そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ、農業知らずだろ

2006-07-22 | 国際・政治

政府が規定する「土地非利用型農業」というものがある。つまり、養鶏業などは数十万羽Photo_8 ものニワトリを、工場のような閉塞した鶏舎で飼っている。ここには、鶏舎以外の土地などはなく、土地を使わなくてもできる農業として「非土地利用型」の農業と規定している。ところが、これはいかにもおかしな話である。ニワトリが食べている餌は、この地球上のどこかで作られたものである。日本にはないだけのことである。その多くの土地は、アメリカにあるのであるが、こうした畜産業は結局は家畜の排泄物、糞尿があまることになる。還元する土地がないのである。地球規模で見ると、このような家畜の糞尿は、輸出国に戻せばいいのである。穀物を輸入する船で、家畜の糞尿を輸出すればいいのである。そんなことは誰もしない。金にならないからである。

日本などの先進国の畜産はほとんどこうのような飼養形態になっている。輸入する穀物が安く、販売する国内の畜産価格が高いからである。これは、農業というものではなく「畜産加工業」と呼ぶに相応しいもである。このようなことが可能になるのは、円が高いかドルが安いかどちらか、あるいは双方の条件で成り立っている。10億の人間が飢える地球上で、金がある国は家畜に穀物を大量に与えるのである。わが国の、糞尿問題の本質はここにある。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照http://www.creatorsworld.net/okai/

農業の本質は太陽のエネルギーを炭酸同化作用によって植物が取り込み、これを人間が戴いているのである。この基本は幾世代を経ても変わることはない。上手く取り込むなり、作物を選択したり改良したり、季節を選んだりとすることが農業の効率である。機械w入れて一気に大量の作物を作り労働効率を上げても、農業の効率が上がる保障はない。むしろその逆であることが多い。今、大規模化を政府は「担い手」という言葉で、政策的に選択しようとしている。農業は大きくしなければ、政策支援はやらないというのである。わが国は農業効率を犠牲にして、労働効率を追求するように農民に強要する。このままでは食料自給率があがることなどない。

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