脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

韓国語で9のこと

2014-03-02 | Weblog

英語は文法じゃない、社会で賢いのと勉強で賢いのとは違う、こういうことを言う人間はあまり賢い人間ではないと思う、負け惜しみでそう言っているだけで、自分たちができないからと言って、こういうことをそうたやすく言う言葉ではない。
もう何度も言っているが教育というのは非常に大事なことだ、これからの常識は運動部の奴らが言うような特定の組織に順応することではなく、ある程度人と会話できることができる教養を持つことだ、語彙や教養のレベルが違えば当然会話する内容や理解が違う、わけのわからないことを言ったり、会話が一方的になるのは会話のレベルがかみあわないからだ。
個性だの自由だの言う前に、まず人と会話できる教養を身につける必要はある、サルのような奴に限って個性だの自由だのと言うと、権利ばかりを主張するが、しかしサルトルに言わせれば人間が自由であるということは、責任が課せられるということだ。
サルみたいな奴らはこの責任が欠如している、知性を無視した個性や自由というのは単なる目立ちたがりだ、度を過ぎれば自分勝手でまわりの害になる。個性や自由を主張する前に自分たちが果たさなくてはいけない責任、義務がある、その中でも国民の三大義務のひとつの教育を受けることは最も大事なことだ。

学校の集会かPTAかよくわからないが、そういう集まりで、自分は教育のことはよくわからないと言って、わけのわからないことを話す人間がいる。
わからなかったらしやべるなと言いたいが、こう言う奴に限って、言わせてもらえる会では言いたいことをずけずけと言う。
これは私の友人が行っていたのだが、ある親が教師と親の会合で、自分たちの古き良き時代を振り返ってか、とにかく昔はこうだったということを言っていたらしい。
そいつが言うには昔の教師はもっと豪快で生徒ともっとふれあっていた、それに比べて今の教師はなどと偉そうに説教をするような感じで、たいした教養もないのに言っていたのだが、そいつも結局俺は教育のことをよくわからんがと言っていたらしい。
しかしわからなかったら話す権利はない、こういう無知な人間がなんの理解もなしにいいたいことを言えば間違いなく害になる。言葉はわるいが無知な奴がこういう場で堂々と話すことほどまともではない、自分がわからないと思ったら堂々と発言するのではなく、質問する、それはこう言う場で話し合いをする上でのルールのようなものだが、無知だと質問の仕方さえもわからない、こういう人間が言わせてもらえるからと傍若無人にふるまいルールをかき乱すのだ。
何を話すにしても、ある程度の教養を身につけれなければ、相手と同じ土俵に立てない、教養を身につけることは相手を知り理解すると言うことで、私はそれが現代における常識だと思っている。
さらに常識というのは英語ではコモンセンスだが、しかしこの言葉は日本語で言うところの常識とは違う、あえて言うならばバランスだ、バランスというのは物事を正しいかそうでないかということを判断できる能力のことで、フランス語では「bon sens」それはまさに社会人としての健全な判断力のことで、教養を身に付け言葉を学ぶことで養われるものだ。
そういうことが積み重ね養われたバランス感覚が、人間関係において重要なことで、特に日本の常識が通用しないグローバル社会では、まさにこういうバランス感覚を持つことは大事なことだ、そう言ったバランス感覚を養うために学校で机に座って勉強をするそれは当たり前のことである。

前にある学校の説明会を頼まれて聞きに行った時の話だ、私はかなり手厳しいことを行ったのだが、その学校では国際交流を盛んに行っているらしい。
まあ子供に刺激を与えるという意味ではたいへんいいことであるが、しかし大事なことは同じレベルで文化を共有できるかということだ、もちろん英語などの語学力も必要だが、歴史や自国の文化を語る知識も必要だ、わるいが偏差値がそう高くはない学校に、そういうレベルでの国際交流が望めるかが問題で、やはり国際交流といっても英語だけではなく、自分の考え方を述べ、自国の文化や歴史を語るためにはある程度の教養が求められることは確かなことだが、本当に国際交流をはかるためには、全体の学力をのばして、底上げすることも大事なことである。

アホと言う言葉の語源を知っているだろうか?あくまで韓国人の説に立っての見方であるが、アホというのは韓国語で9のことだ、9というのは10にひとつ足りない、ひとつ足りないからアホと言うわけであるが、この説は非常に的を射ている。
この前のブログではないが、シャドウボクシングで山場をつくれとか「こういった」を「こおいった」などと表現する奴は何かひとつ足りない、ひとつ足りないからアホなんだと言うことがよくわかる。同じレベルの集団ならば、多少アホなことを言っても大丈夫だが、しかしある程度良識のある人間の集まった場所では、ひとつ足りないようなバカは相手にされない。まわりも同じようなレベルだから、おかしいとも思わないのだろう。しかし平均レベルのフィルターを通したらそれはまってくおかしいこくで、指導者であるならば、せめて平均レベルの教養を身に付ける必要はある。




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