昨日は片倉町から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1963年生まれの佐村河内守の作品。
2003年に作曲した交響曲第1番<HIROSHIMA>である。
HIROSHIMAというタイトルのついた交響曲は、
大木正夫、團伊玖磨にもあるのだが、
現在HIROSHIMAと交響曲のキーワードで検索すると、
まずトップにあがって来るのが佐村河内守の作品である。
CDのライナーノートによると広島で生まれた彼は、
母親から4歳の頃から、ピアノの英才教育を受けた。
その後は作曲を独学で習得したようだ。
17歳の時から原因不明の偏頭痛に悩まされ、
聴覚障害を発症したが、ゲーム音楽などの作曲を手がけ、
徐々に脚光をあびるようになるが、完全に聴力を失ってからは、
絶対音感を頼りに作曲を続けているということである。
NHKの番組でも取り上げられたのを知っている人も多いと思います。
今回聴いたCDは大友直人指揮、東京交響楽団の演奏によるもの。
第一楽章は「運命」を表現している楽章のようで、
ティンパニと低弦による重々しい序奏から始まる。
運命を示すような鐘の音がなり、金管楽器とともに盛り上ったあと、
弦楽器によりやさしく語りかけるような主題が示される。
この主題は変形されながら、繰り返されていく。
金管楽器により盛り上がりをみせて静まったあと、
クラリネットとファゴットによるもう一つの主題が現れる。
「コラール」と題されたこの旋律は宗教的な素朴さを持っている。
その主題も変形されつつ、徐々に重層的な音楽になっていく。
ティンパニが鳴り、木管楽器が諦めとも思えるような、
けだるい感じの旋律を奏でたあと、徐々に荒々しさも現れて、
最初の主題が現れて盛り上がりをみせたあと、最後静かに終わる。
第二楽章は「絶望」を表現している楽章のようで、
ホルンなど金管楽器によるファンファーレ風の序奏で始まり、
木管楽器などが第一楽章で現れた旋律を奏でていく。
やがて弦楽器中心にゆったりとした旋律が現れ、
木管楽器により繰り返される音型が続き、
再び金管楽器によるファンファーレ風に現れたあと、
再び弦楽器中心に甘美な旋律が奏でられていく。
そのあと対位法的な展開を続け、絶望感が増していく。
木管楽器がそれをやわらげるように旋律を奏で、
それとは対照的に、金管楽器と弦楽器は現実を、
眼前に示すように痛々しい感じの音楽を奏でていく。
そして、スケルツォ的で速く荒々しい感じの音楽になる。
それは、悪魔のような凶暴性を持ち、
人間の前に立ちはだかるような超越したものを示し、
それが終わったあとは荒涼とし、空虚感を感じさせる音楽となる。
弦楽合奏はそれを慰めるように旋律を奏でていく。
そして、絶望の中でも何か希望を見出そうとする試みが見えてくる。
過去を振り返り絶望はしても、人間は明日を向いて生きていく。
希望は必ずあることを感じさせる展開である。
トロンボーンの素朴な旋律によるコラールが始まる。
それは、人間が絶望の淵に置かれても、何かを信じて、
前を向いて歩いて生きていかなければいけないという、
強い意志・信念を思わせるものである。
しかし、バックには運命を思わせる低弦の音が響く。
そして、金管楽器とティンパニが鳴り響き、
今までの人間の期待を打ちのめすかのように絶望感が増していく。
鐘の音が鳴り響き、絶望が押し寄せてくるかのようだ。
弦楽器が静かに旋律を奏でていき、低弦の音型が続いて静かに終わる。
第三楽章は、「希望」を表現している楽章のようで、
最初は荒々しい音楽が金管楽器と打楽器により奏でられて始まる。
第一楽章の主題が奏でられ、運命を感じさせるが、
それに対しあがきながらも闘争を続ける意志の強さも感じさせる。
そのあと弦楽器中心に回想的に断片的にそれまでの主題が展開されたあと、
