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アニメ『ベン・トー』(全12話)

2012年01月12日 | 映像(アニメーション)


 →→ TVアニメ「ベン・トー」公式サイト



《あらすじ》
戦って、喰え!!
半額シールが舞う時『狼』たちの咆哮が上がる!

寮の近くのスーパーに入った主人公・佐藤洋は、目の前で半額シールを貼られた弁当に手を伸ばした直後、凄まじい戦いに巻き込まれてしまい意識を失う。そして目が覚めたときには、すでに半額弁当は消えていた。たまたまその場にいた同じ学校の白粉花と出会い、翌日からスーパーに通い詰めた彼らは、《氷結の魔女》と呼ばれる女生徒槍水仙からスーパーで起きている半額弁当を争奪する人々の話を聞き、自らも半額弁当争奪戦に足を踏み入れることとなる。
佐藤は彼らと技を競い、自らの誇りと生活を懸けて、今夜もまたスーパーで激しい戦いを繰り広げる。
庶民派青春学園シリアス・ギャグアクション、開幕!


《この一言》

“ 「スーパーに悲しい涙は似あわない」 ”

    ――第12話「国産うなぎ弁当 790kcal」より





前期のアニメの中で私が一番安心して楽しめた作品でした。このバカバカしさが清々しい! ありがとう、狼たち!!


というわけで、『ベン・トー』です。タイトルからも分かるように、弁当にまつわる熱い物語です(いや、分からないかな?^^;)。弁当と言っても、ただの弁当ではなく、ここで取り上げられるのは「スーパーの半額弁当」であります。我々も買い物時によく目にするあの赤い半額シールを貼られた「半額弁当」を狙って、狼たちが死闘を繰り広げるんですね(スーパーの売り場内で!)。

さらっと「狼たち」とか書きましたが、狼ってなんだよ!? って感じですよね。狼というのは、町のスーパーで日々繰り広げられる半額弁当争奪戦に参加する猛者たちのことです。その中でも有力な狼には「ふたつ名」が与えられていて、《氷結の魔女》とか《湖の麗人》とか《魔導師(ウィザード)》などとカッコ良く呼ばれているわけです。ぶふっ!…だめだ、この段階で既にかなり笑えますwww 〈ガブリエル・ラチェット〉とかなんだよ、無駄に格好良過ぎ!wwww

ところが、笑えるんだけれども、狼たちの戦いには確かにカッコ良いところがありありとして、舞台がスーパーの中だということを時々忘れる…スーパーという極めて日常的な舞台が、狼たちによって突如「戦場」という非日常空間へと移行させられてしまうのですね、これはすごい! マジウケる! 笑!!

更に、狼たちにも縄張りがあるようで、時々お隣の地区から偵察に来たり遠征に来たりもします。

また、狼としての戦闘スタイルにも色々あって、孤高の一匹狼もいれば、集団戦闘タイプもあり、卑劣な頭脳戦を展開するものもいたりします。物語の中では正々堂々と己の肉体でライバルを蹴散らすような狼が一目置かれる存在として扱われているあたり、やはりシリアスバトルアニメといったところでしょうか(たとえ戦場が名曲『おさかな天国』の流れるそのへんのスーパー店内だとしても!)。

 *『おさかな天国』とは:
  「さかなさかなさかなー さかなーをたべーると~」
  という、一度聴いたら忘れがたいあの歌のこと。
  水産庁が作ったらしいですぜ…!


こんな感じで、この『ベン・トー』という作品は非常にバカバカしくて笑えるのですが、各所に細かな設定が仕込んであって、作者の作品への思い入れを感じられるようでしたね。ここでは「狼」についてしか書きませんでしたが、作中では半額シールを貼ってくれるスーパーの係の人を「半額神」と呼ぶことや、「半額弁当をめぐる戦いの掟」についても解説されていて、設定が真剣に細かい! 笑、笑!!


