半透明記録

もやもや日記

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くすり嫌い

2009年09月17日 | もやもや日記




私は薬を飲むのが嫌なので、風邪を引いて医者で貰ってきた薬なども、症状が軽くなったかなと思うとすぐに止めてしまうのですが、月曜日に親不知を抜いた傷がなかなか癒えないのか、ここ2日間は耐え難い痛みに耐えかねて、とうとう痛み止めを追加でもらってきてしまうという羽目に陥っています。痛い。甘く見ていたけど、この大穴はなかなか治らなそうだぞ……。

それに、抜けた箇所だけでなくその周辺がじわじわと痛むのは不思議です。歯科の先生によると、痛むのはわりと普通のことであるそうなので、もうしばらくは我慢したいところですが、いつまで耐えられるか自信がありません。い、いてーな、おい。どうにかならんかね。


というわけで、痛み止めを6回分追加で貰ってきました。屈辱…。

薬のなかでも特に苦手なのが、痛み止めや頭痛薬です。飲むと本当に痛みが緩和するのが、私にはどうにも気持ちが悪い。どういう仕組みなのでしょうか。痛みが和らぐというのは、感覚が鈍くなるということなのでしょうかね。あんまり効くのは怖い気がしてしまいます。

それで、極力薬を飲みたくない私は、耐えられる限りは耐えているのですが、やばい、もう疲れてきた; 痛くて飯も満足に食えないので、さらに体力を奪われて憔悴しきっています(/o\;) そして体力の衰えのために痛さも割り増しに感じるという…いかん、とんだ悪循環だぜ。これは次回の抜歯を少し遅らせてもらわないと駄目かも…。 



うーむ。なんだか痛々しい記事になってしまったので、ちょっとは明るいことも書いておきましょうか。

薬全般が苦手な私が唯一認めている薬は、正露丸です。糖衣じゃなくて、砲丸のように黒いやつ。あれは効く。飲まなくても、あの匂いだけでつい条件反射で効いてしまうくらいです。
あれは凄いものです。…って、どこも明るくなかったかもしれないですけれど、今日はこれにて御免!





アルフォンソ・レイエス「アランダ司令官の手」/「夕食会」

2009年09月16日 | 読書日記ーラテンアメリカ

『美しい水死人』(福武文庫)
『遠い女‐ラテンアメリカ短篇集』(国書刊行会)
所収



《この一文》
“また、自分のことを知らない人がやってくると、わざと、目につくところに寝そべって<死んだふり>をするのだが、そのあとだしぬけに卑猥な指形を作ってみせた。かつての主人である司令官の顎を軽く叩くのがひどく気に入っていたが、蠅がうるさくまとわりついたりすると根気よく追い払ってやったものだった。司令官は出来の悪い息子でも見るように、そんな手をうっすら涙を浮かべ、やさしい目でじっと見つめていた。
 ――「アランダ司令官の手」より ”




ラテンアメリカの作家を整理する、第2弾。
今日はメキシコの学匠詩人・外交官であったアルフォンソ・レイエス(1889-1959)です。この人の作品は、『美しい水死人-ラテンアメリカ文学アンソロジー』(福武文庫)と『遠い女‐ラテンアメリカ短篇集』(国書刊行会)にそれぞれ1篇ずつ収められています。


まずは「アランダ司令官の手」(井尻香代子訳:『美しい水死人』所収)から。
さて、何度読んでも、燃え上がるような興奮を抑えきれなくなる物語というのがいくつかありますが、アルフォンス・レイエスの「アランダ司令官の手」もそんな物語のひとつです。これを読んだか読まないかで、私の人生は大きく違ったことでしょう。面白いのです。ありえないくらいに面白いのです。私がもっとも好きな短篇のひとつです。超傑作。

アランダ司令官は戦闘で右手を失い、その右手を剥製にして飾っておくことにします。よく手入れされ、ガラスケースに飾られた司令官の右手はしかしあるとき突然に自意識を持ち、好き勝手に家中を歩き回っては司令官の家庭に大混乱をもたらすことになる……というお話。

