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もやもや日記

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『涼宮ハルヒの消失』

2011年09月12日 | 映像(アニメーション)


原作:谷川流
原作イラスト/キャラクター原案:いとうのいぢ




《あらすじ》
クリスマスが間近に迫ったある冬の日。
学校に向かったキョンはいつもの日常と違うことに気づく。後ろの席にいるはずのハルヒがいない……。さらに驚くべき事に、その席に座っていたのは、(『憂鬱』にて)キョンを殺そうとして長門に消滅させられたはずの朝倉だった!




前から観たかった劇場版『涼宮ハルヒの消失』をようやく観てみました。レンタル屋に行くと、いつも既に借りられていたのでなかなか観られなかったのですが、金曜日にK氏が借りて来てくれました。ついに!

ハルヒのTVシリーズのほうはまだ第1期しか観ていない私は、『消失』を観る前にこれだけは観ておけと言われていたTVシリーズ第2期の「笹の葉ラプソディー」を観ておきました。劇場版の方を観たら分かったことですが、なるほど、「笹の葉」を観ておかないと、この映画の設定のいくつかがサッパリ分からないことになってしまうところでした。なるほど、なるほど。




さて、この『涼宮ハルヒの消失』ですが、タイトル通り、作中では主人公の涼宮ハルヒがキョンの前からいなくなってしまいます。シリーズのこれまでの物語で描かれてきたいくつかのエピソードがうまく複雑に交錯するという、なかなか手の込んだお話になっていました。面白かった。

映画の「良い点」と「もうちょっとどうにかならなかっただろうかという点」を挙げると、このようになるでしょうか。


まずは、良い点から。

長門さんが激カワイイ!

何と言っても、この映画の最大の見どころは、長門さんが可愛い! それに尽きます。私は満足です。


もうちょっとどうにかならなかっただろうかという点については、ふたつのことがありました。

ひとつには、キョンがもうちょっと魅力的な人物であればよかったこと。彼はこんな詰まらない人物であっただろうか。TVシリーズでも、たしかにちょっと「語りがイチイチうぜー」とは思っていましたが、そんなに気になるほどのことはなかったのに、なぜだかこの劇場版では、かなり自己本位で嫌な感じの少年としか映らなかった。私の思い入れが足りないせいかしら…シリーズ全作をちゃんと観たら、印象がまた変わるかもしれません。うん、そうかも。

しかしシリーズに関する情報と愛着が幾分足りていないかもしれないにしても、私の率直な印象では、キョンという人物はいささか浅薄で無礼かつ暴力的な人物に思えました。あたふたするのは仕方ないにしても、せっかく貴重な情報を提供してくれた谷口くんは、訳も分からずパニックに陥ったキョンによって胸ぐらをつかまれてバカヤロー呼ばわりまでされ、まったくもって気の毒じゃあないですか。突然ひとりきりで別世界に放り出された孤独とタイムリミットが迫っている焦燥感によるものとは言え、ちょっとひどい気がする。

また、キョンが選択を迫られるあの場面の演出は私には過剰な気がしましたね。少々気分が悪かった。キョンを詰問するもうひとりのキョンの在り方に、キョンという人物の横暴さや傲慢さ、また自分自身のゆとりのなさを暴力に変換してしまいかねない弱さが滲み出ているような気がして仕方がなかったな。考え過ぎかな。どうも私はキョンが気に入らないらしい。。。キョンの美点というのはどういうところなのだろうか? ハルヒや団員たちに気に入られるような要素って、どこにあったのだったかな?
まあ、しかし、これに関してはシリーズを通してちゃんと把握したら解消するかもしれない印象なので、これ以上書くのはやめておこう。


もうひとつ、ハルヒが空気。あまりにも空気!
今回のメインは長門さんだから仕方がないのだろうけど、ハルヒの存在感があまりに希薄で、ちょっと気の毒でしたね。ハルヒってでも、ゴタゴタの中心にいるというわりには、これまでもわりと空気で気の毒な印象があるなあ。それがいいんだろうか。どうなんだろうか。