原作は、アサウラさんの同名小説(集英社スーパーダッシュ文庫刊)。イラストは柴乃櫂人という方です。2008年から刊行されているライトノベル。

私はまだ原作を読んだことはないのですが、『ベン・トー』が面白いという噂はかねてより聞いておりました。アニメが面白かったので、いずれ原作の方も読んでみたいところです。聞くところによると作者のアサウラさんは、どうも面白い人っぽい。それは作品を通じても伝わってきていましたが、このセンスは実に私好みであります!

原作を読んでいないのでアニメ版のみの印象で語らせてもらいますが、この作品には下ネタやお色気ネタがしばしば入ってきたりしますが、総じて上品な感じがします。この上品さはどこから来るのか少し考えてみましたが、キャラクターがいいんですね。

まずは主人公が加入した同好会(ハーフプライサー同好会=言うまでもなく半額弁当をゲットすることを目的とした同好会)の槍水(やりずい)先輩が凄くいい女の子です。かなりの人格者。この作品のなかでは一番まともなクールビューティー。

主人公の佐藤は異常に丈夫なハードゲーマーだし、同級生の白粉(おしろい)さんは佐藤の戦いぶりを観察しながら、日夜妄想小説(『筋肉刑事(マッスル・デカ)』)を書き綴り(←めっちゃ面白そうな小説なので、ぜひ読みたい!)、いつも佐藤がスーパーで一緒になる「茶髪」「坊主」「あごひげ」の三人組も良い感じだし、佐藤の従姉の著莪(しゃが)さんは可愛いし、魅力的なキャラクターで溢れています。

また、佐藤たちは戦いを通じてさまざまな狼たちと出会うことになりますが、セコい奴はいても、悪人はいない。みたいな。みんな半額弁当を手に入れたいだけなんだっ…! みたいな。そういうところがいいんですね。ハハハハハハ!
半額弁当争奪戦に一切関わらない登場人物もいくらかいますが、白梅さんという女の子が過激に暴力的なのを除けば、いずれもほのぼのとした味わいのある人々でしたかね。でも白梅さんは私は嫌いじゃない。ルックスがいいので私は全てを許す!
どうもアニメ版と原作とでは人物設定にいくらか違いがあるらしいとも聞いたので、その違いを比べてみるのも楽しそうですね。



というわけで、この作品は徹底的に明るく爽やかな笑いどころに満ちていました。ああ、いいよ、こういうの大好きですよ!
原作はまだ続いているようなので、アニメの方もぜひ続きを作ってほしいなあ♪






『キャピテン・フラカス』

2012年01月11日 | 読書日記ーフランス

テオフィル・ゴーティエ作 田辺貞之助訳(岩波文庫)



《内容》
あえて訳名をつければ「剛勇任侠の郷士」。時は十七世紀初頭、若き男爵シゴニャックが旅役者の一座に身を投じて織り成す波瀾万丈の大ロマン。(全三冊)


《この一文》
“「幸福の華やかさはわたくしを怖じけさせます。もしあのときあなたがお仕合せだったら、きっとわたくし逃げだしてしまったでございましょう。お庭のなかを、茨の蔓をわけていただきながら散歩しましたとき、野生の小さい薔薇の花を摘んで下さいましたわね。あれはわたくしに下される唯ひとつの贈り物でしたわね。わたくし、あれを胸へおさめるまえに、そっと一粒涙をこぼしましたの。そして、なにも申しあげませんでしたけれど、そのかわりにこの心を差しあげたのでしたわ。」”





入院中にベッドの中で読みふけった長篇。今回もゴーチエ先生の天才をまざまざと見せつけられた感じ。あー、面白いなあ! なんでこんなに面白いのだろう。全3冊のボリュームですが、加速度をつけて読み進められましたね。もう猛烈な面白さでしたよ!