なにこれ。本当に何度読んでも面白過ぎます。この奇想! このユーモア! 短篇小説がこんなに面白いなんてことが、こんなにも面白く読めるなんてことがありうるだろうか! ほんとにもう面白いとしか他に言いようがないです。

この面白さを私はどうにか人にも伝えたいと以前からずっと思っていて、機会があるごとに一生懸命に説明しようと努力を重ねてきたのですが、なかなかうまく伝えられません。なにしろ一分の隙もなく面白いので、私は「面白い、凄い」のほかに言葉が出てきません。他に言いようがありません。たとえば、切断された手が自我を持ってその辺を這い回り、いたずらしたり筋トレしたり自分で運転してドライブに行ったり愛人である左手のもとへ夜ごと忍んできたり、しまいには文学に目覚めたり…なんて粗筋を説明しても、それだけではこの作品の面白さは伝えられない気がします。むしろ私はここで全文引用したいくらいです。そうすればいかにこの物語が驚異的であるかが分かってもらえるだろうになぁ。と、いつも己の説明能力の足りなさが恨めしく思われるのでありました。ついでに残念ながらこの本は絶版です。なんてこった!

それで今日もまた私は面白い、面白いとひたすら連発しているのですが、ただ愉快だとか笑えるという面白さがあるだけではありません。読者はここに描かれた《手》を通して、さまざまな問題に直面させられます(多分)。何度もしつこく読み返しているくせに私はまだこの物語を読みこなしているとは言いがたいのですが、多分ものすごく深いところにある意味を探ることも可能な作品なのではないかなと思います。

人生とは、社会とは、人類とは何か、というところまでだって行こうと思えば行けそうです。けれどもそんなことを考えなくても文句なしに面白く読める! というところがやはりこの作品の素晴らしさと言えましょう。好きです。もう無茶苦茶に。感動的過ぎる。


もうひとつは「夕食会」(入谷芳孝・木村榮一訳:『遠い女』所収)です。
正直なところ、私はこれはいったいどういう話なのかがよく分かりません。なにか意味深なところがあるのは感じるのですけれども。

見知らぬ二人の女性から夕食会に招待されて行ってみると、彼女たちは「僕」になにか頼みたいことがあるようで…というような話。うまくまとめられません。

いまのところこれは私の理解を遥かに超えています。見返してみるまで「アランダ司令官の手」と同じ作者によるものだと気がつかなかったのですが、とにかく幻想怪奇風味な一篇です。



というわけで、アルフォンス・レイエス。他にも読んでみたいところですが、邦訳はこの2篇以外になさそうです。残念だなー。ま、でも私は「アランダ司令官の手」と出会えただけで、かなり、十分に満足しているのですがね。





親不知の記録(その3)

2009年09月14日 | もやもや日記




しつこく親不知日記その3を…。てゆーか、その2って書いたっけ? 覚えてないですけどどっちにしろ、もういい、って話ですよね。いやでも、知りたい人もいるかと思って……悪趣味でスミマセン(/o\)
というわけで、今回も以下ややグロ注意です。


************************

さて、今日は3本目の親不知を抜いてきました。これまでは上顎の最奥に生えていた左右の親不知を抜いたのですが、今日は左の下顎の奥にある親不知を抜いちまいます。3本目にもなると、そろそろ抜歯の恐怖にも慣れてきました。わはは。気楽に行こうぜ!

と、予約時間通りに歯医者さんへ行くと、最初に魔術のようにあっさりと歯を抜いてくれた院長先生ではなく、またしても若先生がいらっしゃいます。うーむ。この先生でもいいんだけど、前回は結構顎が疲れたんだよなー。手が大きくていらっしゃるのかしら。まあ、私のはたいした施術でもないから仕方ないのかな。経験を積む的な意味で。

そして早速麻酔をかけられ、先生がおっしゃるには下顎の親不知を抜くのはちょっと大変とのこと……。え? そんな、今さら言われても……;