さて、これはこのくらいにしておいて、良かった点についても詳しく書いてみましょう。先に書きましたが、長門さんがこれまでとかなり違った風に描かれているところが、この作品の見どころです。

いつも静かに窓辺で読書している長門有希さんは、見た目は普通の可愛らしい女子高生ですが、その正体は情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースで、その身に備えられている桁外れの能力を用いて、SOS団のピンチを救って来たという人物です。感情表現にきわめて乏しいのが特徴。

その長門さんが、このお話のなかではまるで別人のように変貌していました。微笑んだり、頬を赤らめたりもするのです。

私はこれまでのクールで頼りになる長門さんが好きだったつもりでしたが、すっかり変わってしまった長門さんに対しても心魅かれてしまったのは、どういうわけなのかとしばらく自問してみました。私は長門さんの外見的要素が好きだっただけだから、中身が変わってしまってもやっぱり好きになってしまうのだろうか。

いや、そうではない。私は長門さんというキャラクターが、「どうしてそうなのか?」「彼女が何を考えて、そのように振舞うのか?」ということをあれこれと想像するのが楽しいのです。感情が見えない長門さんの背後にあるもの、その奥底にあるかもしれないもの、そういうものを想像しては、「うおお!」となるのです。

けれどもこれは人間的な発想かもしれませんね。感情を感じられないはずのところに感情らしさを見出して、価値を置くなんてことは。

人間に比べてより高次の存在に所属する長門さんに、人間と同じような「感情」を見出したからといって、それが本当に意味があったり、価値があったりすることなのだろうか?

感情などというものがそれほどまでに素晴らしいものなのかどうか、人間にとって素晴らしいものが別の存在にとっても素晴らしいものでありうるかどうかは私には分かりません。自分のまわりの美しいものに魅かれたり、自分に向けられる他者の思いやりの温かさに打たれたりするのは、たしかに人間にとっては価値ある素晴らしいものではあるけれども……。

まあしかし、私もやはり人間であるので、感情の見えない長門さんの中に、感情らしきものの片鱗を見たりすると、心を動かされたりするわけです。情報統合思念体によって造られた長門さんがその本来の役割を果たすこと以外に、団員との関係性のなかで特別な意識を芽生えさせ、それが何か人間にとっては温かく思えるようなものだとしたら、私もやっぱり嬉しくなってしまうわけです。そして長門さんにとってもそれが素晴らしいものでありうるとしたら、私もやっぱり嬉しくなってしまうわけだ。長門さんが頬を染めて笑ってもいつも通りに笑わなくても、彼女の内部にそういう「気持ち」があるのかもしれないと考えると、胸の中がじりじりしてくるのです。



長門さんが可愛いこと以外の良かったところとしては、あと、舞台の背景設定がすごくリアルで、キョンが信号待ちをしている小さな交差点のあたりなんかがとても印象的でした。坂の多い土地柄で、学校までの道のりも坂道、そしてその手前の交差点の歩道も傾いているのですが、その傾斜の具合がすごくリアル。ああ、こういう場所、ありますよね。夜道を走る自動車のスピード感や歩道の狭さもリアル。こういうリアルさが、私をこの物語の世界へ強く引き入れるようですね。

それから、朝倉さんが怖過ぎていい感じでした。再登場となった理由は分からないですが、怖さは健在でよかったです。




そういうわけで、そういうところがとても面白い作品でした。ともかく、私は一度ちゃんとシリーズを通して観てみないとな。








『栞と紙魚子』

2011年09月09日 | 読書日記ー漫画

諸星大二郎(朝日新聞社)


《内容》
奇々怪々な人々が棲息し、摩訶不思議な事件が頻発する胃の頭町を舞台に、女子高生コンビの栞と紙魚子が大活躍する、諸星大二郎の異色シリーズの待望の文庫版。


《この一文》
“「えーと…どこかで会いましたか……?」

「菱田きとらです。去年の撲殺社のパーティーでお会いしました……」

「あ……あの詩人が二人と評論家が一人血まみれで病院に運ばれたパーティー……」”





文庫版の『栞と紙魚子』の2巻と3巻を持っています。夏前のことでしたが、なんとブックオフでそれぞれ100円で売られていて、速攻で救出してきました。私はあまり諸星大二郎さんの漫画を読んだことはありませんが、kajiさんによると、この『栞と紙魚子』がすごく面白いらしいということだったので。買ってきて読んでみましたが、なるほど、面白い!