物語の主人公である若きシゴニャック男爵は、名門貴族の末裔でありながら、いまや一族はすっかり落ちぶれて、破れ放題崩れ放題で廃墟同然の館に年老いた従僕ひとりと猫と犬、そして痩せ細った馬とわびしく暮らしている。そこへある晩、嵐によって足止めされた旅芸人の一座が宿を求めてやってくる。パリを目指して旅を続けているという一座の面々から、ここでくすぶっていないで我々とともにパリへ出ないかと誘われた男爵は、貴族の身分でありながら旅芸人に身を落とすのは躊躇われたものの、思いきって新しい世界へ飛び込むことにする。そしてシゴニャックの恋と冒険が始まった。

というお話。シゴニャック男爵と女優イザベルの恋愛模様が中心に描かれます。悪魔的に美しい恋敵ヴァロンブルーズ公爵との激しい鍔迫り合いにはハラハラさせられますし、窮地に追い込まれてはじめて田舎でじっとしてたから誰も知らなかったんだけど実はシゴニャックは剣の達人なんだよねと明かされる中二病的ご都合主義展開にも笑わせてもらったし、どこまでも慎ましくて麗しい男爵と女優の恋の行方を見守るのはとても面白かったです。

が、この物語にはもうひとつ、シゴニャックとイザベルの光り輝く清浄な恋とは対照的に、闇の中で燃え盛り血を噴き上げるように激しい愛の行方も描かれていました。私はむしろそれに夢中になった。いや、このカップルこそがむしろこの物語の核心だったのではなかったかとすら思う。そのくらいに強烈なもうひとつの愛の物語。

そのもうひとつの物語とは、盗賊アゴスタンと相棒である少女シキタのお話です。このふたりの愛の結着には、私は入院中の夜のベッドで思わず声をあげてしまいそうになるくらいに心を打たれました。もしもこの物語の中でシキタについてもっと多く描写されていたなら、私はきっとあの場面でむせび泣いたに違いありません。

 シキタよ、主役はお前だ!!!

シキタという少女は、まだ幼く、ぼさぼさの髪のなかでギラギラと大きな瞳を輝かせ、ひょろひょろした手足をして身にはぼろをまとっています。父親は盗賊で既に亡く、シキタは闇の中を獣のように走り抜けては、愛するアゴスタンの、血にまみれた仕事を手伝うのでした。このシキタとアゴスタンの二人組のキャラクターが異常に魅力的です。私の脳内では完全にアニメーション化されて再生されていました。これはウケる! ウケるぜ! シキタ萌え来るぜ!!

シキタとアゴスタンの登場する最初の方の場面を引用してみましょうか。

 “「ねえ、あたいの好きなアゴスタン、」とシキタが甘えるような口調で
 つづけた。「あの綺麗な人の首を切ったら、あたいに頸飾をおくれよ。」
 「そりゃ、お前によく似あうだろうな。お前のもじゃもじゃな髪の毛や雑
 巾のような襦袢やはげっちょろけのスカートにはまったくうってつけだろう。」
 「あたいはずいぶんあんたのために見張りをして、地面から靄があがると
 きや、露であたいの可哀想な素足がべとべとに濡れるときでも、様子を知
 らせに何度も馳けてきたんだよ。また、熱があって、沼地の縁の鵠のよう
 に歯ががたがた鳴ったり、草叢や藪のなかを匐ってくるのも苦しくてたま
 らないときでさえ、あんたの隠れ家へ食べ物をもってくるのをおくらした
 ことがあるかねえ。」”

シキタからアゴスタンへ向けられる愛情の激しさには震えました。あんなに鮮烈な愛の描写には滅多にお目にかかれません。
殺戮と略奪の中で育ったシキタには闇の魅力が備わっています。暴力と欲望の暗黒の中で、しかし善悪を超えて、なにか純粋で貴いものすら感じさせる魅力が、シキタの瞳にはあるのでした。

私はこのシキタという女の子と出会えたというだけでも、『キャピテン・フラカス』を読んだ甲斐があったというものです。それから男爵の恋敵である公爵のキャラもずいぶんと際立っていましたね。ヴァロンブルーズ公爵はたまらなく素敵! 蛇のように粘着質な暴君キャラでした。その上悪魔のように美しいときたもんだ。それでいて意外と素直で単純。はあはあ…!