しかしよく聞くと、上顎の時に比べてしっかり生えている分、抜くのに時間がかかるというだけで、そう大差はないとのこと。もう麻酔もかけちゃってるので、今さらやっぱやめますとも言えず、「やっちゃってください」とお願いしました(←というつもりですが、今回はかなりきつく麻酔がかかっていたので、私はモゴモゴとそれ風な音を出しただけでしたが、先生には伝わったようでした)。

麻酔のために舌の先から唇まで痺れてきましたが、どうやらそれで良いそうです。うーむ、こんなにしっかり麻酔をかけるからには、下の奥歯を抜くというのはどうやら本当に大変そうだぞ、と心配になります。

そして、いつものように先生が問題の歯をぐいぐいと圧してきます。おっしゃっていたように、なかなか抜けません。焦る私。そして焦る先生。かなり強い力で顎ごと圧されるので、抜歯の痛みというよりも顎の痛みに耐えかねて、私は思わず先生の腕を押しのけてしまいました。いや、そんなつもりはなくて、「痛かったら左手を挙げてくださいね~」と言われていたので左手を挙げたら、そこに先生の腕がちょうどありまして…私は顔をタオルで覆われているので、よく見えなかったのです。

先生は「痛みますか?」と気遣ってくれますが、私が「いえ、歯の方ではなくて顎が…」的なことを言うと、安心したようにさらにぐいぐいと圧してくださいます。ひょえ~(泣)顎が外れる~~―――。

地獄の数分間が過ぎ。

「さあ、もう抜けますから、がんばってもうちょっと口を開けてください!」と言われ、「無理でふ…」とも言えず(なにしろ口を開けたままでは喋れないので)、私はがんばってカクカクと震える顎をどうにかあんぐりと開けました。結局、歯がいつ抜けたのかは分からないくらいに抜歯自体の痛みはなかったのですが、とにかく顎が疲れた。やっぱり今回も顎が疲れた…とほほ;

麻酔のせいなのか、疲労のせいなのか、とにかくいつもよりも盛大に放心した私は、またしても夢のなかを歩くように家路についたのでありました。
ああ、あと1本。残りはあと1本だ――。



***********************


そして、抜歯が済んで2時間後の現在。麻酔はまだ切れません! 凄い! 超強力! 
それにしても、わざわざお金を払って歯を抜いてくるなんて、私ってどんだけマゾなんだ。でもあとちょっとで終わりだ! この分だと今月中に全部終わりそうです。はやく終わってくれ!




別マ 10月号

2009年09月13日 | 読書日記ー漫画
…おや?



というわけで、私もまた当然のことながら、やっちまいました!! 耐えられなかった、もう一秒さえも! うひゃーっ!


時間を少し戻すと……
夕方、お友達のこまきさんから「別マを買って、『君に届け』の9巻の続きを読みました。すっきりしたよ~」という刺激的な連絡を受け取った私は和やかに「そっかー、じゃあ私も明日にでも買いに行きま~す☆」と返信しながら、気がつけばコンビニ店内……あれ? テレポート?

1軒目のコンビニには何と別マが置いてなかったので、瞬時に斜め向かいのもう1軒へ。こういう時ばかりは、うちの近所がコンビニ多発地帯で助かります。2軒目には別マの最後の一冊が置いてあったので、光速で購入。どうやって家に帰ったのかよく覚えていないくらいに焦りつつ、私も9巻の続きを読んでみたというわけです。


…………!!!(またしてもワナワナしながら読み耽り中)



た、た、たしかに少しすっきりしたかな; そうね、来月号はか、買わないで済み、済みそう……?

だめだーっ! 私はもう駄目だ! やっぱタイムマシン! なにこれ拷問? 続きが早く読みたいよ!(←私は超粘着質な上に、超せっかちなのであります)
いやまあ、9巻を読み終えたときに比べれば幾分マシですけど、やっぱり続きが気になるわん。あわわわわ。

まあしかし、どのみちこの続きは来月にならないと読めないので、それに耐えているついでに10巻が出るまで待つことは出来るかもしれません。はあ。それにしても、こんなにエキサイトしたのは久しぶりです。集英社の策略にハマって、まんまと今月号の別マを買わされたのには参りましたが、まあいい! 面白い漫画は買うべし! そうやって賞賛するべし! 椎名先生、これからもがんばってください!!


