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『ヴェニスに死す』

2012年01月03日 | 読書日記ードイツ

トオマス・マン作 実吉捷郎訳(岩波文庫)


《あらすじ》
旅先のヴェニスで出会った、ギリシャ美を象徴するような端麗無比な姿の美少年。その少年に心奪われた初老の作家アッシェンバッハは、美に知性を眩惑され、遂には死へと突き進んでゆく。神話と比喩に満ちた悪夢のような世界を冷徹な筆致で構築し、永遠と神秘の存在さえ垣間見させるマンの傑作。


《この一文》
“そしてアッシェンバッハは、すでに度々感じたように、言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることができるだけで、それを再現する力はない、と苦しい気持で感じたのであった。 ”



昨年末に読んだ1冊。考えるべきポイントは結末部分にあると思うものの、振り返るとやはり最初のある場面が頭から離れないのでした。私はこの『ヴェニスに死す』を3度目の挑戦でようやく読み終えたわけですが、前の2回はいずれもその場面にさしかかったところで挫折していたのでした。それは、こういう場面。

旅に出たアッシェンバッハはヴェニス行きの船に乗るのだが、そこで一人の男を見かける。その男は淡黄の、極端に流行風な仕立の夏服に、赤いネクタイをつけ、思いきってへりのそりかえったパナマ帽をかぶり、からすのなくような声を出しながら、ほかの誰よりもはしゃいだ様子を見せている。しかしよく見ると、その青年はにせものなのであった。

“しかしアッシェンバッハは、その男にいくらか余計注意してみるやいなや、この青年がにせものなのを、一種の驚愕とともに認めた。彼は老人である。それは疑うわけにはいかなかった。小じわが目と口のまわりを囲んでいる。頬の淡紅は化粧だし、色のリボンでまいてあるむぎわら帽の下の、栗いろの髪の毛はかつらだし、くびはやつれてすじばっているし、ひねりあげた小さな口ひげと、下唇のすぐ下のひげとは染めてあるし、笑うときに見せる、黄いろい、すっかりそろった歯並は安物の義歯だし、両方の人差指に認印つきの指環のはまった手は、老人の手なのである。ぞうっとしながら、アッシェンバッハは、その男の様子と、その男が友人たちと相伍している有様とを見守っていた。 ”



老いるということは、必ずしも醜くなるということを意味しないし、ここでもそういうことが描かれているのではないと思います。アッシェンバッハが「ぞうっと」なるのは、青年のような外見とその中身の老いぼれぶりとが、あまりにもかけ離れていていたからでしょうか。にせものの青年は、極端に若作りするべきではなく、たぶんもっとうまく実年齢に見合った若々しさの演出をするべきだったのかもしれません。

この残酷な場面をこらえて物語を読み進めていくと、ヴェニスで神々しいまでの美少年を見かけて夢中になり、それまでずっと外見のことをさほど気にしたことのなかったアッシェンバッハもまた若さを取り戻すべく、美容師の手にかかって化粧を施してもらうのです。そしてその結果に「ひとりの生き生きとした青年を見た」と満足するのです。

老いるということは必ずしも醜くなるということではありませんが、しかし若さにはそれ自体美しいところがあるのは認められる事実でしょう。老いるごとにその美しさは少しずつ失われてゆくように感じることも、私にも実感としてあります。みずみずしさが失われ、以前と同じような体型、顔つきをしていたとしても、やはり決定的に印象が違ってしまう。

にせものの青年も、初老に至って恋をしたアッシェンバッハも、我が身を過ぎ去った若さを、美を、ふたたびその身に取り戻したかった。前者の極端ななりふり構わぬ若作りと、後者の品よく身分と年齢をわきまえた若々しい身繕いとでは、第三者が受ける客観的な印象に違いがあるのだろうと思います。けれども二人が求めているのは、いずれにしても若さとその美。その求める思いの程度に、どのくらいの違いがあるのか私には分かりません。

美とはなんなのでしょうか。

私たちをただ通り過ぎたり、あるいはかすりさえしないところにあるものでしょうか。美の象徴のように描かれる少年タッジオにしても、アッシェンバッハは少年の歯並から彼が長生きしないだろうと推測して安心するのです。それは老いればあの美少年からもやはり美が失われてしまうに違いないと考えるからでしょうか。美しいものと一体となっているあいだに死んでしまうほうがいいと思うのでしょうか。

美とはなんなんだろう。
ただ通り過ぎていくだけのものだろうか。あるいはずっと遠くに届かないところにあるだけのものだろうか。留めておけないなら、手に入らないものなら、どうしてそれを追い求めなければならないのだろうか。一瞬、それに触れられたような気がしたことがあったとして、それだけで満足できないとしたら、それはどうしてなんだろう。美しいもののことを思って、悲しくなることがあるのは、いったいどういうわけなんだろう。




読み落としているところがたくさんあって、まだちゃんと考えたとは言えませんね。けれども、印象的な物語でした。もう一回くらいは読めるかな。自信ないな……