さて、これはゴーチエ作品全般に言えることですが、『キャピテン・フラカス』もまたとても視覚的な小説で、鮮やかな世界が目の前にきらきらと展開されていきます。映画でも観ているような盛り上がり方です。1861~63年に書かれた作品ですが、物語が王道をゆくために古典的、ゆえにそれ以上古くもならず、登場人物の生き生きとしたキャラクター付けは今でも十分通用するほどにおそろしく現代的です。何と言ってもシキタ。シキタが凄い! とにかく面白いのです。

それからもうひとつ印象的だったのは、物語のところどころで描かれる豪華な食事の様子です。入院中で病院食に耐えていた私には刺激が強過ぎました。目の前をご馳走が次から次へとよぎっていくのに、手の届かないもどかしさ! あんなに食への欲求が高まったことはこれまでにありませんでした。焼き立ての大きな塊からそぎ落とされた肉片、泡立つクリーム、きらめく煮凝、腹が減ったなあ……と、生ハムやらベーコンやらの幻覚に悩まされて仕方がありませんでした。退院した当日(すでに夜)、帰宅するなり買い置きしてあった生ハムを貪ったのは言うまでもありません。泣くほど旨かった。ゴーチエ先生の筆力の偉大さよ……



というわけで、文句なしに面白い小説でした!







風邪ひき

2012年01月10日 | もやもや日記




3連休は風邪を引いていました……。熱を出して寝込んだら、2週間かけて増量した500g分の体重が1日でどこかへ行ってしまいました。振り出しに戻る。ぐへっ!! …でも、私とは対照的に元気一杯で活動していたK氏も連休中に突然1kgくらい体重が減ったと言っていたので、もしかしたら体重計の具合が悪いのか、あるいは家の重力場に異常が生じているのかもしれません。だよな、1日でそんなに軽くなるはずがないよな。うんうん。それにしても、体重って増やしたいと思う時ほどなかなか増えないものですね。肉や炭水化物を摂りまくっているのにどうなっているんだろう?


そして、風邪引き中はPC起動禁止令が出されて寝るよりほかにすることがなかったので、寝床でアニメばかり観ていました。『偽物語』の第1話を観ましたが、『化物語』以上に会話主体となっていてたまげましたね。いや面白かったけど、話が全然進まなかったな。


そんなわけで連休は寝て終わってしまいましたが、平日に突入するなりすっかり風邪は治ったので、よーし、元気に活動するぞ~~! 







御堂筋イルミネーション

2012年01月07日 | 旅の記録




昨日はkajiさんとお会いしてきました。新年のご挨拶&私の快気祝いをしてくださいましたよ。どうもありがとうございました~(^o^)/



待ち合せは久しぶりに淀屋橋。御堂筋沿いの趣のある喫茶店で軽食をとりながら、軽々と5時間も語り合ってしまいました。『輪るピングドラム』が終わったので、おもにそれについて。kajiさんにはkajiさんの見方があって、面白かったなあ! あとは市川春子さんの漫画の話とか、「少女漫画を描くには?」「そもそも少女漫画とはなにか」を考察したりとか、映画の話とか、アニメの話(ピンドラが終わってしまった今、これから何を観たらいいのか困る…)とか、いつも通りに盛り上がりました。kajiさんとは本当に話が合うので5時間程度では全然足らなかったわ~。めちゃくちゃ楽しかったです。いつもありがとうございます!