さて、私はあと5回くらい今月号の『君に届け』を読んだら、最近の別マってどんな感じなのかをゆっくり検証してみたいと思います。別マを買うのは15年ぶりくらいかも; 知らない作家先生のお名前がズラリ。こいつは楽しみだ(そしてまた別の連載漫画にハマったりして…;)。

いやー、それにしても、漫画ってほんと面白いですね☆





久しぶりの雨

2009年09月12日 | もやもや日記




今日は久しぶりに雨が降っています。すっかり秋らしい雨です。気持ちが落ち着きます、と言いたいところですが……

昨夜の私は『君に届け』の第9巻のおかげで、全然眠れませんでした。続きが気になって、気になって、もう! ああ~、今日発売の別マにこの続きが掲載されているらしいけど、ここで買ったら集英社の思う壷だよな。それに、せっかく最近は月刊漫画雑誌から足を洗えているというのに、また逆戻りするのもなぁ。つーか、ほんとにハマり過ぎだなぁ、私は。…でも続きが気になるのだ~!!

と、こんなことで今日も苦悩している私。うーむ。それどころじゃないだろうに。いやでも、続きが載っている本がすぐそこで売られていることを知りながら、それを買わずにいられる人が果たしていますかね?(←いますよね;けど)私には無理!! 駄目だ、買いに走りたい。

うーむ。しかし雨がちょっと激しく降り出したなぁ。雨が降っていると外へ出かけるのは億劫なので、やっぱり大人しく9巻を読み返そうと思います。(そしてまた続きが読みたくなり…以下無限ループ!)







今月の新刊(ONE PIECE巻55/君に届け第9巻)

2009年09月11日 | 読書日記ー漫画

『ONE PIECE』巻55
『君に届け』第9巻





アマゾンさんが、本の送料無料キャンペーンをやっているというので早速見に行ったら、おすすめ商品のところにコミックスの新刊情報が載っているではないですか。しかも、『君に届け』の最新刊!!!(←本日9/11発売!)

ウゴガッ……という言葉にならないうめき声とともに、一気に頭へ血が上ってしまいました。そのありさまを側でご覧になっていたら、きっと面白かったと思います。血が逆流する瞬間を目撃出来たかもしれません。あいにく誰もいませんでしたけど…。


ともかく、待ちに待った最新刊が出たということで、とるものもとりあえず書店へダッシュしました。アマゾンさんで注文して届くのを待つといった時間的ゆとりは一切ありませんでした。で、駆け込んだ書店で超高速購入後、猛ダッシュで帰宅、袋を開け、読みます!! うおーっ、9巻!! 爽子と風早くん、一体どうなるの??



………(興奮し過ぎてワナワナしながら読み耽り中)



ふう。よ、読み終わりました。なんというか、9巻はちょっと他の巻に比べて厚さが足りない? 一瞬で読み終えてしまいます。…てゆーか、


ここで《つづく》とかって、
私に死ねってことですか!!?



はあはあ……;
くっ、10巻が発売されるまで、私はいったいどうしたらいいんだ。苦悩。これだから連載中の漫画を読むのは嫌なんだ!(←なら読まなきゃいいのに、と私も思うが、それがそうもいかないのです!)

のたうち回って苦しむ私に追い打ちをかけるように、巻末には「続きはちょうど明日(9/12)発売の本誌で読めます」みたいな宣伝が載っていました。わ、罠だ…これはあからさまな罠だぜ……引っかからないぞ………たぶん。。。ぎゃーーっ!

うーむ。毎度のことながら、続きを待つのは辛い! ほんとうに辛い! ああ、こんな時こそタイムマシンがあればなぁ…。しかし、どうしようもないので、私はおとなしく転げ回りながら次の巻が出るまでは9巻を堪能しようと思います。

それに、何はともあれ(祝)連載再開! というところですね。椎名先生、おつかれさまです!



