脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

暴力とスポーツ 2 아니야

2021-08-17 | Weblog
うちのクラブは徹底的に暴力を排除しているが、特に格闘技の世界は暴力をどう管理するか=管理能力であると思っているが、しかしただ単に暴力はダメだと言うことではなく、その群れの目的な性質を見て、何が暴力を暴力たらしめるのかということをよく考えて構造的に暴力を考えて対処することが必要不可欠だと思っている。

前回言ったがクラブで起こる暴力や理不尽な指導の元凶となっているのは至上勝利主義と家父長制だ。私は日本とアメリカのスポーツ感の違いをアメリカは「競技者を競争させる」そして日本は「競技者を育てる」と言う図式で見ているが、正直この競技者を育てる、あるいは育てなければならないと言う考え方は監督たちに大きな負担をあたえているように思える。それはある意味彼ら彼女らの見栄にもつながるのだろうが、監督は強豪と呼ばれる学校程競技者を育てなければならない、そしてかつ勝たなくてはいけないと言う使命感や責任を背負わされているように見えるが、アマチュアのしかも学校の監督ぐらいでなぜそこまで負担を強いられるのかわからない。さらにクラブなども強豪と呼ばれる学校は厳しい寄宿生活をさせているところもあるようだが、何のためにそうしているのか理解できないが、中高生をそこまで管理する必要があるのだろうか。おそらくこういう管理システムにおいては家父長制と言うシステムが生きてくるのだろう。監督をお父さんと認め、お父さんの言うことは絶対的でみんなそれに従うと言うシステムは力による関係性を生み出しやすい。そういう管理化された小さい世界は暴力を容認しやすく、目的によって暴力が正当化されることもある。強くするために体罰もそうだし、格闘技のよくあるオラオラかかってこいなんて言うかわいがりなんてまさにそう、さらにコツいたり、たたいたりしてからかうのもそういう世界ではいじめではなくいじりになるが、監督がお父さんで競技者が子供、お父さんどころか皇帝のようにふるまっている監督もいるが、こういう世界はバリバリの縦社会、そういう社会では力関係が生れることは確かである。ボクシングは暴力を扱うスポーツだ「強くなることは優しくなることだ」とか「弱いものをまもれ」とかそういう子供でも言えるような陳腐な考え方を人に押し付けても意味はない。人間は基本的に弱くておろかだ。その愚かな人間が集まる社会において、どういう関係性が暴力を生み出すのかと言うことをしっかりと構造的に見て注意して管理していくことが最も大事で、暴力を生み出さない群れをつくることだと私は信じている。

ここではまず力関係をつくらない。特に体育会のような上下関係が支配すると力関係が生れてそれが暴力につながることもある。あいさつなんて会釈で十分だ、大きい声であいさつさせるなどの運動クラブ特有のパフォーマンスを排除しているのは、そういうシステムを生み出し、力関係をつくらないためだ。

うちのクラブでは毎月発展途上国の子供、特に少女が教育を受けれるように支援している団体にドネイションして支援している。タリバンをどう見るかはその人次第であるが、しかしタリバンは完全なPatriarchy(家父長制)だ。私は彼らのシステムは人間の本来の自由をうばうもので、間違っていると思う。


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