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もやもや日記

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『タイムマシン』

2011年09月21日 | 映像
2002年 アメリカ

監督 :サイモン・ウェルズ/ゴア・ヴァービンスキー
出演者:ガイ・ピアース/ジェレミー・アイアンズ



《あらすじ》
1890年代、ニューヨーク。大学教授のアレクサンダーは婚約者のエマを強盗の銃弾によって失う。落胆したアレクサンダーは自宅にひきこもり、タイムマシンを完成させ、過去へ戻ってエマを救おうと試みるが、どうしてもうまくいかない。なぜ過去を変えることができないのか。その答えが未来にあると考えたアレクサンダーは、タイムマシンに乗って未来へと向かうのだが…






一応、H.G.ウェルズの『タイムマシン』を原作にしているらしいのですが、あれ? こういう話だったっけ?

原作を2度ほど読んだことのある私は、念のためそちらも確認しようと書棚に目を向けましたが、不思議なことに『モロー博士の島』と『宇宙戦争』しか確認できませんでした。おかしい…たしかに持っていたはずだが。もっとおかしいのは、私は『タイムマシン』を2度読んだことがあると言いながらも、その内容をサッパリ思い出せないことだった。おかしい。これはおかしいぞ……!


ともかく、原作とはちょっと違う? と思いながら観ました。実際にこの映画ではいくつかの設定に大幅な変更が加えられているんだそうです。なので、原作のことは忘れて、映画版の方だけについて書くことにします。


まず、この映画のテーマはなんだったのかということを考えてみるに、「過去はもう変えられないから、せめて未来を変えよう」「過去を乗り越えて、未来に向かって進もう」ということだったのではないかと思います。

主人公のアレクサンダーは恋人を死なせてしまい、失意のうちに過去への旅に乗り出すのですが、過去へ戻って、恋人の死の元凶となった強盗との遭遇を避けてみても、やはり別の原因で恋人は死んでしまうのです。

その因果から逃れることが、どうしてもできない。

19世紀末ではなくてもっと遠い未来ならば、その答えを見つけられるかもしれないと、アレクサンダーは今度は未来へ向けて出発するのですが、その未来の描写が、この映画の大きな見どころでした。

アレクサンダーは、いくつかの未来に立ち寄ります。私が印象的だったのは、2037年ですかね。その頃の人類は既に月へと進出していたのですが、その月が爆弾によって崩壊し、大きくひび割れて空に浮かんでいるのです。そして、世界中が大パニックになっています。

この場面は、私の大好きなアレクセイ・N・トルストイの短篇小説「五人同盟」を思い出させて非常に興奮しました。いいね! いいね!

そして、おそらく月が崩壊したことによってもたらされる地球環境の大変動を、タイムマシンに乗ったアレクサンダーとともに、80万年という歳月を飛び越えながら見ていくのは、実に壮観でした(ここではアレクサンダーは気絶してましたが)。ここまではすごく面白かった。



映画の後半は、「えっ?」「あれっ?」「いいのそれで??」の連続で、それなりに面白かったですが、私は倍速にして観ました。ご、ごめんよ。
私としては、当初の目的である「因果を超える方法」についてをもう少し掘り下げてほしかった。過去は変えられない。うん、それはそうだ。未来をこそ素晴らしいものにしよう。というのは分かるけれども、あのエンディングで、果たして素晴らしい未来が到来するのだろうか。いや、未来は不確定だからこそ、人生が面白いんだろうけれども。けれども、アレクサンダーがなぜあの時代を選んだのかが、私には分からなかった。あの物語の中で、彼が自分の生まれた時代を捨てるほどの、なにかが、あっただろうか?


なんだかんだで、あれこれと考えさせられる映画でした。原作の方は終わりの部分を、こないだ書店でチラ読みしてきたら、結構感動的な雰囲気だったので、そのうちまた読み直そうと思います。