脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

fac, quod rectum est, dic, quod verum est

2016-07-30 | Weblog

英語のwillの名詞は意志である。意志であるから人間が主語になると何々しますと言う意志になる。it will be rainは主語が人間ではないのでだろうと訳すがしかしwillは基本的には意志であると言うのが私の考え方である。特にi willと言うとぜひそうするとか、絶対そうすると言う意味だ。それがweになるとするでしょうぐらいでいいのだが、しかし基本的には意志が働くのがwillだ。韓国語にも一応未来形となっているが겠と言う動詞につく言葉がある。これは一人称で語れば強い意志をあらわすのだが、この感覚は英語と同じでたぶん韓国語の学習者はwillのニュアンスがよく理解できると思う。

語学をマスターすることは特にスポーツ界においては重要なことだと理解している。と言うか絶対にスポーツ指導者は短期留学でもいいからする必要があると思う。はっきり言って外に出た言ったことがない人間の言うことは本当に薄っぺらい。物事を多面的にとらえることができないのだから考えが凝り固まる。体育会の常識が黄金律みたいに思っている人間がまさにそうだが、パブロフ犬見たいに条件反射的にあいさつができるぐらいで(しかもチワーッス)礼儀正しいなんて笑止である。それよりも正しい日本語と正しい敬語をおぼえるのが先だ。言葉をまともに使えない人間はまともな社会では恥をかくだけである。同じようなレベルの人間を相手にするのならいいのだろうが、しかしスポーツクラブと言うのは子供を含めていろいろな人間が集まってくるので、ある程度日本語の能力が求められるであろう。私などはこういうコミュニティを管理するものは言葉のプロでなければいけないと思っているが、外国語を話すと言うのもまさにその必要性があるからだ。勉強しません、外の世界に出ていったことがありませんでどう人間に対応していくのだろうか。たいしたこともない実績をちけひらかして自慢話をしてそれについてくるような人間を子がいにしたり、取り巻きををつくってもりあげようとするのは非常に稚拙な手段である。クラブには子供や高学歴な人間そしてステータスの高い人間も集まってくる。まともな人は人を選ぶ、話をしていてバカだと思ったら見限られる。あのおっさんこんなアホなこと言ってたぞとか言われたり、学問的な話でついていけなかったりズレたことを言う奴、学校の話になると武勇伝やわけのわからないやんちゃ話しかできない指導者は正しく健全な群れを形成できない、群れと言うのは言葉によって形成されると言うのが私の考え方である。語彙がない、言葉や表現力にとぼしい、語学力がないとどこかでその群れはズレてくる。うちのクラブではマスなどであてられてカーッときて敵意むき出しでなぐりかかっていったり、すごい勢いでなぐりかかっていくような暴力とみなされる行為はないと言える。人がこれだけ来てロッカーに鍵がなかっても何かなくなったというようなことは今だかつてない。うちのクラブの雰囲気がよく、正しい人たちが集まっているのはきちんとその責任者を見て選んでいるからで、彼ら彼女らはいわゆるただ何となくここに集まってきたと言うような人たちではない。ここはそれしかできないボクサーが刑務所仲間をたよるように自分の居場所や人よりもアドバンテージをとれる場ではない。それなりにみんなステータスがあってある意味自分に自信と責任を持って生きている人たちが多く集っている。そういう人たちが責任者をよく見て理解してくれて助けてくれていると言うことである。そして私自身も見られているということからほぼすべての人に対応できるように教養をつむことに余念がない。彼ら彼女らにこれが自分たちのクラブの責任者だと堂々と言えるようにそういう努力はおしみなくしている。

 

 

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