの
太陽のような金色の髪の
私は蝋人形 中身はおが屑なの
でもいつか 自分の歌のように生きるつもりよ
私は蝋人形 中身はおが屑なの
男の子たちの情熱を怖れないでね
私は蝋人形 中身はおが屑なの
歌詞の真意については「若くて歌詞の意味さえ分からずに歌っている中身のないアイドル歌手を皮肉ったもの」とか「アイドル歌手を中身のない人形(=道具)として思うがままに動かす音楽業界への皮肉」等々、様々な解釈があります。
この曲を歌った Isabelle Geneviève Marie Anne Gall(France Gall)は後年このことに気づき、この曲を歌うことを好まなかったとか。
そんな背景も、この曲の切なさを募らせます。
〝L'amour est bleu(英題:Love Is Blue)〟は1967年のフレンチ・ポップ。
この曲も、メロディ良し、コード進行良しの傑作。
Vicky Leandros が力強い声で歌う この曲は、フランスの香りが濃い。
翌年の1968年に Paul Mauriat がリリースしたインストルメンタルバージョンが原曲を上回る大々ヒットとなったことから、日本人には こちらの方が馴染みがあるでしょう。
この曲も〝Poupée de cire, poupée de son〟同様、数多くのカバーがある超有名曲ですね。
尚、偶然〝Let's Live for Today〟(1967年リリース)も収録されていました。
日本でも、ザ・テンプターズが〝今日を生きよう〟という和訳タイトルでリリースした名曲で、サビの部分はフォーリーブスの〝踊り子〟にも使われていました。
収録されていることを知らずに買って、何だかとっても得した気分♪
1966年以降に東京で耳にした〝二人の銀座〟〝Poupée de cire, poupée de son〟〝L'amour est bleu〟〝Paint It Black〟〝Gone The Rainbow〟〝Let's Live for Today〟は、今も僕を支配する「切なさ=締め付けられるような心の痛み」という感覚を芽生えさせたルーツなんだろう。
因みに、僕は保育園入園頃からはっきりとした記憶があり、後日 関係者の話から、全て事実であることを確認しています。
それは、祖母に連れられて初めて東京の親戚へ行った時のこと。
幼児らしからぬ鷹揚さが気に入られたのか、これを皮切りに10歳頃まで、夏休みには毎年、兄弟のうち僕だけが東京へ行くことになったのです。
お世話になった親戚宅は23区内の繁華な某駅前にあるエレベーター付きの5階建てビルで、隣は全国的に知られる有名施設。
実は その親戚も結構有名で、たまに親戚宅や叔父が全国放送の TV番組に予告なく出ることもあり、海岸沿いの田舎町で暮らしていた僕にとっては眩しい存在でした。
加えて、そこから徒歩1分のところに2階建ての別棟があり、大きな電光看板が掲げられた その屋上には子供(当時大学生だった年の離れた従兄弟)が自由に使えるペントハウスがありました。
今回の CD は、従兄弟がペントハウスにあった家具調ステレオで聴かせてくれたり、後楽園ゆうえんち(現 東京ドームシティアトラクションズ)で耳にして知った曲で未購入だったものを補足購入した形です。
先ず、フォト左は〝二人の銀座〟と〝柳ヶ瀬ブルース〟が目当て。
「当時の記憶で〝Paint It Black〟や〝二人の銀座〟や〝Gone The Rainbow〟は分かるけど、何で〝柳ヶ瀬ブルース〟?」って思っていたけど、〝Gone The Rainbow〟以外は全て1966年の曲だったんですね。
だから、恐らく初めて東京へ行ったのは1966年。
以前も書いた通り、場内で売られていた真っ黒なソース焼きそば を祖母や叔母と笑いながら食べていた後楽園ゆうえんちには、これらの曲が流れていました。
〝二人の銀座〟は The Ventures(当時のインタビューで「The Beatles をどう思うか?」と訊かれた際に「楽器構成は同じだが真似をしたのは後からデビューした The Beatles の方」と豪語するほど圧倒的な人気を誇ったインストルメンタルロックバンド)作曲のカバーで、美しいメロディーが印象的。
でも、そりゃ原曲がギター演奏曲。
コードをたどって音が飛ぶ難易度の高い旋律を、和泉雅子と山内賢の2人が懸命にデュエットしています。
