浦和レッズの試合会場で「japanease only」と掲げられていることが問題になっている。
無観客試合はいささか厳しい処罰であったと思うが、日本も国際化の波をうけてようやくこういう民族的ことが問題になることはいいことかも知れない。
前に夜中の4時ごろに二日連続で人種差別のメールを(人種差別のメールは1回だが)送ってきた、夜中に二日連続でおくってきたことから、ボクシング関係者で昼間から活動する奴と推測、そういう奴がいるとブログで書いたことがあると思う。
私はかなりシビアな意見を言うので、たぶんいたいところをつかれてはらただしい思いをしているのだろうが、しかし私はあくまで客観的に見てそうだと思うからそう表現するだけで、間違ってはいない、むしろこれはひとつの意見だと思っているが、アホは話が伝わらないので感情でとらえてしまうのだろう、それに対して人種差別発言で返すのだからこいつらの教育レベルを疑う、外に出たことがない、きちんと勉強して言葉を持たないからこういうバカな表現しかできないのだと思う。
人種間の問題は非常にデリケートな問題だ、私自身も実際にそういう経験をしているが、私がよく言われたのは「法事もできない奴」である。
何のこっちゃと思うかもしれないが、韓国人はヨクと言って人をののしる時オリジナリティの言葉を持つ、悪口にオリジナリティがあるのはこの民族ぐらいだと思っているが、法事もできないというのは祭ごとができない甲斐性のないやつと言うことで、私の場合はお前にはその権利すらないということであろう。こういう悪口には文化的背景がある。
まあ夜中にインターネットでボクシングかなんだか知らないが、自分たちだけが通用する世界での掲示板を見て喜んでいるような奴が表現する人種差別的な発言は非常に程度がひくいのだが、スポーツというのは一番いろいろな人種とかかわることが多いのだから、相手のことをよく知り、尊重しなければならない、そのため言葉を学ぶということは大事なことである。
しかし相手を知るというのは何もすべて受け入れるということではない、当然その民族を知ることで、受け入れることはできない、合わないということがよくわかることもあるのだが、日本人の場合は合わないとか受け入れれないという時それが非常に感情的であったり、自分たちのルールから見てということは往々にしてあることだ、おそらくその背景には民族的なアイデンティティがかけているので、その好き嫌いもはっきりと主張できないからあいまいになっているのだが、例えばイスラム国の人間は豚肉を食べない、安息日がある、おまけにむちうちという人権を無視した刑罰があるが、これらはイスラムのコーランによって定められている、彼らの文化であるが、こういう宗教的文化は世界的によく知られていることであり、その文化を通用させているが、これは彼ら彼女らがたとえ宗教的な背景があるにせよ自分たちの文化をしっかりと主張し認めさせているからである。
一方日本人の場合、合わせることばかり求められて、日本文化というものが浸透していない、日本文化というものをはっきりと主張できないから、ただ周りに合わせて行動することが国際化だと勘違いしている感があるが、これではただふりまわされているだけだ、これからは言葉をおぼえることと同時に自分たちの文化をしっかり学び、その文化から見てこれはできない、うけいれることができないということを主張をすること、Japanese Wayを通すことも大事なことだと思う。
大陸は侵略があって、侵略されるたびに自分たちの文化をふみにじられて来たという経験があるので、文化をこわすな、これは自分たちの文化だということをはっきりと主張すれば、区別の領域で片付けられることもあるだろう、米作りなんていうのはもともと宗教的なことと関係しているのであるから、そういうことを関連付けて外米の流入をふせぐことも可能であろう、まあこの例は唐突な例だが、しかし我々がもっと言葉をおぼえて、文化を知ることで、大事なものが見え始めるのではないだろうか?
