高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

こんなことが実現しますように

2015-01-13 06:44:24 | からほりさろん

空堀で今のさろんを開いて11年になりました。そして見えてきたのが高齢者の多い町で路地には高齢化の波が押し寄せ平均年齢70歳以上なんてところもざらにあります。このようなところにさろんを開いていますので周りの医療のこと介護のことが気になります。
空堀は戦災で焼け残り中央区の真ん中、交通の便が良いので近辺に大きな設備が整った総合病院も多くあります。家族の歴史までも知った個人医院も多く小児科に高齢者が診察に行かれる姿も見受けます。自宅で見取までしてくださる個人病院もあると聞いています。
また中央区社会福祉協議会と大阪府社会福祉協議会とが南に東にほぼ同じような距離にあります。中央区社会福祉協議会の上に訪問看護ステーションも、さろんの近くに田村ソーシャルネットの事務所もあり連絡が密に取れるようになっています。困ったときは駆け込むように上記団体に声がけられます。それに大阪府の高齢者の総合相談窓口も近くの福祉会館内にあり時に伺っては話をしています。
さろんに来られる皆さんは一人暮らしが多く、病気になった時のことや、夜一人でいると不安な方などの話を聞くと対応できる部屋が作れたらと思うようになりました。町全体が家族ではと思うようなつながりが多いだけに空堀から離れたくないと思っても一人でいることの不安から高齢者賃借住宅に移って行かれた方は最後に「あんたとこで見てくれへんやろ」胸を打った言葉です。OKと受けられたらどんなによかったことでしょう。言えなかった私がもどかしく空堀だから空堀で最後までかかわれる部屋がほしいのです。もう一つつらい記憶は去年のこと親しくしていた方が肺炎で総合病院に入院されましたが、もうすぐ90歳というお歳なので病院側は転倒などを心配してベッドから降りないよう柵をされ、足をベッドから降ろすとマットが敷かれて詰所に通報が行くのです。看護師さんが飛んできて「足を下ろさないように」注意して去って行かれます。奥さんも転んで骨折され別の病院に。このような経緯で退院してもすぐに自宅に帰れずリハビリのできる病院に転院されました。転院したことで奥さんとは合流でき同室になりましたが、自力でトイレができていたのに拘束と言葉が悪いですがパジャマになりおしめになりました。こんな生き方を望まれていないとお見舞いに行き私がつらくなりました。生きる力がなくなると心配した次の日にご家族から訃報が届きました。これが介護と看護の違いでしょうか?病気の部位しか見ていない病院と暮らしを支える介護とこんなにかけ離れているのです。病気が治ったらまっすぐ自宅に帰れるのが看護ではと思ったのです。
暮らしが守れる看護ができるような方法は自宅近くに病院でもない場で回復に専念できたらと希望を持つようになりました。心から一人ひとり最後まで輝いて生きられるように支えられたらと願わずにはおられません。どうかそのような「場」つくりにご協力ください。
◇こんなことがしたいのです
   さろん   解放された場で年齢を問わず入ることができる交流の場
活動を継続し ハーモニカ、人形つくり、食事会、健康体操、タッチフォーヘルス
   見守りの場 ★近隣の高齢者の見守り(当会の暮らしのカルテ)
★病気で食事がとれない方
★高齢で総合病院には行きたくない、
★ご夫婦が高齢で看病ができない人。
★家族の仕事や外出などで、日中一人になる高齢者の話し相手など
    自分の街で通いなれた町の医者が往診し、訪問看護、ヘルパー、そして友人が身近にいる環境で回復を目指せば心の健康も保てると思っています。

★夏場には空堀商店街にテーブルを持ち出しビアガーデンを去年は数度しましたが今年もお楽しみに。