脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

コモンセンス

2013-03-11 | Weblog
この前のブログで本を薦めるのはセンスがいると言った。
ハウツー本なんていうのは基礎的な知識がなければ意味がないし、こういう本はまず若い人に勧めるのはどうかと思う。ボクサーとしての伝記もそうだがあんなものは本とは言えない、どんな本かと立ち読みでみたら武勇伝みたいなことは書かれてあったが、そういう読者層を考えてか書いてあることは思い切り単純、たぶん刺激を与えるために書いた本と思われるが、はっきり言ってこういうものを見るよりもロッキーを見たほうがまだいい。
最近若い人たちにどういう本を読んだらいいのかと聞かれるが、わたしはそういう時1冊では不十分なので、最低でも3冊ぐらいは紹介している。

前に道徳教育について書いたが、日本の道徳教育を今の社会で教えることは非常に難しく、もし日本人の言う道徳と言うものを我々の規範の基準におくならばそれは相当センスが要求されることだと思っている。
今やグローバル社会では日本の言う道徳教育は時代錯誤である。私が考えるに今このグローバルな時代いろいろな国や習慣、民族や文化があるのだからそういうものを包括してどういう判断をしてどういう行動をとるのかと言うコモンセンスが必要であり、そういうセンスを身に着けるためにはたくさんの本を読んで、語学を学び考え方を広げて行くことが大事なことである。

慣用的な言葉に日本人の常識は世界の非常識と言う言葉があるが、日本は四方海に囲まれた島国なので、他の国の文化を受け入れてこなかった文化があり、日本人は自分たちの常識が当たり前だと考えている。

昔久しぶりにHI遊びに行った時に、友人を誘ってホテルの近くの食事に行った。
普段ローカルの人間はこういう観光地で食事をすることはないのだが、しかし今回は私の誘いでビーチ沿いのヴァイキングの店に、だいたいこういう観光地の店はたとえバイキングであっても不当にチップを要求して来るのだが、ローカルの奴が一緒ならそういう面倒くさいことにならないだろうということでそこにしたのだが、しかし日本人が多く、ある程度日本語が通用すると客は横柄になるのか、その時ある客がトラブルをおこしてしまったのだ。
どういうトラブルかと言うとその客の中にいたけばい女の集団がそのバイキングでこともあろうか、日本から持って来たインスタントみそ汁を作り出したのだ。
その時店内はみそ汁のにおいがプーンっとただよう。
日本ではおなじみのスープであるが、しかしこういう場ではそのにおいはきつく感じられ、客の中にはアメリカ本土から来た人間もいたので、その人間は露骨にいやな顔をした。
誰が言ったのかはわからないが、その時マネージャーのような人間が出てきて、彼女らに注意していた。
たぶん日本人が多く、日本語も通用するのでここが外国であるということが理解できなかったのだろう。この手の人間は注意されたら誰にも迷惑はかけていないとか、みんなやっていると開き直るが、まさにこういう失態は自分たちはどこにいるかということを考えず、周りを理解しないでとったゆえにおこったことである。
アマチュアボクシングの親玉たちもそうだ、日本ではアスリートに偉そうな態度をとっているが、世界の舞台に出るとかりてきた猫の子のように何も言えないので、なめられっぱなしだがこういうことを島国根性と言い、それはまわりの国と対比して自分たちの国を考えることができないからである。

少し話はずれるが、ある韓国人のおやじに呼び出されたことがある。
そのおやじはベトナムを経験していて、コインランドリーを経営していた。
日ごろから私のことを日本人の血が入っていて、態度がわるいのでむかついているらしく、それは私のことを呼ぶ時ぶっきらぼうに「ホ」と呼んでいたことから明らかであった。
そのおやじが私をコインランドリーの部屋に呼び出して、おもむろにあるものをどさっと置いた。
最初なんじゃと思ったが、見るとそれは日本のあるもので、それが何かと書くと悪用されたらこまるので書かないが、おやじの話によれば、そのコインランドリーは語学学校の日本人が多く利用していて、その学生たちがこのあるものを25セントの代用品としてつかって洗濯をするのだと言う。
その時おやじに「お前は日本人だからおとしまえをつけろ」みたいな理不尽なことを言われて、たぶんあの時カメラと張り紙をして事はおさまったと思うのだが、しかしその時こういう日本のあるものを使えばそれが日本人がやったということが明らかになり、日本人のイメージがわるくなる、こいつらわからなかったらいいのか、みんなやっているからやっているのかと少しさみしい気持ちになったが、こういう行動も自分たちが自分たちは外国にいると言うことを意識していないからできるのであって、、もし意識していたらこういうバカなことはやらないと思う。

コモンセンスを磨くと言うのはまさにTPOを意識しなくてはいけない。
いくらそれが日本ではゆるされることであっても、グローバル社会ではゆるされないことが多々ある。
みんなやっているからばれないだろうとか、みんなやっているからそうだなんていう考えは通用しない、外国では自分が行動していることが日本人としての行動なのだから、慎んで行動することが求められる。
そういうセンスを磨くためにも語学と言うのは必要なことであり、本を読んで頭の中身を耕し、広く知識を身に着けることは大事なことだ。
チェゲバラが国連で演説した記録があるが、その世界に向けられた演説は非常に力強いものであり、その時のチェの言葉は明らかに多くの人を魅了し説得したと思う。
彼はゲリラ戦に従事していた時でも本を話さず、絶えず読書をしていたと聞いているが、読書することで自分の考え方を絶えず広げて行くことができたから、ゲリラ社会と言う世界にとどまることなく、世界の場で人を納得させる演説ができたのかもしれない。
たぶん自分たちが持つコモンセンスと言うのも、自分たちがその文化に固執するのではなく、いろいろな方法によって絶えず考え方を広げて行くことが必要であり、コモンセンスを持つということは考え方を広げるということであるということができると思う。

しかしそういう中でもその常識が他の国から見てそうではなかっても、それが文化的かどうかということは別である。
そしてそういうことを指摘されたら意見を述べる必要がある。
例えばそばを食べるときに日本人はずるずると音を立てる。これは日本人独特の食べ方で他の国の人間からしてみたら食事中に音を立てるということはimpoliteなことでしてはいけないことである。
しかしこれは日本人の文化であるからそばを食べるときはこれをしてもimpoliteではないということができる。理由はそばを食べる時に音をたてるのは香りを楽しむことであり、これは日本人が持つ知恵の文化であるからだ。


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