地下鉄、高速道路、東京タワー、ビル街、ネオン ・・・ そんな景色とともに記憶に刻まれた この曲は、僕にとって「ザ・東京」・・・ 当時の東京そのものなのです。
そう言えば丁度その頃、故郷のオモチャ屋で〝スモッグ〟というプラモデルが売られていました。
箱の絵は覚えていないものの、黒灰色ボディのロボット。 口はごく短いメガホンのような円筒形をしていたので、「大気汚染物質たっぷりの ばい煙を吹き出して街を襲うんだろう」などと解釈していました。
いやいや、やっぱり箱の絵をしっかり見ていたのかも。
続いて、フォト右は〝Poupée de cire, poupée de son〟と〝L'amour est bleu〟が目当て。
〝Poupée de cire, poupée de son〟は1965年のフレンチ・ポップ。
僕の中でベスト20には入る、メロディ良し、コード進行良し、歌良し、演奏良しの傑作で、ちょっと酔っていたら、ひょっとして涙が出るかも。
日本では〝夢見るシャンソン人形〟としてヒットしたこの曲のオリジナルタイトル〝Poupée de cire, poupée de son〟は、日本語訳で「蝋人形 おが屑(木屑)人形 = おが屑を詰めものに使った蝋人形」。
数多くの歌手がカバーしたこの曲の歌詞は次の通り「夢見るシャンソン人形…」などではありません。
私は蝋人形 中身はおが屑なの
私の心は歌の中に刻みこまれているの
蝋人形 中身はおが屑なの
客間にある人形よりいい? それとも悪い?
私 世界をバラ色の眼鏡をかけて見てる
私は蝋人形 中身はおが屑なの
私のレコードは鏡なの
その中に誰もが
歌っている私を見ることができるの
私はどこにでも同時にいるわ
声は引きちぎられているのよ ばらばらでこわれそう
私のまわりで ぼろきれの人形が笑うのが聞こえるわ
彼女たち 私の歌にあわせて踊ってる
私は蝋人形 中身はおが屑なの
あの娘たちは されるがまま
いいとか悪いとか 言ってもらうために
恋は歌の中だけじゃないのに
私は蝋人形 中身はおが屑なの
ひとりで ときどきため息をつくわ
わけもなく恋の歌を歌って なんになるのって
男の子の事 知らないくせに
私はただの蝋人形 中身はおが屑なの
太陽のような金色の髪の
私は蝋人形 中身はおが屑なの
でもいつか 自分の歌のように生きるつもりよ
私は蝋人形 中身はおが屑なの
男の子たちの情熱を怖れないでね
私は蝋人形 中身はおが屑なの
歌詞の真意については「若くて歌詞の意味さえ分からずに歌っている中身のないアイドル歌手を皮肉ったもの」とか「アイドル歌手を中身のない人形(=道具)として思うがままに動かす音楽業界への皮肉」等々、様々な解釈があります。
この曲を歌った Isabelle Geneviève Marie Anne Gall(France Gall)は後年このことに気づき、この曲を歌うことを好まなかったとか。
そんな背景も、この曲の切なさを募らせます。
〝L'amour est bleu(英題:Love Is Blue)〟は1967年のフレンチ・ポップ。
この曲も、メロディ良し、コード進行良しの傑作。
Vicky Leandros が力強い声で歌う この曲は、フランスの香りが濃い。
翌年の1968年に Paul Mauriat がリリースしたインストルメンタルバージョンが原曲を上回る大々ヒットとなったことから、日本人には こちらの方が馴染みがあるでしょう。
この曲も〝Poupée de cire, poupée de son〟同様、数多くのカバーがある超有名曲ですね。
尚、偶然〝Let's Live for Today〟(1967年リリース)も収録されていました。
日本でも、ザ・テンプターズが〝今日を生きよう〟という和訳タイトルでリリースした名曲で、サビの部分はフォーリーブスの〝踊り子〟にも使われていました。
収録されていることを知らずに買って、何だかとっても得した気分♪
1966年以降に東京で耳にした〝二人の銀座〟〝Poupée de cire, poupée de son〟〝L'amour est bleu〟〝Paint It Black〟〝Gone The Rainbow〟〝Let's Live for Today〟は、今も僕を支配する「切なさ=締め付けられるような心の痛み」という感覚を芽生えさせたルーツなんだろう。