Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

チャイコフスキーとスラヴ行進曲、そして消されたロシア国歌

2007-06-19 06:09:21 | ピョートル・チャイコフスキーの作品
昨日は町田に行く用事があったので、
短い距離ではあるが、町田から長津田まで歩いた。
途中、多少道に迷ったのでほぼ1時間かかった。
いつか246号線沿いに渋谷まで歩くのもいいかもしれない。
この辺りは昔のままの自然や景色が残っていていい。
趣きのある家屋や蔵なども残されている。
この日はそのあと長津田で田園都市線に乗り、
東京の船堀まで地下鉄を乗り継いで行った。

ウォーキングの途中聴いた曲はチャイコフスキーの曲、
有名なスラヴ行進曲と序曲「1812年」である。
ここでは曲の紹介というよりも、
演奏されるべき旋律を演奏しない異版が存在し、
これに政治がからむことに触れたい。


まず聴いたのは小澤征爾の指揮するCD。
これはもちろんスタンダードな演奏で悪くはない。
そのあと聴いたのが、独オイロディスクのCDで、
スラヴ行進曲はフェドセーエフが指揮し、
演奏は全ソビエト連邦放送交響楽団である。
(ドイツ語で書かれた楽団を訳すとこのようになる。)
そして、序曲「1812年」はソビエト国立交響楽団の演奏で、
指揮はコンスタン・イワノフである。

この二人の指揮者の演奏に共通して言えるのは、
旧ロシア国歌が流れず、別の旋律が代用されていることだ。
この話は有名な話で、旧ソ連時代には、
旧ロシア国歌の代わりに、別の旋律が使われていた。
グリンカの旋律が使われた版が存在するようだが、
この演奏はそれに該当するのだろうか。
録音データはないのだが、おそらく1978年頃のものだろう。
それにしても、この仕掛けはあまりも政治的である。

なんとなく気が抜けた感じのスラヴ行進曲、
ロシアの聴衆はそれをどのように感じてきたのだろう。
当たり前のように聴いてきたのか、
何でこんな風な旋律に差し替えるのか、
当時聴いていたロシアの人々はどう感じたのだろう。

イデオロギーを民衆に押し付ける国家は、
そのイデオロギーに逆に縛られるようになる。
民衆はイデオロギーを一時期の間は信じやすいが、
そのイデオロギーに飽きやすいものでもある。

それにしてもこの版はいただけないものである。
お国の事情はどうだったかわからないが、
その旋律が意味するのが歴史的にどうだったのかを
考えるべきなのであって、これを変えるということは、
自国の歴史を改竄するものになってしまう。
でも、このようなことは歴史の世界では実際多いんだなあ。
学問と政治の間を行き来しながら、政治の力によって
その一部が変えられていくことはよくある。
イデオロギーというものにとりつかれた国家はこわいもんだ。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 酒とムソルグスキー、そして... | トップ | 木星の衛星にある火山活動、... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (y cd)
2007-09-02 12:44:25
>序曲「1812年」はソビエト国立交響楽団の演奏で、指揮はコンスタン・イワノフである。

はじめまして。よろしければこのCDの品番とカプリングを教えていただけませんでしょうか。
序曲「1812年」について (おおくぼっち)
2007-09-03 21:09:22
おおくぼっちです。さっそく、質問にお答えします。
このCDの品番はEURODISC(オイロディスク)の610501-231で、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲とチャイコフスキーのイタリア奇想曲作品45、ムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」、チャイコフスキーのスラヴ行進曲作品31、ボロディンの中央アジアの草原にて、チャイコフスキーの序曲「1812年」作品49の順に入ってます。
指揮はイワノフが序曲「1812年」のみ、あとはフェドセーエフがすべて指揮しています。かなり昔に買った輸入盤なので、なかなか今はお目にかかれないかもしれません。ホームページのところに載せていますので参考にしてください。
Unknown (y cd)
2007-09-03 21:47:51
どうも有り難うございました <(_ _)>
品番等全く分からかったので大変助かりました。

コメントを投稿

ピョートル・チャイコフスキーの作品」カテゴリの最新記事