だいぶ昔にあるアパートに引っ越してきた韓国人と日本人の間でちょっとしたトラブルがあった、韓国では借りた家を勝手に模様替えしてもいいというルールがあって、たぶん部屋のカベなどの色をかえるのはOKなのだが、どうやら彼はその壁の色をみどりだか青だかは忘れたが、そういう色にしてしまったのだ。
その時私は仲裁に入っていて、壁の色をかえたらダメだというと、いやいや向こうでは当たり前だという、しかしここは日本だと言っても平行線をたどるのでこう言った。
確かに向こうではそれぐらいはたいしたことがない、むしろ寛容とも言えるケンチャナヨの精神でから見たら心の狭いことかもしれない、がしかし日本人は他人と人との間には距離があって、たとえ大家と借りた人の間にも距離がある、日本人の場合は人から借りたものは、他人のものだから大事に扱わなくてはならないという遠慮というものあって、これが日本人の文化だ、だから君もそのことをよくわかってほしいと言ったのだが、意外にもこの説得は納得がいったようで、その後トラブルはなかったようである。 外国人がなんでこんなことをするんだろうということは実は文化的背景が多く、その文化的背景を無視して、ここは日本だからと遮断するから問題がおきる、阻害されたと思われるのだが、それが文化と文化の話し合いになれば、ちと話が違ってくるのではないかと思っている。
これからは日本にも多くの外国人が生活してきているので、いろいろな文化とかち合うこともしばしばあるであろう、特にスポーツはそういう機会が多いので、言葉や宗教さらに文化史などの勉強をする必要はあると思う。
最近悲しいことにうちの子供は韓国人はわるい民族だと思い始めてきている、おそらくネットなどの影響からか、掲示板などを見たらいろいろと書かれてあって、言われてもしかたがないこともあるし、それはお互い様だと思うが、しかし民族をさげずんだり否定するようなコメントは控えたほうがいいと思う。
私は子供にはっきり言っていいことは客観的にそれがそうだと言えることだ、客観的に正しいことだったら人にきらわれようがはっきりということが大事だ、ただし客観的に物事を考えるためには、しっかりと勉強しなければならない、そして絶対に民族を否定したり、さげずんだりするような言葉を口にしてはいけないと言っている。
無観客試合はいささか厳しい処罰であったと思うが、日本も国際化の波をうけてようやくこういう民族的ことが問題になることはいいことかも知れない。
前に夜中の4時ごろに二日連続で人種差別のメールを(人種差別のメールは1回だが)送ってきた、夜中に二日連続でおくってきたことから、ボクシング関係者で昼間から活動する奴と推測、そういう奴がいるとブログで書いたことがあると思う。
私はかなりシビアな意見を言うので、たぶんいたいところをつかれてはらただしい思いをしているのだろうが、しかし私はあくまで客観的に見てそうだと思うからそう表現するだけで、間違ってはいない、むしろこれはひとつの意見だと思っているが、アホは話が伝わらないので感情でとらえてしまうのだろう、それに対して人種差別発言で返すのだからこいつらの教育レベルを疑う、外に出たことがない、きちんと勉強して言葉を持たないからこういうバカな表現しかできないのだと思う。
人種間の問題は非常にデリケートな問題だ、私自身も実際にそういう経験をしているが、私がよく言われたのは「法事もできない奴」である。
何のこっちゃと思うかもしれないが、韓国人はヨクと言って人をののしる時オリジナリティの言葉を持つ、悪口にオリジナリティがあるのはこの民族ぐらいだと思っているが、法事もできないというのは祭ごとができない甲斐性のないやつと言うことで、私の場合はお前にはその権利すらないということであろう。こういう悪口には文化的背景がある。
まあ夜中にインターネットでボクシングかなんだか知らないが、自分たちだけが通用する世界での掲示板を見て喜んでいるような奴が表現する人種差別的な発言は非常に程度がひくいのだが、スポーツというのは一番いろいろな人種とかかわることが多いのだから、相手のことをよく知り、尊重しなければならない、そのため言葉を学ぶということは大事なことである。
