先週のこと長崎に転居したTさんから電話がありました。帰りたいと泣かれ話をしていると「やっと笑った」「ここにきて悲しいのは思い切り泣けないこと。谷町に住んでいた時は樟のところうで思い切り泣けた。車の流れがあり誰も気にすることがなかった」啜り泣きだったりしながら当時の状況なども聞きました。こんな時にと思ったのですが、住まれていたマンションの部屋は空いたままなので貸していただけないか話してみました。私の夢は2つあって一つは前から言っている商店街に部屋を作りのたいですが、マンションにも部屋がほしいのです。理由は古いマンションは高齢者が多くなりここにも見守りの必要を思うのですが、外から入りにくくまたうかがい知ることも難しいです。サロンのようなものを開いて食事会をしながら来られる皆さんの安否確認や生活の支援ができたらいいなあ?と思っているのです。それで話すとびっくりするような経緯でOKをもらいましたが家族との関係でやはりだめになりました。それは仕方がないと思うのですが、その時の家族の反応がいやだなあーと心が痛いのです。それは、Tさんが家族からすれば家を契約もしないで口約束で使っていいといった経緯が無防備で何を考えてるの?ということだと思うのです。これもそう思うのも当然のことですね。私が一番心配しているのはこのことから家族は以前から認知症だというような考えを私に話されたことがありこのたびはもっと進んだと思われないかということです。鍵を送ってくださった封筒のあて名は墨でしっかりと書かれていました。また私との話は自分の考えを話されて家族の言う認知症は考えられません。周りが認知症と烙印を押しそのような応答をされているとTさんの気持ちの持って行き場がなくこんな環境に身をおかねばならないことに胸を痛くしています。
先週のこと長崎に転居したTさんから電話がありました。帰りたいと泣かれ話をしていると「やっと笑った」「ここにきて悲しいのは思い切り泣けないこと。谷町に住んでいた時は樟のところうで思い切り泣けた。車の流れがあり誰も気にすることがなかった」啜り泣きだったりしながら当時の状況なども聞きました。こんな時にと思ったのですが、住まれていたマンションの部屋は空いたままなので貸していただけないか話してみました。私の夢は2つあって一つは前から言っている商店街に部屋を作りのたいですが、マンションにも部屋がほしいのです。理由は古いマンションは高齢者が多くなりここにも見守りの必要を思うのですが、外から入りにくくまたうかがい知ることも難しいです。サロンのようなものを開いて食事会をしながら来られる皆さんの安否確認や生活の支援ができたらいいなあ?と思っているのです。それで話すとびっくりするような経緯でOKをもらいましたが家族との関係でやはりだめになりました。それは仕方がないと思うのですが、その時の家族の反応がいやだなあーと心が痛いのです。それは、Tさんが家族からすれば家を契約もしないで口約束で使っていいといった経緯が無防備で何を考えてるの?ということだと思うのです。これもそう思うのも当然のことですね。私が一番心配しているのはこのことから家族は以前から認知症だというような考えを私に話されたことがありこのたびはもっと進んだと思われないかということです。鍵を送ってくださった封筒のあて名は墨でしっかりと書かれていました。また私との話は自分の考えを話されて家族の言う認知症は考えられません。周りが認知症と烙印を押しそのような応答をされているとTさんの気持ちの持って行き場がなくこんな環境に身をおかねばならないことに胸を痛くしています。