木管楽器を中心にコラール的な旋律が繰り返される。
それは希望の光を示している感じであるが、
その後せわしない感じの弦楽器による旋律で再び不安な感じになっていく。
そのあと行進曲風に勇ましく主題が奏でられていき、
トランペットがファンファーレ風に旋律を奏でて、
音楽は荒々しさを増しながら、闘争的な音楽となる。
それは人間の心の中での葛藤のようでもある。
大きな盛り上がりをみせたところで音楽は静まり、
木管楽器がやさしく旋律を奏でて明るい希望を見せていく。
そして、金管楽器によるファンファーレが続くが、
宗教的であり、信念のように力強く響いていく。
ブルックナーの交響曲第8番を思わせるような響きである。
そのあと対位法的な手法を駆使しながら、主題は展開され、
絶望感が混じりつつ、金管楽器によるファンファーレ風の音楽のあと、
徐々に音楽は高揚していき、一つの解決を求めていこうとする。
その高揚感が終わり、静まったあと弦楽器が奏でる甘美な旋律は、
今までのことを解決するかのように澄んだ響きである。
やさしく包み込むようにハープが加わり、やがて壮大な音楽になっていく。
その音楽がやさしさにあふれているため、心を動かされる。
これほどの絶望感の中で、どうしてこのようなやさしい旋律が、
生まれてくるのだろうかと思うくらいである。
この終わりの部分はマーラーの交響曲第3番の終楽章に似ている。
鐘の音が鳴り響きながら、金管楽器により盛り上がりを見せ、
高揚したところで、最後力強く終わる。
人間は人生の中で、どこかで困難にぶち当たることがあったり、
災害に見舞われたりし、絶望を感じることがある。
自暴自棄になりそうなことがあっても、はっきりしている事実は、
それでも自分は生きていかなければならないということである。
厳しい現実の前で強く生きていく人間の意志の強さを、
そして絶望を乗り越えて、生きる勇気を伝えてくれる感じがする。
途中聴いたのは1963年生まれの佐村河内守の作品。
2003年に作曲した交響曲第1番<HIROSHIMA>である。
HIROSHIMAというタイトルのついた交響曲は、
大木正夫、團伊玖磨にもあるのだが、
現在HIROSHIMAと交響曲のキーワードで検索すると、
まずトップにあがって来るのが佐村河内守の作品である。
CDのライナーノートによると広島で生まれた彼は、
母親から4歳の頃から、ピアノの英才教育を受けた。
その後は作曲を独学で習得したようだ。
17歳の時から原因不明の偏頭痛に悩まされ、
聴覚障害を発症したが、ゲーム音楽などの作曲を手がけ、
徐々に脚光をあびるようになるが、完全に聴力を失ってからは、
絶対音感を頼りに作曲を続けているということである。
NHKの番組でも取り上げられたのを知っている人も多いと思います。
今回聴いたCDは大友直人指揮、東京交響楽団の演奏によるもの。
第一楽章は「運命」を表現している楽章のようで、
ティンパニと低弦による重々しい序奏から始まる。
運命を示すような鐘の音がなり、金管楽器とともに盛り上ったあと、
弦楽器によりやさしく語りかけるような主題が示される。
この主題は変形されながら、繰り返されていく。
金管楽器により盛り上がりをみせて静まったあと、
クラリネットとファゴットによるもう一つの主題が現れる。
「コラール」と題されたこの旋律は宗教的な素朴さを持っている。
その主題も変形されつつ、徐々に重層的な音楽になっていく。
ティンパニが鳴り、木管楽器が諦めとも思えるような、
けだるい感じの旋律を奏でたあと、徐々に荒々しさも現れて、
最初の主題が現れて盛り上がりをみせたあと、最後静かに終わる。
第二楽章は「絶望」を表現している楽章のようで、
ホルンなど金管楽器によるファンファーレ風の序奏で始まり、
