集団的自衛権の行使容認のために安倍首相が用意した理屈が良く使われるが、その中で最も騙されやすいのが、「抑止力」である。
「抑止力 持つ国ばかりが 戦争し」と朝日新聞の川柳に見た。
抑止力とは、国民を軍事力増強を納得させる詭弁の言葉である。抑止力として整備してみると、仮想敵国はすでにそれ以上の軍事力を備えている。そこで、抑止力が見直されることになる。
実際は、それほど自国以上ではないのであるが、この際そんな事実関係はどうでもいい。敵国を上回らなければならない。上回らなければ、抑止効果はない。
集団的自衛権を容認することで、抑止力が高まると首相は説明するが、世界で最も抑止力があるアメリカは、どこも攻めることはないということになる。現実は逆である。
攻撃されたアメリカは、現在の軍事力では抑止効果がないという結論に至る。抑止力を高めなければならないという恐怖心が、さらなる軍事力の強化・開発を行うことになる。
「抑止力」という言葉には、使わない軍事力という意味合いも含まれている。国民向けの甘い、政治家が好んで使う言葉である。
ところが実際には、抑止力=軍事力は使われなければ意味がなくなる。存在するだけでは抑止効果がなくなるのである。
軍事としての抑止力は、不信が裏にあって一時的な効果しかない。あるいは、建前としての意味しかない。日本がこれまで、憲法を曲がりなりにも尊重してきた、非武装国家であり続けることは、極めて大きく持続的な抑止力となってきた。それは相互が理解し合う基盤、交流をする礎となるからある。
安倍首相は立憲国家として、国の形を決める法規をし潰すことで、これまで日本が築き上げてきた、本当の抑止力を失うことになったのである。