うちのクラブは毎週土曜日2時から英会話の時間がある。これは社会人が仕事でいかせるようにするため、そして英語を話せるアスリートを育成するため、友人のプロフェッサーと研究員の外国人の二人に協力してもらって持たれているクラブである。英語はもはや共通語だ、あいさつは基本と言うよりも21世紀は英語が基本、コモンランゲージである。スポーツの世界でも学校で留学生を集めてそのスポーツクラブを強化する試みがだいぶ前からなされているが、私の意見ではそこまでするんだったら監督などの責任者が英語を理解できるようにならなくてはだめ、半分外国人で海外でスポーツ経験がある私からみて、それぐらいもできないのにむやみやたらにクラブの強化で入部させるのは無責任だ。だいぶ前にある留学生が試合中に暴力をふるったということで問題になっていたが、この件に関してもちろん暴力をふるった人間はわるいが、しかしコミュニケーションが十分にとれていたかのだろうか、これがしっかりと出来ていたら、ここまでひどい結果になっていたかと疑ってしまう。スポーツはコミュニケーションが大事だ。しっかりとコミュニケーションがとれないといけない、そういう意味では共通語である英語をおぼえて互いにコミュニケーションをはかることは大事なことである。日本人は異文化交流が苦手だ。だから日本語がわからない外国人がその集団に入っていってもひとりだけぽつりと浮くと言うことはよくあることだと思う。もし私が監督でそこに日本語がわからない外国人が入って来たら、クラブの時間を30分けずって、英語なり、語学を勉強する時間を持つだろう。トレーニングを30分もけずってと思い人間もいるかもしれないが、しかしそうしてコミュニケーションをはかって一丸となっていくことはチームを強化していく上でも大事なこと、そして何よりもそのほうが教育的であり、そういうまわりの理解と協力と相手を受け入れようとする気持ちを教えるのもスポーツのひとつの目的でもあり、それがなによりもクーベルタンの言うところのオリンピズムではないかと思う。
integrationと言う言葉がある。これは日本語では差別撤廃を意味する言葉だが、もともとの言葉は統合すると言う言葉である。差別や偏見をなくすにはもともともっている考え方や性別、そして人種や宗教をひとまとめにしてそれをすべて受け入れ相手を認めたところで、話し合って差別や偏見を解決していきましょうと言うことである。私は思うそのコミュニティのよしあしをはかるのはしっかりとそこで話し合いができるか、そしてその話し合いができるレベルである。共通語を話すと言うのは物事を多面的に見れるそして広く人を受け入れることができると言うひとつのものさしにもなる。偉そうに言うがうちのクラブがおっさんや女性、外国人が生き生きとトレーニングしてくれているのは、いろいろな考え方や人種を受け入れるキャパがあるからで、これは私がバイレイシャルで共通語を話すことができるからだと思っているし、学問的に幅の広い人が多く、共通語がある程度通用するからだ。よくDQNがまとまっていい雰囲気でなどと言っているが、しかしまとまると言うのはのりや勢い、そして同じようなやつらが集まって共通の仲間意識をもつことではなく、性別や考え方、そして人種を理解して尊重してそれを受け入れることでその群れはまとまると思っているがまさにこれがintegrationであると思う。