
中曾根康弘首相が国家で、日本人は大和民族の単一民族国家と言って憚らなかった。これは戦前に、日本は天皇を頂点にする大和民族単一国家と、強く愛国心を煽ったことが、中曽根の頭の中にあったのであろう。
それは今でも多くの人達の頭に残っている。男系の家長制度や戸籍制度、上のものを殺める尊属殺人などは重罪となる法の不平等などなど、選択的夫婦別姓を拒むなど、右翼思想の底流にもなっている。
ゲノム解析などによってよって、日本人が形成されていゆく過程が明らかになってきている。日本列島に人類、ホモ・サピエンスが到達したのが、およそ4万万年ほど前であるが、あまり多くのことが解ってはいない。その後、1万6千年前ごろ縄文人と呼ばれる人々がやってきて日本列島に住んでいた。
今から3千年前ほどに、朝鮮半島を伝って弥生人と呼ばれた渡来人が来て、日本を席巻する。弥生人は稲作文化を持ってきた。縄文人たちは、一分縄文人と交雑したが、北(アイヌ民族)と南(琉球列島民族)に追いやる形となる。
こうしたことが解ってきたが、下の表なはザックリと遺伝子快晴の結果を著わしたものである。
現代本土日本人には縄文人の以前の遺伝子が10%少々であるが、残りは渡来人のものが圧倒的である。
琉球列島現代人は縄文の比が三倍近くあり、北海道アイヌ人は圧倒的に縄文人の遺伝子が多い。これ10%程度のやや畏敬の渡来人に、オホーツク文化圏の人達が混ざっている。
上図のようにアイヌ人は北海道の奥地に入ってきたのは800年ほど前、13世紀になってからです。本土の日本人は、北の地を蝦夷と名付けましたが、これはエビ(もしくわガマ)のような敵であると見下す名前を付け北へ追いやりました。朝廷に逆らう民族という姿勢は、その後も続いています。
日本は単一民族ではなく、民族そのものも気候風土や文化が育んだ、貴重な人類の歴史であるが、いがみ合ったり否定しあうようなものではないのです。