『ONE PIECE』の巻55は、発売当日(←先週の金曜日)に、ぴーん、と虫が知らせました。ジャンプのコミックスって発売日に法則があるので分かりやすいですよね。私はもう子供の頃からそれに慣らされているので、今でも自然と発売になる間隔が読めてしまうのでした。もちろん、その日に速攻で買いに行きましたよ。

こちらも続きが気になる。それにしてもロビンさんが最近出てこないのが寂しい限りです。まあ、ボンちゃんも好きだからいいんですけど。



というわけで、今月も張り切って漫画ばかり読んでいます! いいじゃない、楽しいから! わ~い♪♪




パチェーコ「砂漠の戦い」/「遊園地」

2009年09月10日 | 読書日記ーラテンアメリカ

ホセ・エミリオ・パチェーコ 安藤哲行訳
(『ラテンアメリカ五人集』集英社文庫/『美しい水死人』福武文庫)
所収


《この一文》
“わたしたちはみんな偽善者なのだ。他人を見てはその人を判断するが、自分のこととなると同じようには自分を見つめたり判断したりすることができない。
  ――「砂漠の戦い」 より”


“鳥舍の向こうに汽車の駅がある。たくさんの子供たちが、ときには両親に連れられて、汽車に乗る。胸をわくわくさせて乗りこみ、汽車が動きはじめるとびっくりするが、やがて嬉しそうに茂みや、森や人工の池を見つめる。この汽車にはひとつだけおかしなところがある。それは二度ともどってこないということ――もどってきたとしても、汽車に乗っていた子供たちはもう大人になっている。そのせいか、恐怖にとりつかれ、しきりに後悔する。
  ――「遊園地」より ”






この素晴らしい批判精神。私はうっかりして今まで素通りしてきましたが、今日になってようやくパチェーコという人に気がついたのです。ホセ・エミリオ・パチェーコ。1939年、メキシコ生まれの作家。

現代文学は日本のものであれ世界のものであれ、どうにも読む気のしない私が、どうしてラテンアメリカに限っては面白く読めるのか。本当にどうしてなのでしょう。摩訶不思議に幻想的だからでしょうか。それとも、あの重苦しい熱気のためでしょうか。あるいは、この独特の問題意識のためかもしれません。何であれ、私が求めているものが、ここには溢れるほどにあるようです。読めばきっと溺れてしまう。


『ラテンアメリカ五人集』(集英社文庫)所収の「砂漠の戦い」は、かなり印象的な物語です。同級生の母親である美しい女性に恋してしまった少年時代を回想するという形式で語られるお話なのですが、単なるノスタルジーで終わっていません。ハードな展開にびっくりします。それにしても悲しい物語です。

第二次大戦が終わり、新しい大統領が政権をとり、急速に近代化していくメキシコ。雑多で不安に満ちた時代の浮き沈みの激しい生活にはわずかな希望があったものの、欺瞞とレッテル貼りばかりの社会や大人に対する少年の失望と怒り、違和感といったものを、細かく章分けしてスピーディーかつ鮮やかに描いてあります。ちなみに、不味そうな食事の描写の不味そうさ加減が凄かったです。

カルロス少年が恋した同級生の母親マリアーナは、何か美しいもの、たしかなものへの憧れを象徴するものだったと言えるでしょうか。手に入るだなんて思ってはいなかったけれど、ただ恋をしただけだったのだけれど、しかし、永遠に失われてしまったマリアーナ。

夢のように手がかりをなくしてしまった過去を振り返ると、現在が当時からはまるで様変わりしてしまったことの喪失感とともに、当時未来に対して望んでいたようには何も変えることが出来なかった現在の我々への失望感もまた同時に感じられます。また、マリアーナが結局どうなってしまったのかを思うと、非常な恐ろしさも感じます。一人の人間を抹殺してしまえる世界があったとしたら。覚えているのは自分だけで、誰にもそれを確かめることができないとしたら。

短い物語ではありましたが、引用したくなるような文章をたくさん含んだ作品でした。面白い!


