脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

친구에게서 들은 이야기  My friend told me about a certain story

2020-09-05 | Weblog
私がジウンと知り合ったのはとある場所、アレンに連れて行ってもらった時に、そのおばさんの店を手伝っていたのが彼女である。彼女は大学でビジネスを専攻していて英語、韓国語、日本語を流暢に話す。そこで意気投合した私たちはいろいろとお互いのことを話した。ボクシングをやっていると言うとへーっと冷めたように面白いと聞いてきて、そしてあるボクサーの話をしてくれた。その話は今でも鮮明におぼえているが、彼の名前はKim Deukkoo在米韓国人の間では有名なボクサーである。なぜ有名かと言うと彼はラスベガスのファイトで死んでしまったからだ。当時勢いのあったブーンブーンマンシーニと言うボクサーとの激しいなぐりあいの末、命をおとしてしまったのだが、この試合からボクシングのタイトルマッチは15ラウンドから12ラウンドになったことは有名な話だ。このストーリーはニュースなどでも取り上げられて、ドラマや映画にもなっている。ボクシングは危険だ。日本ではそういうことがあまり語られていないようだが、欧米では医師などが介入し問題を提起することで、ボクシングの在り方やルールがかわることもある。15ラウンドから12ラウンドになったのはまさにそうであるが、ヨーロッパでは子供にはボクシングさせない、米国も子供にボクシングさせることは消極的になっているが、これらはすべて医学的な見地に立って危険だと判断されるからである。ボクシングの試合にはアマチュアもリングドクターが存在しているが、私は彼ら彼女らの役割は大きいと思う。減量なんていうのもある程度の範囲をこえれば危険だし、スパーリングにおける脳のダメージなんて言うのも素人にはわからないのだから、そういう専門家の話をしっかり聞いてどの程度までやらせればいいのかということを考える必要はある。
それは医学だけではなく、子供の頭をたたくというのは倫理などの問題も含むのであるから監督や審判にはそれなりの知的レベルが求められる。新聞や本を読まない、片言の英語すらも理解できないような人間が医学的なことや倫理的なことをある程度理解して群れを管理していくなんてできないと思う。子供にボクシングさせて大丈夫かと聞いたら、軽くあてている(どの程度)あぶなくなったらとめる(あぶなくなつてからじゃあおそい)スパーリングは本人の希望次第(判断力のない子供にそういう責任をおわせない)そういう灰色の答えは非常に無責任で知的レベルをうたがわせる。
パンチをどううつかとかどうよけるかなんていうのは子供の遊びの発見のようなもので、管理者にとって大事なのはそういうことではなくて医学や倫理学に基づいてどういう見解を持つかと言うことであり、わからないことは専門官の話を聞いてそれを理解する、最近はコロナウイルスが蔓延する中どうジムを運営していくか、医学的なことなどひっくるめて、そういった問題をボクシングと言う狭い範囲の中で自分の体験だけで語るのではなく、いろいろなことを踏まえた上で総合的に判断するのが責任者の役割であると思っている。

うちのクラブではボクシングは危険だと言うことを前提としている。その上でマスボクシング(欧米では思いっきりあてないスパーリング)を中心とした実践トレーニングを行っているし、マスではカーッときて敵意むき出しで殴りかかって行くのは暴力、さらにむやみやたらにファイトーとか、アホそうな怒号をひびかせて人を煽るなんて言うことはしない。確かにモティベーションをあげてアドレナリンやドーパミンを出してハイになるトレーニングはそれなりにトレーニングの成果があるのだろうが、しかしボクシングは頭をたたくスポーツだ、平和的にトレーニングするためには、その指導者、責任者がよく考え、群れの知的レベルをあげることが必要だと思う。ボクシングのどうやったらうまくなるかなんていうのは子供の遊びのようなものだ。群れを管理するものに必要なのはまともな判断力で、それを裏付けるためにいろいろな見地から学ぶことが大事だ、私はその群れの知的レベルをあげたらある程度安全性についても考えるようになる平和なクラブになると考えている。
減量は危険だ。特に成長期にそれをさせることは絶対によくない。中には自分はどれぐらい激しい減量をしたかということを自慢げに言う人間がいる。そういうことを煽ると言うのだが、こういうバカでクズ話をまともに受けて減量はかっこいいとか、それがボクサーなんだなどと思わないこと、それは他に何も自慢できない人間のたわごとである。

これからのスポーツジムはいろいろな感覚が求められる時代だと思う。これからはスポーツしかできないと言うのは通用しない。ジムに何とも言えない半端ものや半グレみたいな人間を集めるようなことは絶対にしない、指導者がそれしかできないとか、常識や学問のレベルがひくいと必ずそういう人間たちが集まってくる。
私が文章化してジムの様子や哲学的なことを伝えているのは今現実的に起こっているコロナ問題、体罰やいじめ、その他世の中で起こっていることやこれから起こりうるであろうと言う問題に対してどう考えて対応しているかと言うことを伝えるためである。


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