ミートホープによる、食肉偽装事件を覚えていますか。苫小牧の食肉業者が、牛肉100%のコロッケと表示したもの中に、豚の脳みそやニワトリの肉を混ぜていたのが内部告発で発覚した事件であった。2007年6月のことです。もう2年以上前になる。
ミートホープ社はその2年ほど前に、肉をまんべんなく混ぜる機械で農水省から表彰されてる。挽き肉の技術が優れていた。田中社長は、一審判決を上告せずに結審している。忘れやすい日本人は、田中社長の思惑通りもうすっかり忘れてしまったように見える。
被害者が一人もいない田中社長はこの事件で、食肉の偽装で摘発されたのではない。「不正競争防止違反」という罪名である。日本の法律はよく解らない。庶民の感覚ではない罪名である。主婦がたくさん見るワイドショウは大騒ぎしたが、今はその面影は何処にもない。
しかし、確実に酪農家にはこの事件は恩典をもたらした。搾乳できなくなった乳牛は牛舎から出てゆく。病気や治療中でなければ、屠場に行き消費者の口に入る。足などが悪かったり老齢牛は痩せてしまって、以前は食肉にはほとんど不向きとされた。ミートホープ事件以前は、こうしたやっと立っていられる牛などは、ドッグフード用になるなどして、ほとんど金にならなかった。
ミートホープ以後、こうした筋だらけの牛の肉が必要になったそうである。具体的な食品例は解らないが、先のコロッケで言うならば、上物の牛肉だけだと歯ごたえがないのである。そこで、老廃牛の肉を混ぜると、消費者に喜ばれるといった具合である。これなら、偽装食品にはならない。なにしろ100%牛肉のコロッケである。
お陰様で、酪農家はほとんど金にならなかった老廃牛を、10万程度で販売できるようになった。偽装された、牛肉100%のコロッケの方が、多分美味いと個人的に思うが法律は許さない。消費者も望まないだろう。お陰で酪農家にはおこぼれが来るようになった。現実の話である。
>すぐに結果の出ない考え方は、虚空なのですか?
「すぐ」というのが5年程度なら「そのとおり」と考えます。実際に戦闘が行われているなら時間単位でしょう。
私を「強権的」と評されるであれば 私も申し上げます。BLOG主様は(意識されてないでしょう)傲慢で無責任です。なんせロシア・日本を始め 全世界がBLOG主様の意見に「いずれ」従うし それが正しいのだと本気で考えておられるのですから。その意見私はそこまで傲慢にはなれません。
>ロシアを従わせることなど誰もできません。彼ら自身が変わることこそ大切なのです。
あの・・・貴方が「大切なのです」と考えている事と、実際にロシアがそうなることの間には ほとんど関係無いのですが それは判ってます?
先ごろ「戦後思想史50」を検討したら、そのほとんどが絶版になっていたとのことである。日本の思想史が貧困化するのも当然だと思って、納得したり落胆したりしています。
人が動き国が変わるには、200年はいると思います。イスラエルは2000年かけています。50年にないなら、表現されるべきなのです。それ以下なら瞬間です。
戦争は、瞬間的に起きますが、修復には人の人生全てがかかるのが常識なのです。
だから戦争はあってはならないのです。平和もしくは戦争にない時間は人を緩慢にしますが、それでも戦争よりも余程ど人間的で優れた時間です。
無関係ではないと思ってます。うーむ様のような考えが、日本人を無関心な民族へと変身させたのです。
今から50年経ってチェチェン人が抵抗をやめてほとんど絶滅し、ロシアの傀儡に支配され すべてが終わってから ロシア人が改心したとします。で「チェチェン民族ここに滅ぶ。ロシアが自らの考えを変えなかった故に。ロシアの考えが変わるのを待っていたが故に」と墓標が立って・・・なんか意味ありますかね?
あとひとつ教えてください。BLOG主様の見込みではロシアはどれぐらいの時期にどのように考えを変える可能性がありますか?
ちょっと脱線しますが、私の仕事のことで言います。私は乳牛専門の獣医師です。酪農家は、当地で平均で12頭ほど飼っています。
私たち獣医師は一頭一頭治療しますが、明らかに飼養管理を改善すれば、全体の病気はてることを私は解っています。農家はそれをやらずに、輸入した穀物飼料を与えてとにかく沢山搾るのです。
そ牛を助けても同じような病気に次々かかります。獣医師は治療代が入ってくるし、餌はたくさん売れるし、牛乳はたくさん販売できるので、多くの人は文句を言いません。
今の戦で亡くなる人を救うことも必要でしょうが、戦をなくすることの方がもっと大切なのです。武器を売る人も敵をせん滅する人軍人も政治家も、戦の必要性を人の側からではなく、経済や国益の側から判断します。
それでも、今の悲劇をなくすることはとても大切でしょうが、本当はもっと大きなところから考えなくてはならないと思います。
世界に分散することでアルメニア人は耐えて民族を守ってきました。これは稀な例でしょう。
民族浄化の対象になってほとんど消えてしまった民族は、枚挙にいとまがありません。だからこそ、国境の壁を低くすることが必要と考えます。いつまでも、国益だの民族性だの安全保障だののレベルで、国家を考えていると同じ過ちを犯します。
エリチンが日本に来て、日本人のシベリア強制抑留を謝罪したのは、50年ほど経っていました。だから彼らは、何をしたのだと思います。
当地には、シベリア抑留を体験した人がたくさんいます。(いました)あまり多くは語りませんが、多くの日本人を殺したロシア人を憎んでいます。自らが生きて帰ってこれても、多くの戦友や友人失ったことをいい知れない悲しみを抱いたままでした。国家は非情です。人の側から見ろと、国家は必要すらないと私は思います。
>50年にないなら、表現されるべきなのです。
>全体の病気はてることを私は解っています。
>そ牛を助けても同じような病気に次々かかります。
(その牛を助けても~)?
>だから彼らは、何をしたのだと思います。
これらのを訂正いただけませんでしょうか。