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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

「ニッポンのジレンマ」にみる若者たちの意見

2016-01-02 | 国際・政治
昨夜、NHK深夜Eテレの若者たちの討論番組、「ニッポンのジレンマ」を見た。時折見るのであるが今回のテーマは、競争と共生であったが主題とはかけ離れた内容が多かったが、とても面白く現代の若者の心情などが分かった気がした。
政治を人工知能でやることはできないかという問いかけに、やるべきという人もいたが懐疑的な人のほうが多かった。内容までは言及することはなかった。若者たちが人工知能に政治を任せてはどうかという発想は、現実の生身の政治家は平気で嘘をつくからである。やれもしないことをやりますと言うし、やってもいないことをやったと自慢する。やったことを知りません、やっていませんといえるようでなければ政治家でない風潮すらある。何より功名心を政治家は振りかざす。
確かに人工知能は、嘘はつかないし功名心もない。若者たちは心情として政治を信用していないのである。人工知能なら嘘はつかないだろうとは、誰の発言にもなかったが根底に抱いてはいると思われる。
人工知能に社会を支配させることには参加者の多くが納得しているかに見えたが、それも現実に照らし合わせて振り子のように動くことになる。そしてそれらを決めるのが倫理というのである。
引きこもりを救うために古文を勉強させては救えない。プログラミングこそが人を救うという発言もあった。これには少なからず異論が出た。過去を学ばなければ言葉の意味や同S手現在この姿なのか悦明できないというのっである。
古くから近江商人に『三方よし』という言葉がある。生産者よし、消費者よし、社会よしというものである。300年以上続いている企業が世界に、5000ほどある度あるが、そのうち日本には2300社もあるというのである。日本はもう少し誇っていいのでないかというような発言には異論が出て、発言者は途中でやめた。

若者たちの言葉の中に、ハッと気づかされることもあった。「現代は当事者でないものは存在しない」というのである。環境問題でも政治でも、あるいは技術開発の分野でも必ずどこかで繋がっているというのである。しかし、多くの若者は直接かかわりのないことには無関心である。かかわっていても、政治などには無関心であるかに見える。
「近代化とは早くすることであると」は、全くその通りではないかと思われる。追いつけない自分との闘いであるという発言もあった。
この世紀(21世紀)は前の世紀(20世紀)よりましなのではないかという発言には驚かされたが、すでに14年も経っているが前の世紀のような殺戮はないというのである。百万単位の人が犠牲になる戦争は、この世紀では起こり難い。確かにテロの危険は高くはなってはいるが、前の世紀より圧倒的に犠牲者は少ない。確かに人口比率からみても少なくなってはいる。国家間の戦争は起きる可能性はまずない。それほど世界は経済的にも文化的にも、情報としても結びつきが強くなっていて、国家間の関係をちゃぶ台返しにするメリットはないといえる。
しかしながら、戦争の危険は低くなっているかもしれないが、日常の中での格差はピケティの指摘するように格段に拡がっている。不条理なことがあまりにも多くなり、局所的な紛争は鎮まることがなく、人命は国家の犠牲になることはこれからも続くであろう。
今ではなく、これから先を見つめている若者たちの発言は、苛立つ場面も少なくはなかったがいつも新鮮である。
コメント (1)
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