脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

見れなかった桜 2

2011-03-24 | Weblog
実は彼女にはひとつこころ残りがある。それは桜が見たいと言っていたのだがその桜が見れなかったことである。
桜が見たいから高知城に連れて行ってくれと言われていたので、今週末には行くかということだったのだが、せめてあと2週間滞在で来たら桜も見れただろう。
よく外国人に日本に来て何がしたいかというと桜が見たいと言う。
人によってはいつ頃咲くかと言う情報を聞いて、その時期にあわせてくる人もいるが日本の桜は外国人から見れば実にあざやかで美しい花で、ああいうタイプの花はまず外国にはないと思っている。
よく外国人は日本人を曖昧だと言うが、しかしこの桜もいつ咲くのかわからない、季節も寒いのか暖かいのか分からない時期に咲き始めるのであるが、そう考えるとかなり曖昧な花である。
しかし桜はその曖昧であるからこそ美しいとも言える。
チューリップやダリヤなどの色鮮やかな美しさこそないが、しかし彼らはその曖昧さの中でしっかりとした存在感のある花で、それは日本人の言う曖昧さの中にある謙遜さということを表している。
よく外国人は日本人は曖昧だと言うが、しかしその曖昧さは人を傷つけたくないという気持ちの表れで、ある意味我々の持つ文化でもあるが、まさに桜と言うのは我々日本人の心を象徴している。

アリン去って、部屋にレポートがのこされていた。それは半年間の様子をまとめてその局にだすはずであったレポートであるが、そこにはこう書かれてあった。
「日本に来て半年間の中で一番楽しかったことは何か?」
「日本に来て一番楽しかったことはひとつもない。なぜなら毎日が楽しかった」
今震災によってたくさんの命が失われていった。それらのすべては生きたいのに生きれなかったという命であり、それらは悔やんでも悔やみきれない尊い命である。
私は神戸と東北の大地震を見ているが、そのことを通して思わされることは、人間の命のはかなさと、そして今ここに自分がいるのは生きていると言うよりも生かされているということであり、われわれはその生かされている人生を一生懸命生きなくてはならないということである。
「毎日が楽しかった」それは彼女がこの日本で自分なりに精一杯生きたあかしであると思う。
毎日が楽しかったからこそ、別れがつらく、なごり惜しい、しかしそういう経験を経て彼女らの年代は強くたくましくなっていくのだろう。
今回この大地震を経験して、子供たちはいろいろなことを感じた。
災害のこわさ、人間の命のはかなさ、そしてそのことによってひきはなされていくと言ってもいい別れのつらさ。
どういうわけかあれからうちの子供は地震に興味を持ち、いろいろなことを調べボランティアにも積極的に関心を持っている。
地震のことをもっと学びたいと言っていたが、たぶんそれはこういう経験を通して自分が何か役に立ちたいと言う気持ちになったんだと思っている。
アリンが去った日、高知は珍しく雪が降っていた。今日彼女がかえると言うことを知っていた会員が、あっ雪が降っていますよ。まさに彼女がかえった後のなごり雪ですねと言っていたが、パリっ子らしい粋な別れであった。
韓国語で素敵だと言う言葉はモシッソヨと言ってそれは直訳すれば、粋があると言う言葉だが、まさにそれは粋のある帰国であった。
たぶん次会えるのは夏だろうか。9月には彼女は16歳で高校3年生になるらしい。
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