『美しい水死人』(福武文庫)所収の「遊園地」は、これまでまったく印象に残らなかったのですが、パチェーコという人の作品だということを念頭に置いて読み返すと、なるほどその人らしいという気がしてきます。

“遊園地の中の遊園地に含まれる遊園地に包みこまれた遊園地の中の遊園地、つまり、それがたくさんの遊園地を中に含んでいると同時に幾重にも重なる遊園地の中に含まれる遊園地という果てしない遊園地の連鎖の最小の環となっており、どの遊園地にいても誰一人として自分が人から見られ、どんな人間か判断され、批判されることなしには、他人を見ることはできないのです。”

こういうことを言い出す人って好きですよ、私は。


というわけで、パチェーコをもう少し読んでみたくなりました。この2篇の他に邦訳されているものは、あと1冊『メドゥーサの血』という短篇集があるそうです。よしきた!




海外ドキュメンタリー色々

2009年09月09日 | もやもや日記
これでもそろそろ
大人になるところなのです



このあいだの日曜日は、スカパーの無料開放デーだったので、いつもは観られないアニマル・プラネットとか、ディスカバリー・チャンネルとか、アニマックスなんかを視聴しました。

アニマックスでは名探偵コナンくんを観るのが楽しみです。大昔に地上波で放送されたものの再放送なのですが、今月分のコナンくんは大変に面白かったです。あんなに爆笑したのは久しぶり…ちなみに「四回殺された男」とか何とかいうタイトルでした。俳優のおじさんが嫌な奴なので、共演者から殴られまくりという壮絶なお話でした。アハハ! すげーな!


それはさておき、アニマル・プラネットでは猫の生態についての特集をやっていました。猫好きの私は当然観てみたわけですが、猫というのは、大体2ヶ月くらいで大人になるというのは本当でしょうか。びっくり。なんという成長のはやさ。にしても、猫って、何をやってもかわいい~。
しかしその一方で、品種改良の結果、現在のシャム猫の顔や姿が40年前とはまるで違っていることなんかも分かりました。猫にも流行があるということで、なかなか複雑な気持ちにさせられます。野良猫との共存の問題なども難しいですね。
海外のドキュメンタリーはこのようにバランスがとれたつくりになっているので、面白いですね。


こんな感じで、最近の私は海外ドキュメンタリー熱がまた上がりそうです。
このあいだはBS海外ドキュメンタリーの食を巡るシリーズをいくつかみたのですが、これまたとても興味深いものでした。若いアメリカ人がほとんどコーンで出来ているなんて、興味深いですよね。どういうことだ?と思いますよね。明るく楽しい雰囲気で作られた番組でしたが、内容は結構ハードでした。牛肉を食べているつもりが肉じゃなかったとか、恐ろし過ぎますね。牧草の代わりにまずいコーンを食べさせられて育った病的な牛の肉を人間がうまいうまいと食べている。なかなか恐ろしい光景でありました。

イギリスの番組で、低価格食品で1ヶ月暮らしてみた、というドキュメンタリーも面白かったです。低価格食品が何故安いのか、それを売り出すスーパーは何を企んでいるのか、莫大な利益を上げながら社会に貢献しようとは思わないのか、などなど、かなり突っ込んだ内容でした。さすがイギリス。
ちなみに、低価格食品で一ヶ月暮らした家族が実験を終えた後、「中華が食べたい!」と叫んでいたのが印象的でした。うんうん、美味しいですものね、中華料理は。


あとはBS朝日のBBC地球伝説も愉快です。昨日はローマ時代にカエサルが建造した橋を再現してみるという番組をやっていました。これは再放送で、私は前回の放送のときにも観たのですが、楽しいのでもう一度観ました。何度観ても面白い。笑えます。この古代建築に挑むシリーズは、かなり面白いです。古代のテクノロジーを推理しつつ設計し、一週間という短い期間で、おもに人力で当時の建造物を造ってみるという企画が、刺激的です。出来るだけ当時可能だったはずの技術でやり遂げたいのに、どうしても出来なくてクレーンを使っちゃいました…;みたいなところがご愛嬌。しかし、こういう「やってみた」系の番組は盛り上がりますね。楽しい。


