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Libera - You were thereの訳

2009-11-09 | Weblog

Libera - You were there (Full Video)


Liberaという少年合唱団がいる。
「Libera」とはラテン語で「自由」とか「開放」英語の「Liberty」の語源である。彼らはHNKのドラマや映画の主題歌にもなっているので、知っている人も多いかと思う。
このLiberaであるが、友人から勧められた。
「とにかく素晴らしいから、動画で見てみろ」と。
で実際動画で検索して、はじめに「You are there」とあったので聞いてみることにした。確かに素晴らしい歌声である。彼らの歌声には神聖さを感じるが、詩の内容も宗教的であるから、子供が歌うとさらにその神聖さをひきたてるのだろう、疲れた時に聞きたくなるような歌で、ラッキーの佐藤に勧めたい。
しかしLiberaの「You were there」であるが、日本語の訳が私なりに解釈して気になる。気になるので実際アルバムを購入して聞いたが、訳者がこの歌詞を訳しきれていないのではないかと思っている。
まず気になるのは「My cares pass away」の後に「As hour by hour,and day by day」と続くのだが、この「As hour by hour」がそのように聞こえない、読んでいる人も聞いたらわかると思うが、ここは明らかにちがう言葉が使われている。
何を言っているかと言うと「Hossana」ヘブライ語で「万歳」この詩の内容からいくと「主に栄光あれ」と言ったところだろうか、私には明らかにそう聞こえる。
さらにラテン語訳もなぜそのような訳になるのか理解できない。
「Ave regina,coeorum decora,virgo ave」を「大いなる空の下、あなたに幸運あれ。美しく、素晴らしい、未来をあなたに」となっているが、これはもともと「アンティフォナ」の一文で「幸いなるかな麗しき女王よ。輝ける乙女に幸いあれ」である。
またこの歌詞の「The end of day」を一日の終わりとしているが、ここで言う「The end of day」は終わりの日と言うこと。
キリスト教では最後の審判と言うのがあるが、まさにその終わりの日について言っているのである。
たぶん最後の歌詞の「Bring me home」というのを訳しきれなかったのは、この言葉を理解しなかったところにあると思う。
おそらくこの解釈は語学的な問題ではない。
ラテン語に関しては私はかなり不服であるが、しかし私が思うに日本人がこういう宗教観と言うものをもたない結果であり、私のように宗教学を専攻しない限りは、理解できない、それは仕方がないことだと思っている。
しかしその宗教観を持たないゆえに、日本人は大きな間違いをおかすこともある。
ラテン語という言葉は、今はバティカンで使われている言葉であるが、神聖な言葉であり、このラテン語訳のバイブルは、かなり権威のあるものであるし「Ave maria」のように、聖歌としてつかわれている。
しかし、この神聖な言葉をいとも簡単にごろあわせのように、違約するというのはいただけない。しかもこれは「アンティフォナ」の一文である。
以前書いたが、ある自動車会社がイスラム圏から訴えられた。
なぜ訴えられたかと言うと、その会社がつくるタイヤの溝が、彼ら彼女らの「神」をあらわすことばであったからである。
日本人はこういう宗教観をもたないため、間違いをよくおかしてしまう。
私もよくみかけるのであるが、大聖堂の中で平気で写真をパチパチやったり、ひどい奴になると落書きまでする。
日本だと写真をとってはいけない場所では「写真をとってはいけない」というサインがあるが、しかしないからと言って、とっていいということではない、むこうでは当たり前のことである。
そのような神聖な場所であるから絶対そういう行為をしてはいけない、それがわれわれが守るべきマナーである。
昔GFがクリスマスシーズンに、学生の聖歌隊で歌うので、どうしても教会に来て欲しいと言われたことがある。
それまで何度か食事をありつきに行っていたので、二つ返事で行くことにした。
その日はクリスマスということで、少し雰囲気が違った。
「あっ、俺悪い時に来たかなあっ」と思いながらもかえるわけにもいかず、サーヴィスに参加して、彼女の歌を待った。
外国の聖歌隊ははんぱじゃなくうまい、そりゃその時まで集まって一生懸命練習するのだから、これは後で聞いた話だが、聖歌隊を指導している人も、どこかの国立の有名な音楽大学をでた人で、ボランティアで指導している。
そりゃあうまくなるはずである。
そして聖歌隊が登場し、私のGFは確か右か左の端であった。
「あっ、こいつたいしてうまくねえな」なんて思いながら、歌い始めるのを待った。
確か歌ったのは5曲ぐらい歌ったと思うが、最後に歌った歌が印象的であった。
「O holy night」という歌で、この歌はセリーヌデイオンやマライヤキャリーなんかがカバーしているので有名な曲である。
その歌が歌われる前、指揮者のような人が言った「この歌はわれわれの創造者である神と、その神がおくったイエスのために」と。
その時会場は静まり、神聖な雰囲気がまわりをつつんだ、そして彼女らは歌い始めた。
私にとってこの神聖な雰囲気ははじめて経験するものであった。
ある音楽家は歌は歌うのではなく祈りであると言ったが、まさにその聖歌隊の一生懸命、その声を神に届けようとする姿は祈りである。私はその光景に、感動をおぼえたことは確かである。
宗教観を持たない日本人にもかえっていい面はある。
しかし彼ら彼女らの信仰と言うのは、われわれの想像を越えた何かがある。
その何かをわれわれはけがすことなく、尊重しつつ付き合っていくことが大事であり、日本人はともすればこの宗教観の違いから、タブーをおかすことさえもあるのである。





 








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