木管楽器などが第一楽章で現れた旋律を奏でていく。
やがて弦楽器中心にゆったりとした旋律が現れ、
木管楽器により繰り返される音型が続き、
再び金管楽器によるファンファーレ風に現れたあと、
再び弦楽器中心に甘美な旋律が奏でられていく。
そのあと対位法的な展開を続け、絶望感が増していく。
木管楽器がそれをやわらげるように旋律を奏で、
それとは対照的に、金管楽器と弦楽器は現実を、
眼前に示すように痛々しい感じの音楽を奏でていく。
そして、スケルツォ的で速く荒々しい感じの音楽になる。
それは、悪魔のような凶暴性を持ち、
人間の前に立ちはだかるような超越したものを示し、
それが終わったあとは荒涼とし、空虚感を感じさせる音楽となる。
弦楽合奏はそれを慰めるように旋律を奏でていく。
そして、絶望の中でも何か希望を見出そうとする試みが見えてくる。
過去を振り返り絶望はしても、人間は明日を向いて生きていく。
希望は必ずあることを感じさせる展開である。
トロンボーンの素朴な旋律によるコラールが始まる。
それは、人間が絶望の淵に置かれても、何かを信じて、
前を向いて歩いて生きていかなければいけないという、
強い意志・信念を思わせるものである。
しかし、バックには運命を思わせる低弦の音が響く。
そして、金管楽器とティンパニが鳴り響き、
今までの人間の期待を打ちのめすかのように絶望感が増していく。
鐘の音が鳴り響き、絶望が押し寄せてくるかのようだ。
弦楽器が静かに旋律を奏でていき、低弦の音型が続いて静かに終わる。
第三楽章は、「希望」を表現している楽章のようで、
最初は荒々しい音楽が金管楽器と打楽器により奏でられて始まる。
第一楽章の主題が奏でられ、運命を感じさせるが、
それに対しあがきながらも闘争を続ける意志の強さも感じさせる。
そのあと弦楽器中心に回想的に断片的にそれまでの主題が展開されたあと、
木管楽器を中心にコラール的な旋律が繰り返される。
それは希望の光を示している感じであるが、
その後せわしない感じの弦楽器による旋律で再び不安な感じになっていく。
そのあと行進曲風に勇ましく主題が奏でられていき、
トランペットがファンファーレ風に旋律を奏でて、
音楽は荒々しさを増しながら、闘争的な音楽となる。
それは人間の心の中での葛藤のようでもある。
大きな盛り上がりをみせたところで音楽は静まり、
木管楽器がやさしく旋律を奏でて明るい希望を見せていく。
そして、金管楽器によるファンファーレが続くが、
宗教的であり、信念のように力強く響いていく。
ブルックナーの交響曲第8番を思わせるような響きである。
そのあと対位法的な手法を駆使しながら、主題は展開され、
絶望感が混じりつつ、金管楽器によるファンファーレ風の音楽のあと、
徐々に音楽は高揚していき、一つの解決を求めていこうとする。
その高揚感が終わり、静まったあと弦楽器が奏でる甘美な旋律は、
今までのことを解決するかのように澄んだ響きである。
やさしく包み込むようにハープが加わり、やがて壮大な音楽になっていく。
その音楽がやさしさにあふれているため、心を動かされる。
これほどの絶望感の中で、どうしてこのようなやさしい旋律が、
生まれてくるのだろうかと思うくらいである。
この終わりの部分はマーラーの交響曲第3番の終楽章に似ている。
鐘の音が鳴り響きながら、金管楽器により盛り上がりを見せ、
高揚したところで、最後力強く終わる。
人間は人生の中で、どこかで困難にぶち当たることがあったり、
災害に見舞われたりし、絶望を感じることがある。
自暴自棄になりそうなことがあっても、はっきりしている事実は、
それでも自分は生きていかなければならないということである。
厳しい現実の前で強く生きていく人間の意志の強さを、
そして絶望を乗り越えて、生きる勇気を伝えてくれる感じがする。