ドキュメンタリー番組の良いところは、観ただけでちょっと分かったつもりになれるところでしょうか。もちろんそれだけで済ませようというのはいけないことなのかもしれないですけれど、少なくともそこに何か問題があるのだということに、観てはじめて気づくこともあるので、やはり時々は観ようかと私は思っています。






『牛への道』

2009年09月08日 | 読書日記ー日本

宮沢章夫(新潮文庫)




《内容》
人間にとって最もだらしがない気分とは? カーディガンを着る人に悪人はいないのか? 新聞、人名、日常会話、あるいはバレリーナの足に関する考察から、その裏に潜む宇宙の真理に迫る。牛に向かってひたすら歩き続け「牛的人生」を探求する岸田賞作家が、独自の視点で解き明かす奇妙な現象の数々。本書を一読すれば、退屈な日常がなんだかシュールで過激な世界に変わってくる!

《この一文》
“「女の膝に万一塵でも落ちかかったら、指で払いとってやらなければならない。もし塵がぜんぜんかからなかったら――なくともやはり払いたまえ」
 勇壮である。「払いたまえ」ときた。確かに言葉は勇壮だが、やっていることはどこかちまちましている。
  ――「なくともやはり払いたまえ」より ”



近日中に書棚を整理することを迫られている私は、書棚を整理するつもりで、まず書棚に収まりきっていない部分の書物から整理することにしました。それで、整理するつもりで発掘作業を始めたところ、いきなり大昔に買ったまま読まずに放置してあった本書に行き当たりました。あー、そう言えば持ってたな。どうして買ったんだっけ? どういう内容なの? と、ページをめくってみると、結構面白そうでは無いですか。軽い語り口が読みやすそうです。

私は実はまだ最初の部分しか読んでいませんが、「なくともやはり払いたまえ」のエピソードがあまりに面白かったので、これで十分満足した私は、ここでもうレビューを書いてしまおうという魂胆です。

「なくとも払いたまえ」は、著者が友人の会社を訪問した際、待合室に置かれていたただ一冊の文学全集が「古代文学集」で、それがギリシア・ローマの文学を収めてあるものだったことから始まるお話です。そこに収録されていたオウィディウスの『アルス・アマトリア』におけるオウィディウスの語り口が高飛車かつ勇壮で、いかにもローマ時代らしくて良い、というようなことを著者は面白可笑しく書いているのですが、私はこれにとても納得してしまいました。

勇壮な口ぶりなんだけど、落ち着いて考えると結構せこいことを言ってるぜ、みたいな。というか、結構せこいことを言っているのだけれど、正々堂々と雄々しく述べられると、つい納得させられてしまうというか。そういうところはあるかもしれないなーと私も思います。つまり、物は言いようということでしょうか。訳の分からぬことでも、ついそのまぶしさのために圧倒させられてしまう人間というのは、実に仕方の無い生き物なんですね。ローマ時代からそれが変わっていないというのが、残念なような、微笑ましいような。たまにはローマものを読みたくなってきました。セネカでも読み返して、熱狂と落胆を繰り返そうかしら。


ちらっと目を通した感触では、結構楽しめそうな一冊です。続きはそのうち読もうと思います。まずは書棚の整理を……あー、もういいか、別に。





栗のかたちのお菓子

2009年09月06日 | もやもや日記

栗。
かわいい。




夏に帰省した時に、ついでに金沢へ寄ったのですが、そこで買って来たお土産のお菓子です。栗の形をしています。齧ると結構固くて、味は、カステラのあの端っこの濃い色のところみたいな苦甘い感じです。美味。

こういう何かの形をしたお菓子って、楽しくていいですよね。鳩サブレとか、ひよことか、人形焼きとか。えーと、それから……