面白い。

それはたしかに面白いのですが、どこがどのように面白いのかと言えば、ちょっとうまく言えません。異常。異常ですね。異質とも言えるか。不気味だけれども、それほどには恐ろしくない不気味さと(ときどきすごく恐ろしいけれども)、奇妙なユーモア。主人公の女の子たちの周りでは次々と奇怪な事件が起こるのですが、何が奇怪なのかしまいには分からなくなるほどに、物語が全体として奇妙です。ちょっとついていけない。どこから突っ込んでいいのやらサッパリです。しかし、面白い。うーん、変だなあ!

まず、2巻の最初からしておかしな感じでした。栞さん(注:美少女)が、「行き倒ればったり(行き当たりばったり)」とか「ノリかけたウニ(乗りかけた船)」などとやたらめったらと駄洒落を連発し、えっえっ?? と思う間もなく、蔦屋敷の友子さんは包丁を振り回しながら「人肉バーベキューパーティー」と叫び回っているし、怪しい「キクラゲ男」が登場するわ、クトルーちゃんは川の上を走っているわ、段先生はそれを追いかけてるわで、もう何が何やら。世界が異常過ぎて、唖然とします。

もうひとりの主人公である紙魚子(しみこ)さんは古書店の娘なので、2、3巻のなかには古本を題材にしたお話もたくさんありました。本に食われそうになったり、本の渦に飲み込まれそうになったり、古書にまつわるものはどこか怨念めいた物語が多いですね。本を無限に集めて積んでしまうような人にはヒヤリドキリとする場面多数。


この栞さんと紙魚子さんですが、レトロな服装をしているし、舞台である胃の頭町もどこか懐かしい雰囲気のする町並みであったので、私はてっきり古い時代の作品なのかと思っていたら、なんと3巻の冒頭では携帯電話で話す紙魚子さんに遭遇! びっくり。どうやら現代らしい。巻末の初出を見たら、諸星さんがこれらを描いたのは、2000年前後のことでした。つい最近じゃないか……異空間すぎて分からなかったわ。時代を超越していますね。


さらに、登場人物のほとんどすべてが風変わりで、とくに変わっているのが「段先生一家」でしょうか。作家の段先生と、その奥方、お嬢さんの三人が、とにかく変わっています。

段先生は普通の中年男性に見えますが、奥さんが凄い。巨大な顔だけの人物です。コマに大きな顔だけが登場するのですが、それが段先生の奥さんなのです。何者なのかは分かりません。2巻から読み始めた私は「これは1巻から読まなきゃ分からないのかな?」と考えましたが、kajiさんに聞いたら1巻から読んでも分からないだろうとのこと。なるほど…… しかし、愛らしい性格の、たいへん魅力的な人物でありますね。
娘のクトルーちゃんもかなり激しい感じ。雷に打たれたりしてました。そしてパワーアップ、みたいな。でもいつも元気溌剌ほがらかで、愉快な人物です。

そして、その段先生に一方的に熱烈な思いを寄せている女流詩人の「きとら」さん。きとらさんが凄過ぎて、私は圧倒されました。すさまじく突飛な人物設定です。代表作は『殺戮詩集』……ふふふ、ははは。段先生を追いかけて(ストーキング)、野宿、ムルムル(←公園などで見かける謎の生物)の鍋を食べて生きています。パワフル過ぎるな。いやー、すごい。青空ムルムル鍋パーティーの話は爆笑だったわい。撲殺社とか絞殺社といった出版社と関わり合いが強いようですね。なるほど!!