喫茶店では、私はコーヒーとクラブハウスサンドのセットをいただきましたが、お昼ご飯を食べてから行ったので「食べられないかも」とか言いながらも結局はもりもりと食べ尽くしてしまいました。美味しかったです。関西へ来てからというもの、お友達に連れられて素敵な喫茶店へ入ることが多くなったので私は楽しい。かつてはドトールなどのチェーン店一辺倒だった私ですが、レトロな内装のお店はかなり落ち着けるということを発見いたしました。あちこちのお店を覚えておきたいところです(^_^)


気がついたら夜になっていたので、そろそろとお店をあとにし、御堂筋沿いを少し歩いてみました。御堂筋では銀杏並木が電飾されておりまして、それがなかなか幻想的に美しいのでした。こんなイベントをやっていたなんて、私は知らなかった!

 【御堂筋イルミネーション:OSAKA-INFO 大阪観光情報
 開催地:御堂筋 淀屋橋交差点~新橋交差点 約1.9km 
 開催期間:2011/12/14(水) - 2012/1/22(日)


イルミネーションは、淀屋橋から心斎橋までの1.9kmの距離を延々とまっすぐに続いています。そして各区画ごとに青や緑、黄色にピンク、白、赤など、違った色合いの電飾が付いているので、歩くごとに変化を楽しめます。また、電飾が銀杏の樹のてっぺんから幹に這わせてあるので、樹の形によってはくねくねと曲がっていたりして、何とも言えない味わいがありましたね。これは良いイベントです。



 ↑ 並木の下の植え込みにも電飾がある。




 ↑ 木の幹に赤いリボンが結ばれて、さらに赤い電飾。可愛い。
  ここでは東日本大震災の復興を願うメッセージも光っていました。
  赤と白は日の丸をイメージしているのだそうです。


淀屋橋から少し歩くだけのつもりが、ついつい終着の心斎橋まで行ってしまいました。夜の町並み、ビルのガラスに映るイルミネーションを見るのも楽しかった。ぶらぶら歩きは楽しいなあ!



せっかく元気になったことだし、今年もあちこち出かけてみるぞ~!(^o^)





栗きんとんと黒豆のケーキ

2012年01月06日 | 手作り日記




ホットケーキミックスを使って、お正月の残りの栗きんとんと黒豆でケーキを焼いてみました。かなり適当に材料を混ぜ合わせ、ケーキ型を持っていないのでティファールの小さいフライパンに生地を流し入れてオーブンで焼いたのですが、そこそこ上手に出来ました(^_^;) オーブンの中でむくむくと生地が膨らんでいく様子を観察するのは楽しかった! ホットケーキミックスすげ~~!!

焼き立てよりもしばらく置いたほうがおいしいだろうかと思いまして、1晩寝かしておきました。そして翌日ひときれ食べてみましたよ。



バターをたくさん入れたので、ややしっとり。
でももう少ししっとりしていてもよかったかも。どうしたらしっとりするんだろうか?

味わいとしては、大量に入れたはずの栗きんとんの存在感はあまり感じられず(ときどき栗の欠片が見え隠れするくらい)、粒ごと入れた黒豆のほうがメインになっていましたかね。ケーキ本体のほうは、まあ、ケーキらしい味です。お酒を入れればもっと私の好きな味になったかもしれません。この場合はなんのお酒を入れるべきだろうか。ブランデーかしら。

また、普通にホットケーキを焼いた場合にはもぐもぐどんどん食べられるのですが、このケーキはバターを多く入れたせいか、ひときれ食べただけでわりと満腹になりますね。なかなか美味しいぞ。今度はチョコレート味とかやってみたい!









『ドニー・ダーコ』

2012年01月05日 | 映像

2001年 アメリカ




《あらすじ》
高校生のドニー・ダーコはある晩、銀色のウサギから世界の終わりを告げられる。同じ夜、ドニーの家に飛行機のエンジンが落下し、ドニーの部屋が押しつぶされたのであった。銀色のウサギに呼ばれるまま家を出ていたドニーは生命の危機を回避したのだが、それ以来彼の周囲では不可思議な事件が起こるようになる。







 これを自己犠牲ととらえるべきか否か……? あるいは別のものが描かれていたのだろうか? ではそれはなんだろう?