しかし相手を知るというのは何もすべて受け入れるということではない、当然その民族を知ることで、受け入れることはできない、合わないということがよくわかることもあるのだが、日本人の場合は合わないとか受け入れれないという時それが非常に感情的であったり、自分たちのルールから見てということは往々にしてあることだ、おそらくその背景には民族的なアイデンティティがかけているので、その好き嫌いもはっきりと主張できないからあいまいになっているのだが、例えばイスラム国の人間は豚肉を食べない、安息日がある、おまけにむちうちという人権を無視した刑罰があるが、これらはイスラムのコーランによって定められている、彼らの文化であるが、こういう宗教的文化は世界的によく知られていることであり、その文化を通用させているが、これは彼ら彼女らがたとえ宗教的な背景があるにせよ自分たちの文化をしっかりと主張し認めさせているからである。
一方日本人の場合、合わせることばかり求められて、日本文化というものが浸透していない、日本文化というものをはっきりと主張できないから、ただ周りに合わせて行動することが国際化だと勘違いしている感があるが、これではただふりまわされているだけだ、これからは言葉をおぼえることと同時に自分たちの文化をしっかり学び、その文化から見てこれはできない、うけいれることができないということを主張をすること、Japanese Wayを通すことも大事なことだと思う。
大陸は侵略があって、侵略されるたびに自分たちの文化をふみにじられて来たという経験があるので、文化をこわすな、これは自分たちの文化だということをはっきりと主張すれば、区別の領域で片付けられることもあるだろう、米作りなんていうのはもともと宗教的なことと関係しているのであるから、そういうことを関連付けて外米の流入をふせぐことも可能であろう、まあこの例は唐突な例だが、しかし我々がもっと言葉をおぼえて、文化を知ることで、大事なものが見え始めるのではないだろうか?
だいぶ昔にあるアパートに引っ越してきた韓国人と日本人の間でちょっとしたトラブルがあった、韓国では借りた家を勝手に模様替えしてもいいというルールがあって、たぶん部屋のカベなどの色をかえるのはOKなのだが、どうやら彼はその壁の色をみどりだか青だかは忘れたが、そういう色にしてしまったのだ。
その時私は仲裁に入っていて、壁の色をかえたらダメだというと、いやいや向こうでは当たり前だという、しかしここは日本だと言っても平行線をたどるのでこう言った。
確かに向こうではそれぐらいはたいしたことがない、むしろ寛容とも言えるケンチャナヨの精神でから見たら心の狭いことかもしれない、がしかし日本人は他人と人との間には距離があって、たとえ大家と借りた人の間にも距離がある、日本人の場合は人から借りたものは、他人のものだから大事に扱わなくてはならないという遠慮というものあって、これが日本人の文化だ、だから君もそのことをよくわかってほしいと言ったのだが、意外にもこの説得は納得がいったようで、その後トラブルはなかったようである。 外国人がなんでこんなことをするんだろうということは実は文化的背景が多く、その文化的背景を無視して、ここは日本だからと遮断するから問題がおきる、阻害されたと思われるのだが、それが文化と文化の話し合いになれば、ちと話が違ってくるのではないかと思っている。
これからは日本にも多くの外国人が生活してきているので、いろいろな文化とかち合うこともしばしばあるであろう、特にスポーツはそういう機会が多いので、言葉や宗教さらに文化史などの勉強をする必要はあると思う。
最近悲しいことにうちの子供は韓国人はわるい民族だと思い始めてきている、おそらくネットなどの影響からか、掲示板などを見たらいろいろと書かれてあって、言われてもしかたがないこともあるし、それはお互い様だと思うが、しかし民族をさげずんだり否定するようなコメントは控えたほうがいいと思う。
私は子供にはっきり言っていいことは客観的にそれがそうだと言えることだ、客観的に正しいことだったら人にきらわれようがはっきりということが大事だ、ただし客観的に物事を考えるためには、しっかりと勉強しなければならない、そして絶対に民族を否定したり、さげずんだりするような言葉を口にしてはいけないと言っている。