さてと……まとまりません。私にはまとめられません。まとめられるわけがない。とにかくものすごいものを読んでしまったようです。連作短篇集なので、気軽に楽しく読むことができます。
私としては2巻の『魔書アッカバッカ』が面白かったな。それから『きとらのストーカー日記』が最高だった。『頸山の怪病院』は、私はこういう怖い夢を見たことがあるので、メチャクチャに恐ろしかったです。他のお話も気になるので、今度この『栞と紙魚子』のシリーズは全巻揃えることとしよう。








「死こそわが同志」

2011年09月07日 | 読書日記ー英米

ジェラルド・カーシュ 駒月雅子訳
(『壜の中の手記』西崎憲 他 訳(角川文庫)所収)


《あらすじ》
金物商会の外交員サーレクはコジマを愛したが、コジマは画家のヤーノシュと愛し合っていた。芸術家のヤーノシュが創造を愛するのに対して、武器商人のサーレクは破壊を愛した。最新式の武器を売ることで巨万の富を得たサーレクはコジマの愛を得られぬまま孤独に老いさらばえて……


《この一文》
“「理解できないね。鍬や工具は人間に快適さと生命の糧を与える。だが銃や大砲が与えるのは苦痛と死だけだ」
 「理想家だな、君は」サーレクは冷然と突き放した。「それはそれで大いにすばらしいよ。だが大事なことを見落としている。世の中はつねに移り変わっていて、その移り変わりこそが命の原動力だってことを。現在、世界の国々は戦争へ向かっている。どんなことでもそうだが、その状況を歓迎する者もいれば、そうでない者もいる。それでも国家は勢力を保持するため武器を持たざるをえない。銃は力だ。私は銃が好きだ。君たちは何かにつけ精神の物質に対する勝利を口にするが、いいかい、それを表現しているのが銃なんだ。引き金に指をかけ、照準器に敵をとらえる――これこそ精神の物質に対する勝利じゃないか。ひと昔前までは単純な先込め銃しかなかったが、いまはクリーガー機関銃があって――」 ”






何度読んでも痺れる短篇小説というものがありますが、これもそういった短篇のひとつです。私はジェラルド・カーシュが好きだ。数多くいる好きな作家のなかでも上位に入るくらいに好きなのです。読めるだけのこの人の短篇は、だいたい読んでしまったと思うけれど、この「死こそわが同志」はタイトルの格好良さからしてビリビリくる。原題は“Comrade Death”。


短篇集『壜の中の手記』に収められた物語はどれもこれも面白いですが、読み終えてから月日を経ても、忘れっぽい私がタイトルと内容をしっかりと一致させて思い出すことができたのはこの「死こそわが同志」だけでした。恐ろしい物語です。久しぶりに読み返してみましたが、やっぱり面白かったです。最初に読んだ時よりもいっそう面白かった(『壜の中の手記』:過去記事)。


どことなくクストリッツァ監督の傑作映画『アンダーグラウンド』を思い出させるこの作品(主人公が武器商人で男女の三角関係があるっていうところが似てるだけかもですけど)の、爆発的破滅にいたるまでの最後の部分が私は好きなのですが、たとえば最初のほうのこういう文章に出会うと、どうしたらよいのか分からなくもなるのです。


“君たちは何かにつけ精神の物質に対する勝利を口にするが、
いいかい、それを表現しているのが銃なんだ。引き金に指を
かけ、照準器に敵をとらえる――これこそ精神の物質に対す
る勝利じゃないか。”



………。

……だめだ、私には言い返すことができそうもない。




ジェラルド・カーシュの物語が面白いのは、ものすごく読みやすく、舞台も設定もそのときどきでSFから幻想、怪奇、ミステリとバラバラなのにどの物語にもジェラルド・カーシュらしさとでもいうべき独特の病み付きになるような毒素があり、いつもいつも大胆かつ奇想天外でドラマチックなところです。読者の心を意のままに操ることのできる一流の語り手なのです。大波に乗せられたみたいに物語の中へぐいぐいと引き込まれてゆくと、ところどころでハッとするような文章にぶち当たる。グサッと突き刺さるようなことを、サラッと書いてある。面白いったらない。

ついでに、同じ本に入っている「時計収集家の王」や表題作の「壜の中の手記」も気が遠くなるくらいに面白いです。あ、別の短篇集『廃墟の歌声』(過去記事)のほうもめちゃくちゃに面白いので、なんだか読み返したくなってきちゃったぞ……!