というわけで、『ドニー・ダーコ』ですが、私はこんな感じで観てました。


(ヽ´ω`)……??

(ヽ´ω`)………!??

Σ(ヽ´ω`)…お、おわたぞ!


残念ながら、私にはどういうことかよく分からなかったです。ぐふっ。ドニー君に共感できなかったのが敗因だったのかもしれません。うーん、うーん。。。


ドニー・ダーコは高校生で、両親、姉、妹と暮らし、精神を少し病んでいるため精神科医にかかっている。家庭では母親や姉に暴言を吐いたり、学校では教師を侮辱して親を呼び出されたりしているが、学校でいじめられている女の子をかばったりする優しいところもある。

そのドニーはある時から銀色のウサギの幻覚を見はじめ、ウサギは「世界がもうすぐ終わる」と彼に告げるのです。世界が終わるまでのおよそ1カ月の間に、ドニーは転校してきた可愛い女の子と付き合ったり、タイムトラベルの概念に夢中になったりと、それなりに充実した日々を過ごすのですが、その一方で彼の周囲の状況は刻一刻と破滅へと近づいているのでした。


もう少しタイムトラベルへの言及があれば、分かりやすかったかもしれません。思わせぶりな描写がいくらかあるだけで、結局どういうことなのかが私にはよく分かりませんでした。また、ドニーを取り巻く社会が、現代アメリカの歪みをあらわしているのかどうなのか、ちょっと歪み過ぎていて、あれではドニーが病んでしまうのもいくぶん仕方がないのかなあと思うものの、見ていてちょっと疲れましたね。狂気と暴力に満ちているというかね。大人も子供も奇妙だっていうかね。現代の伝道師として扱われている男性(のちに児童ポルノ所持で逮捕)や彼を熱狂的に支持して彼が制作したビデオを学校の授業の教材として扱いさえする女性教師、そんな彼らのもとでやたらとセクシーなダンスを練習し発表会で披露する少女たち(女性教師の娘やドニーの妹を含む)。

なんだか破壊されたがっているような社会が描かれていたように感じます。これがアメリカの十代を取り巻く現実だとしたら辛いなあ。映画の中だけのことだと思いたいんだがなあ。しかし、この『ドニー・ダーコ』のあとでもう1本『バタフライ・エフェクト』という映画も観たのですが、そちらも不思議と同様な社会が描かれていて、ちょっと! アメリカ! どうしたんだよ!? と言いたくなりました。若者はたちまち暴力行為やドラッグ、セックスに溺れてゆき、なにかにつけて精神病院と催眠療法、そして近所のおじさんはロリコン。あまりによく似た社会が描かれていたので、どっちがどの映画の場面だったか分からなくなっちゃってるな…うーむ。




『ドニー・ダーコ』に話を戻して、結末をネタバレすると(ご注意!)、ドニーは最終的にはウサギと出会った最初の晩、飛行機のエンジンがどこからともなく落下して自分の部屋を押しつぶした夜へと戻るのです。そして、そのまま部屋で死にます。これによって、ドニーが死んだ世界では、母と妹、そしてドニーの恋人となる女の子、さらにドニーが殺してしまうことになるはずだったフランクの命が救われるのでした。ドニーの命と、その先に続いたかもしれないわずかの幸せを感じられる日々とを引き換えにして……

タイムトラベルがどのように実行されたのかがよく分かりませんでしたが、ともかくドニーが自分の生き延びる世界から、自分が死んでしまう世界へと移動したのは確かなようでしたね。ドニーが生き延びる世界のほうでは彼に近い誰かが死ぬ羽目になり、ドニー自身とその家族の社会的地位も破滅を避けることができない状況に追い込まれます。つまりドニーにとっての「世界の終わり」だったということでしょうか。「自分が死んだ方がましエンド」ということかしら。。。


うん、やっぱよく分からなかったな。
ちなみにwikipediaによると、この映画は一度では理解できないような複雑な筋立てになっているそうなので、何度も観ることでもう少し分かるようになるかもしれませんね。

