脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Its bugging me! 지겨워 うざい

2020-01-15 | Weblog
「言っていることが結果的にでたらめかうそ」
悪い人でもないのだろうが、言っていることが結果的にでたらめかうそになる人間、言うことも正論を言っているようだが、しかしまわりが納得していない。こういう人間はたいした知識もなく、あいてを丸め込むような言い方をしてくるのだが、誠実な人は寡黙である。たいした教養もないのにわかったようにべらべらとまくしたてる人間は信じて結果的にはいいことはないので、相手にしない方が懸命だ。

「知っていると言うことでマウントをとる人間」
知っていると言うことが賢いことだと思い、それでマウントをとろうとする人間、本当にうざい。こういう人間のソースは往々にして漫画かテレビ、その程度の内容でも知っていると言うことをちけひらかして、俺は賢いんだと勘違い。でもそういう知っていると言うことをちけひらかすだけでは話につながりがないし、おもしろくもない、本当に賢い人は思考できるから話がおもしろく、興味がもてるのであって、ただ知っていると言うことを言うだけなら子供でもできる。大事なのは思考する能力、知識をたくさん蓄えて、思考して話をするからこそためになる面白いはなしができる。ただ知っていると言うことをいうのとはまったく違う。思考すると言うことは大事なことだ、それが正しいかどうか、適切か不適切かと言うのは思考するからこそわかることであって、それはコミュニティの質を問う上でも大事なことだ。

「みんながみんなそうじゃないと言う人間」
人間は社会的動物である。ゆえに基準と言うものを持って生きている。ド派手な格好で改造車にのって武勇伝でマウントをとろうとする人間にろくな人間はいないと言ったらみんながみんなそうじゃないのではなくて、大事なのは正しさの基準を持っているかどうかということ、そのコミュニティによって違いはあるのだろうが、うちのクラブに来たらわかると思うのだが、そういう類の人間はほぼいない。それはうちのクラブにはある程度正しさの基準と言うものが存在するからだ。どういう人が集まっているかと言うこと=そのクラブの質である。私はうさんくさい集団はグレーゾーンが多いと理解しているが、それはきちんとした哲学や思想がないからだ。しっかりとした哲学をもてばきちんとした人たちが集まってくる。そして結果的に秩序が保たれてまわりの人間も安心してトレーニングできる。張り子の虎のような威厳やアホなルールでそのコミュニティを運営するのは愚かで、そういう群れにはそれなりの人間しか集まってこない、大人が集まってくるコミュニティを形成するにはしっかりとした考え方を持って、これはおかしいだめだという正しさの基準を持つことが必要だと思っている。


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