作家としてはかならずしも恵まれた生涯を送ったとは言えないらしいジェラルド・カーシュですが、多作の人だったそうなので、もっと邦訳が出るといいですね。私は短篇集を2冊と、「カームジン」という大泥棒(または大ぼら吹き?)を主人公とした連作短篇集(『犯罪王カームジン』:過去記事)を1冊持っていますが、正直言って、これだけでは読み足りません。アンソロジーに入った短篇のいくつかも読んでしまいましたし(過去記事「ジェラルド・カーシュ 3つの短篇」)、まだ他にあるというなら誰か訳してほしいなあ!









昨日から今日

2011年09月06日 | もやもや日記




ようやく台風が去ったようです。久しぶりの晴天です。

昨日の昼には雨がさーさーと降っていましたが、雲の切れ目からは空の青いところも見えたりしたのです。透明ビニール傘をさしていた私はそれを撮影しようと思って、歩きながら携帯電話のカメラでパチッとやってみたんですが、このありさまです。




青空、写ってねー(ヽ´ω`)

でも水滴は美しいなあ。
これらの水滴は、私に当たるはずのところを傘によって遮られてしまったということか。傘とは偉大な発明である。うむうむ。


そして、今日の空。



雲がもくもく浮かんでいます。空気がスキッとして秋らしい陽気です。このまま秋に突入してほしい。むむっ、突如としてサンマと栗ごはんを食べたくなってきた。秋だな、秋。







『Steins;Gate』が面白過ぎて破裂する

2011年09月05日 | もやもや日記



TVアニメ『Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)』公式サイト





タイトルの通りです。グハアァッ!!!
このアニメが面白過ぎて、私は破裂してしまいそうだあ~~~! うぐぐうぐぐぐ。いやー、最近のアニメは面白いなあ!


さて、私は目下このアニメシリーズを第22話まで観たところなんですが、たぶんあと数話で完結するだろう佳境に入った段階なので、結末が気になって気になって、悶絶中…うおおぉぉぉぉぉ!

とにかく『シュタゲ』がどういった結末を迎えるのか、オチをどのようにつけるのかを知りたくてたまりません。K氏とは、ひたすら『シュタゲ』ネタで会話を成立させております。

「いや、それでαからβへ…」
「待て! αでもβでもなく、また別の可能性もあるのではないだろうかっ!?」
「あと数話で解決するには、どういう道筋が考えられるんだっ??」
「つーか、あのときのあれはどうなったんだ…!」
「……!!」
「……◎×●□!!!」

と大真面目に議論を交わしている最中です。まー、おしまいまで見れば、おのずと知れることではありますがね。先の展開を予想するところまでが、アニメシリーズをみる楽しみの重大要素というわけですよ。

それにしても、もの凄く見応えのあるアニメです。厨二な自称マッドサイエンティスト、天才科学少女、コスプレ娘、オタ技術者、猫耳メイドに男の娘で、舞台はアキバ、そんでSFタイムリープときたよ、やべー、気が変になりそう。こいつは面白いんだぜ! 最終回まで私を楽しませてくれよ!!


******
ちなみに「第一話」と「最新話(第22話)」をニコニコ動画で視聴することができます。

→ シュタインズ・ゲート―ニコニコチャンネル





ふう。『ピンドラ(輪るピングドラム)』にも悶えてるところだし、私もいつか立派なアニオタになりたいわい(´∀`*)!
頭のなかがアニメの謎のことで一杯であります。楽しいなあ。わははは!





