今日は私が監督から影響を受けた言葉を紹介したい。影響を受けたのは昔のことなので多少のデフォルメはあるがご容赦願いたい。
「日常のちょっとしたところでへりくだって相手に示す思いやり、それがエチケットだと思う。」
これは直接監督が言ったことではないが、たぶん自分たちに教えようとしたエチケットはこういうことなんだと思っている。運動系の人は礼儀とか言うけれども、自分本位で形式的である。うちのクラブでは運動系の礼儀よりもエチケットを重んじる。いくらでかい声であいさつができても、ジムででかい声をは出すことはむしろ迷惑で、委縮する女性もいる。カーッと来てけんかごしのスパーリング、裸で汗をまき散らしてトレーニングをしたり、女性や子供がこわがるような威圧的なトレーニングははっきり言って害である。ミットも実戦練習も優先されて自分のやりたいことを全部やって余裕があって相手に譲るのではなく、誰がジムではマイノリティなのかということを考えて、そういう人たちを優先に考えて相手に譲ることがジムのエチケットで、そういう思いやりがジムの秩序をよくしていくものであり、平等であると考えている。
「民族も違う、文化も違う人間たちを一つにまとめる力、それが言葉の力だ。」
私が言葉を勉強しろ、哲学をもてということはそういうことだ。日本人は単一民族なので何となく考えていることがわかるし、共通をたくさん持つが、USAには人種や文化そして宗教も違う民族がひしめきあって生きている。そういう中で国民をひとつにまとめていくのは言葉の力である。言葉は力だ。大統領の演説にあれだけ人が心を動かされるのはまさに言葉にはそういう力があるからだろう。私が感銘をうけた演説はケネディの就任した時の演説である。当時のアメリカはベトナム戦争や人種差別などの問題があって、さらにヨーロッパ諸国が台頭してきた。そういう中で彼はニューフロンティア政策をかかげ、より良い世界を築くための自発的な行動を国民に訴えた。 ケネディはニューフロンティア政策のために、国民に犠牲をしいたわけであるが、しかしそれでも国民は一致団結してあの混沌な時代をたえて、乗り越えてアメリカが栄華を誇ることはできたのはまさにその彼の言葉の力のよるものだと思う。私の感想では日本の政治家は言葉のこわさをよく知っているが、しかし言葉の力を信じていない。言葉は力だ、語られる言葉によって人は励まされ、勇気づけられる。私が言葉や哲学を勉強し続けるのは、その言葉の力を信じているからだ。
「日常のちょっとしたところでへりくだって相手に示す思いやり、それがエチケットだと思う。」
これは直接監督が言ったことではないが、たぶん自分たちに教えようとしたエチケットはこういうことなんだと思っている。運動系の人は礼儀とか言うけれども、自分本位で形式的である。うちのクラブでは運動系の礼儀よりもエチケットを重んじる。いくらでかい声であいさつができても、ジムででかい声をは出すことはむしろ迷惑で、委縮する女性もいる。カーッと来てけんかごしのスパーリング、裸で汗をまき散らしてトレーニングをしたり、女性や子供がこわがるような威圧的なトレーニングははっきり言って害である。ミットも実戦練習も優先されて自分のやりたいことを全部やって余裕があって相手に譲るのではなく、誰がジムではマイノリティなのかということを考えて、そういう人たちを優先に考えて相手に譲ることがジムのエチケットで、そういう思いやりがジムの秩序をよくしていくものであり、平等であると考えている。
「民族も違う、文化も違う人間たちを一つにまとめる力、それが言葉の力だ。」
私が言葉を勉強しろ、哲学をもてということはそういうことだ。日本人は単一民族なので何となく考えていることがわかるし、共通をたくさん持つが、USAには人種や文化そして宗教も違う民族がひしめきあって生きている。そういう中で国民をひとつにまとめていくのは言葉の力である。言葉は力だ。大統領の演説にあれだけ人が心を動かされるのはまさに言葉にはそういう力があるからだろう。私が感銘をうけた演説はケネディの就任した時の演説である。当時のアメリカはベトナム戦争や人種差別などの問題があって、さらにヨーロッパ諸国が台頭してきた。そういう中で彼はニューフロンティア政策をかかげ、より良い世界を築くための自発的な行動を国民に訴えた。 ケネディはニューフロンティア政策のために、国民に犠牲をしいたわけであるが、しかしそれでも国民は一致団結してあの混沌な時代をたえて、乗り越えてアメリカが栄華を誇ることはできたのはまさにその彼の言葉の力のよるものだと思う。私の感想では日本の政治家は言葉のこわさをよく知っているが、しかし言葉の力を信じていない。言葉は力だ、語られる言葉によって人は励まされ、勇気づけられる。私が言葉や哲学を勉強し続けるのは、その言葉の力を信じているからだ。