共同体感覚と言う言葉を知っているだろうか。これは共同体の一員として意識し、その共同体のために働く精神、ひいて言えば自己の利益の追求だけではなく、他者に貢献することで幸せだと感じる感覚である。しかしこのことを感じるにはその共同体に安心感がなければだめだ。ひとりびとりのことをよく知って、リスペクトし、ここに来たら自分は大事にされていると言う安心感をもつことで他者へのいたわりや余裕が出てくる。
よく運動系のクラブはあいさつは基本だと言う(誰がきめたのか?)。しかしうちのクラブは子供が来てもあいさつを強要しない。状況をよく見てどう接するかと言うことを考えるのが第一である。うちではその子があいさつしないにかかわらず、まわりの大人があいさつしてくれる。来たらにっこり笑ってこんにちはと、そうしたらあいさつしなかった子供も次第にあいさつできるようになる。さらにその子がある程度成長したら、今度は同じようにそういう子供に対しても大人と同じように接することができる。今の時代はすごく複雑でコミ障的な子供も少なくはない、そういう子供にあいさつは基本だから大きな声でしろと言っても逆効果である。できない子はこちらからしてやったらいいことだ。そうすることで、徐々に心を開いて反応できるようになる。実際そのようにしたら最初はあいさつできなかった子があいさつできるようになって、やがてその子が今まで自分がしてもらったことを他人にするようになる。そういう成長の仕方のほうがただ単に親玉からおどされてあいさつしろと言うよりも正しいことだと思っている。私は時々子供に「人の顔色を見るな、堂々と生きろ」と言うが、体育会のようにそういう軍団に入ってあいさつせんかと上下関係を強要されたら人の顔色を見るようになる。大事なのはそれをすることがいいことか悪いことなのかということを自分で考えることだ。そういうことを大人やできる人から学ぶことができる共同体、ヤクザ組織のようにおいこらあいさつせんかいと強要するよりもまずこちらから手本を示してあげるのが大人の共同体であり、それが健全でポジティブな共同体の強さだと私は思っている。
私はその共同体のマイノリティは誰かと言うことを考えて、そのマイノリティが一番得になることを考えることが平等だと考えている。共同体において、まずその一番弱い部分を顧みることが全体の益であり、そのことによって安心感が得られると思っているが、人間は自分が大事にされていると感じ、その共同体につながっていると感じるならば、他者へ貢献しようとする気持ちがでてくるのだが、そうしてさらに全体がよくなっていく。できないことを責めたり、ダメだと思わない。その弱さを受け入れて助け合って励まし合って成長していくことが大事なことで、お互いがそれを認めて理解し共に支え合って行くならば、その弱さは弱さでなくなる。それはやがてエネルギーへと変えられる。さらに共同体は支え合うだけではなく、お互いを励まし合ってあるべき姿へとかえられていく。支えられるだけではなく、手本になったり、刺激になったり、自分が成長できるそういう有機的な共同体を目指しているのがうちのクラブ、そしてそのためのプライオリティはその共同体にどういう人たちが集まっているかと言うことである。