『どちらかが彼女を殺した』

2011年09月04日 | 読書日記ー日本

東野圭吾(講談社文庫)




《あらすじ》
最愛の妹が偽装を施され殺害された。愛知県警豊橋署に勤務する兄・和泉康正は独自の“現場検証”の結果、容疑者を二人に絞り込む。一人は妹の親友。もう一人は、かつての恋人。妹の復讐に燃え真犯人に肉薄する兄、その前にたちはだかる練馬署の加賀刑事。殺したのは、男か? 女か? 究極の「推理」小説。





これは面白かった。前に読んだ『卒業』同様、暗くて暗くてしょうがなかったですが、この作品はあれこれと仕掛けがしてあって、斬新な面白い形態をしていましたね。


まず、タイトルからも分かるように、ふたりの容疑者のどちらかが犯人なのですが、かわるがわる疑惑がかけられていくので、最後まで犯人が分からない。ハラハラしながら読み進めることができます。

しかし、そういうのはミステリでは普通の流れですよね。この作品の面白いのは、最後の最後まで、どちらが犯人なのか分からないままで終わってしまうというところでしょう。

えっ!?

最後の場面はとてもダイナミックでドラマチックだったけれども、ちょっとー、どっちが殺したのか教えてくれよ~~。スッキリしないじゃないの~~!

と、もやもや感を抱えたまま放り出されてしまいましたが、私はあの人が犯人だと思う! あの場面でのあの行動が決め手になったと思うね! それに、あの人の方が、より殺人への動機が強いだろうし、普通に考えて……

このように私なりに推理してみましたが、でも、やっぱりスッキリしない。



どうもよく分からない、という人のために、この文庫には《推理の手引き》なるあとがき解説が付いています。

ところが!

このあとがきが、なんと「袋綴じ」になってるんですよね; なにそれ、どういうサービスなの? あ、でも、先にあとがきから読んでしまう人へのネタバレ防止策ということなのかもしれませんね。ともかく、「袋綴じ」になっています。

私はこの本を姉から拝借したのですが、姉はだいぶ前に読んだのに、袋綴じを開けていなかった……
「あれ? 解説を読まなくてもどちらが犯人か分かったの?」と尋ねると、姉は「え…そんな話だったっけ? さっぱり覚えてない」。この凄まじい忘却力、よく似た姉妹です。私も『名探偵ポワロ』のTVドラマなんて、毎度犯人もストーリーも思い出せぬまま無限ループで見続けてるしな…。

ともかく、姉は袋綴じを開けていなかったので、私も開けなかった。でも中身が気になるので、袋綴じの隙き間からどうにか覗いて読んで(←結局、読むことは読む)、犯人確定の手がかりを得ようと試みたわけです。

それで、このあとがきが役に立ったかのかと申しますと、これが驚いたことに大して役に立たなかった…! ぐふっ。あくまでも「推理の手引き」に過ぎず、犯人を名指すようなものではなかった。うーむ、そうだろうと思ったけど、ここに書いてあることくらいまでなら、私も推理できてたんだよ~~!
まあでも、こういうつくりは面白いですね。



そんなこんなで、私はあの人が犯人だと思っていますが、ほんとうはどうなのか分からない。え、なにそれ、そんなのってアリ?? こんな推理小説ってアリなの!? スッキリしねえなあーー!! ミステリでの読後感としては、こりゃあ新感覚だぜ。

もうほんとうにスッキリしなくてもやもやしますが、物語のハラハラ感と、先を読まされるスピード感は爽快でした。ぐんぐん読み進む感じというのは久しぶりだったので気持ちがよかった。あと、物語の暗いところがなんだかんだで良かったです。


ただひとりの家族である妹を溺愛し、復讐に燃える兄。けれども、どうして妹が殺されたのかを調査してゆくうちに、妹とその親友、元恋人との人間関係のどろどろさ加減が明らかになり、兄は自分のまるで知らない妹の人物像が知ることになったりするのです。相手によって見せる顔がまるで違う。誰にでも、そんなことはある。


殺人のトリック云々よりも、この暗く冷たいドラマ部分が心に残ります。ある人が、別の誰かとの信頼関係を失いながら生き続ける悲しみというか。『卒業』でもそうでしたが、これこそが東野テイストということなのでしょうか。どんよりした余韻がありますね。


さて、初・東野作品2冊を読んでみて、結構面白かったので、今後も読んでいきたいと思っています。「加賀シリーズ」以外のシリーズも読んでみたいなあ。姉がほとんど取り揃えているようなので、正月にまた借りようっと!