しかし、残念ながら私にとっては見ていて楽しい気分になるような映画ではなかったです。
気が重くなったヨ!\(^o^)/

もうちょっと明るい映画が観たい……ということで『バタフライ・エフェクト』へ続く。明るかったかって? ハハッ…!(´;ω;`)







『ヴェニスに死す』

2012年01月03日 | 読書日記ードイツ

トオマス・マン作 実吉捷郎訳(岩波文庫)


《あらすじ》
旅先のヴェニスで出会った、ギリシャ美を象徴するような端麗無比な姿の美少年。その少年に心奪われた初老の作家アッシェンバッハは、美に知性を眩惑され、遂には死へと突き進んでゆく。神話と比喩に満ちた悪夢のような世界を冷徹な筆致で構築し、永遠と神秘の存在さえ垣間見させるマンの傑作。


《この一文》
“そしてアッシェンバッハは、すでに度々感じたように、言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることができるだけで、それを再現する力はない、と苦しい気持で感じたのであった。 ”



昨年末に読んだ1冊。考えるべきポイントは結末部分にあると思うものの、振り返るとやはり最初のある場面が頭から離れないのでした。私はこの『ヴェニスに死す』を3度目の挑戦でようやく読み終えたわけですが、前の2回はいずれもその場面にさしかかったところで挫折していたのでした。それは、こういう場面。

旅に出たアッシェンバッハはヴェニス行きの船に乗るのだが、そこで一人の男を見かける。その男は淡黄の、極端に流行風な仕立の夏服に、赤いネクタイをつけ、思いきってへりのそりかえったパナマ帽をかぶり、からすのなくような声を出しながら、ほかの誰よりもはしゃいだ様子を見せている。しかしよく見ると、その青年はにせものなのであった。

“しかしアッシェンバッハは、その男にいくらか余計注意してみるやいなや、この青年がにせものなのを、一種の驚愕とともに認めた。彼は老人である。それは疑うわけにはいかなかった。小じわが目と口のまわりを囲んでいる。頬の淡紅は化粧だし、色のリボンでまいてあるむぎわら帽の下の、栗いろの髪の毛はかつらだし、くびはやつれてすじばっているし、ひねりあげた小さな口ひげと、下唇のすぐ下のひげとは染めてあるし、笑うときに見せる、黄いろい、すっかりそろった歯並は安物の義歯だし、両方の人差指に認印つきの指環のはまった手は、老人の手なのである。ぞうっとしながら、アッシェンバッハは、その男の様子と、その男が友人たちと相伍している有様とを見守っていた。 ”



老いるということは、必ずしも醜くなるということを意味しないし、ここでもそういうことが描かれているのではないと思います。アッシェンバッハが「ぞうっと」なるのは、青年のような外見とその中身の老いぼれぶりとが、あまりにもかけ離れていていたからでしょうか。にせものの青年は、極端に若作りするべきではなく、たぶんもっとうまく実年齢に見合った若々しさの演出をするべきだったのかもしれません。

この残酷な場面をこらえて物語を読み進めていくと、ヴェニスで神々しいまでの美少年を見かけて夢中になり、それまでずっと外見のことをさほど気にしたことのなかったアッシェンバッハもまた若さを取り戻すべく、美容師の手にかかって化粧を施してもらうのです。そしてその結果に「ひとりの生き生きとした青年を見た」と満足するのです。

老いるということは必ずしも醜くなるということではありませんが、しかし若さにはそれ自体美しいところがあるのは認められる事実でしょう。老いるごとにその美しさは少しずつ失われてゆくように感じることも、私にも実感としてあります。みずみずしさが失われ、以前と同じような体型、顔つきをしていたとしても、やはり決定的に印象が違ってしまう。

