私が勤めていたところで8年前に書いた記事である。いま読み返しても興味深いので転載してみます。
▼最近は本を読む人々、読書人口が急速に減少していることである。多感な心情にゆれていた頃には、夜が明けるまで長編を読んだものであるが、メディアの多様な時代になって特に文芸書は見向きもされないようである。それは、表面上のことに思えてならない。誰もが、一定の幸福感を享受できる時代が、感受性を育まなくなったと思うのは穿った見方なのだろうか
▼ロシアの文豪トルストイの長編「アンナ・カレーニナ」の冒頭に有名な一文がある。「幸福な家庭は皆一様であるが、不幸な家庭はさまざまである」と。これはそっくり酪農に当てはまるような気がしてならない。すなわち「健康な牛群は皆一様であるが、不健康な牛群はさまざまである」と。牛が健康である分にはどこでも変わることがないが、問題のある牛群のトラブルは実に多様である。どんな牛でも健康であるよう、生理学的な修復機能と願望を持っている
▼それを叶わなくしているのは、人の不条理がなせるのであろうか。経済動物は、経済性を蔑ろにしては存在し得ないのは自明の理である。酪農家なら何の疑いを持たない命題でも、外から眺めると後ろ指を差されかねないことも少なくない。文句言われる筋合いでないと、こちらで主張したところで、彼らは圧倒的多数の消費者である。健全な消費者は善良で一様であるが、不健全な消費者は何を取り上げ、どこで何を言い出すか分からないものである
▼時あたかも「読書週間」である。秋の夜長、先人の知恵と経験、識者の洞察と忠告に耳を傾けてはいかがでしょう。
今消費者は不健康になっている。その一つが、価格で評価することである。安ければいいと思ってしまうことである。農産物が、食料として消費者に届く結果しか見ていないからである。乳牛はけな気に懸命に餌を食べながら、牛乳を生産してくれている。たとえそれが不味くて栄養が足らなくても、体を削って泌乳してくれるのである。