台風

2011年09月02日 | もやもや日記





台風12号が近づいているようで、昨日から風が強いです。しかし、進みが遅いのか、こちらにはまだ到達していないみたいですね。

とにかく、湿っぽくて蒸し暑く、眠くて眠くて仕方がありません。低気圧め……。あー、眠い。目を開けているのがやっとです。
そんなわけで、今日は予定していた『どちらかが彼女を殺した』の感想も書けなかったし、なんだか冴えない一日となってしまいました。


でも、これが行ってしまえば、少しは秋らしくなりますかね?
期待!( ´▽`)




『卒業 雪月花殺人ゲーム』

2011年09月01日 | 読書日記ー日本

東野圭吾(講談社文庫)



《あらすじ》
七人の大学四年生が秋を迎え、就職、恋愛に忙しい季節。ある日、祥子が自室で死んだ。部屋は密室、自殺か、他殺か? 心やさしき大学生名探偵・加賀恭一郎は、祥子が残した日記を手がかりに死の謎を追求する。しかし、第二の事件はさらに異常なものだった。茶道の作法の中に秘められた殺人ゲームの真相は!?





あれっ!?
推理ものって、こんなに後味悪かったっけ………?



というのが、読後の最初の感想でした。これは、私が殺人ミステリを読むのがものすごく久しぶりのせいなのか、それとも初めて読んだ東野作品特有の暗さなのか、まだ判断がつきません。でも、よく考えると、人がバタバタ死ぬ(殺される)ミステリというのは、暗くて当たり前だよな。うむ。


高校時代からずっと仲の良かった友人が、学校から社会へとその身の置き所を移そうとするその直前に、突然死んでしまったら? しかも、その死がこの仲間内の誰かによってもたらされたものだとしたら?

という疑心暗鬼のなかで、学生時代の貴重な最後の日々が費やされていくという暗黒物語でした。ひとりが死んだと思ったら、またすぐ別の人も死ぬんです。で、それはどうやら殺人のようで、グループ内の誰かが殺しちまったみたいなんですよ。ああー、暗いよーー!




この作品のやりきれなさというのは、すごく仲の良かった友人同士が、実はそれぞれ自分の利益のために仲間内で陥れ合い、そればかりか殺し合ったりし、長い年月を仲良く過ごしてきたはずなのに、結局はまるで他人で、互いの深いところまでは少しも理解し合うことがなく終わってしまうというところにあるでしょうか。

登場人物の多くに殺人の動機があるように描かれるのはミステリだから仕方ないとは思うものの、それにしても後味が悪い。
仲良しグループ内の人間関係が、どろどろしすぎてます。気が重くなる。こんなふうに友情が崩壊していくのを見させられるのは嫌なもんですね。けど…結局人はどんなに誰かを好きになったとしても、その動機は「それが自分の利益になるから」に過ぎず、同じように「利益を確保するためなら」友人といえども利用するし陥れもする、ということなんでしょうか。そうかもしれない…どんより。いや、そんなことはないか。これはお話だし……





とにもかくにも、予想以上に暗黒なのでビックリしました。ちょっとかなり衝撃でした。こういうもんだったかなあ? ミステリ離れしてたせいなのかなあ? ビックリしちゃったヨ!
でもこんなに暗かったのは、主人公が事件の内部にいたからかもしれませんね。よそからやってきて事件を解決するタイプの探偵小説では、ここまで暗くならないような気がする。そうだよ、うん。


と、気を取り直して同じく東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』もすぐに読んでみましたが、これはこの『卒業』にも登場する加賀君という人が今度は刑事として事件に外部から関わる話なんですが、やっぱり暗かったです。あ…あれ?? あー、でもこれもまた主人公は事件の内部にいる人だからだな(加賀君は脇役)。
これも暗い、暗い言いながら読んだ『どちらかが~』の感想はまた明日。