にせものの青年も、初老に至って恋をしたアッシェンバッハも、我が身を過ぎ去った若さを、美を、ふたたびその身に取り戻したかった。前者の極端ななりふり構わぬ若作りと、後者の品よく身分と年齢をわきまえた若々しい身繕いとでは、第三者が受ける客観的な印象に違いがあるのだろうと思います。けれども二人が求めているのは、いずれにしても若さとその美。その求める思いの程度に、どのくらいの違いがあるのか私には分かりません。

美とはなんなのでしょうか。

私たちをただ通り過ぎたり、あるいはかすりさえしないところにあるものでしょうか。美の象徴のように描かれる少年タッジオにしても、アッシェンバッハは少年の歯並から彼が長生きしないだろうと推測して安心するのです。それは老いればあの美少年からもやはり美が失われてしまうに違いないと考えるからでしょうか。美しいものと一体となっているあいだに死んでしまうほうがいいと思うのでしょうか。

美とはなんなんだろう。
ただ通り過ぎていくだけのものだろうか。あるいはずっと遠くに届かないところにあるだけのものだろうか。留めておけないなら、手に入らないものなら、どうしてそれを追い求めなければならないのだろうか。一瞬、それに触れられたような気がしたことがあったとして、それだけで満足できないとしたら、それはどうしてなんだろう。美しいもののことを思って、悲しくなることがあるのは、いったいどういうわけなんだろう。




読み落としているところがたくさんあって、まだちゃんと考えたとは言えませんね。けれども、印象的な物語でした。もう一回くらいは読めるかな。自信ないな……






お雑煮(K)

2012年01月02日 | もやもや日記






K氏がお雑煮を作ってくれました。K氏のおうちのお雑煮は、里芋と人参、大根の味噌味。そして画像のように仕上げに鰹節をかけるんだそうです。珍しいですね~。美味しかったです。

お雑煮というのは各地方各家庭によって、かなり違いがあるようです。私の実家のお雑煮は、焼いた鯛のほぐした身、焼き豆腐、コンニャク、人参、ごぼうが入っていて、味付けは醤油味。わりと濃い目の味ですね。ああ、食べたい…


お雑煮の後ろにちらっと写っているのは、おせち。栗きんとんと黒豆はいただきもの。それからロースハムとチーズなどを買ってきて、なますだけ自分で作りました。それでどうにかおせち風。なんとかお正月らしくなったかな…でもやっぱり重箱に入ってないと気分がでないわ~。

いただきものの栗きんとんがとても甘くて量も多く、なかなか減らないので、ホームベーカリーで自作するパンに練り込んで焼いてみているところです。どうでしょ? うまく出来ますかね?? それでもまだ余っているので、明日はホットケーキミックスで作るパウンドケーキにも入れてみるつもりですよ!







あけまして!

2012年01月01日 | もやもや日記


あけましておめでとうございます!





さて、明けましたね☆
今年はどういう1年になるのでしょうか。とりあえず私は健康第一、爽やかに過ごすところから始めたいですね。それでまず年越しなんですけど、私は大晦日の夜9時からニコニコ動画生放送『化物語』を(タイムシフト予約してあった)見始めて、見終わったのは元旦の朝4時、8時間ぶっ通しで全15話を視聴したので4時間しか寝てないっすよ……ね、眠い! ていうか、年明けの瞬間も『化物語』を観ていて、私は年を越したことに気がつきましたが、K氏は20分経ってからようやく気がつきました。新年早々アニメ三昧というわけです。今年もたくさん観たいなあ。『化物語』を観たのも、今月から『偽物語』がアニメ放送されるからでして、うん、『化物語』の評判は聞いていましたがなかなか面白かったですよ。しかし、疲れたわな。

昨年中に観たアニメやら映画やら、読んだ小説やら漫画やらの感想を、結局書かずに越してしまったので、順番に書いていかないと。書くことがたくさんあるぞ。よし、がんばろう、明日から…(今年もさっそく問題の先送り;)。




では、みなさま!
2012年もよろしくお願いします~~(^o^)!