半透明記録

もやもや日記

パチェーコ「砂漠の戦い」/「遊園地」

2009年09月10日 | 読書日記ーラテンアメリカ

ホセ・エミリオ・パチェーコ 安藤哲行訳
(『ラテンアメリカ五人集』集英社文庫/『美しい水死人』福武文庫)
所収


《この一文》
“わたしたちはみんな偽善者なのだ。他人を見てはその人を判断するが、自分のこととなると同じようには自分を見つめたり判断したりすることができない。
  ――「砂漠の戦い」 より”


“鳥舍の向こうに汽車の駅がある。たくさんの子供たちが、ときには両親に連れられて、汽車に乗る。胸をわくわくさせて乗りこみ、汽車が動きはじめるとびっくりするが、やがて嬉しそうに茂みや、森や人工の池を見つめる。この汽車にはひとつだけおかしなところがある。それは二度ともどってこないということ――もどってきたとしても、汽車に乗っていた子供たちはもう大人になっている。そのせいか、恐怖にとりつかれ、しきりに後悔する。
  ――「遊園地」より ”






この素晴らしい批判精神。私はうっかりして今まで素通りしてきましたが、今日になってようやくパチェーコという人に気がついたのです。ホセ・エミリオ・パチェーコ。1939年、メキシコ生まれの作家。

現代文学は日本のものであれ世界のものであれ、どうにも読む気のしない私が、どうしてラテンアメリカに限っては面白く読めるのか。本当にどうしてなのでしょう。摩訶不思議に幻想的だからでしょうか。それとも、あの重苦しい熱気のためでしょうか。あるいは、この独特の問題意識のためかもしれません。何であれ、私が求めているものが、ここには溢れるほどにあるようです。読めばきっと溺れてしまう。


『ラテンアメリカ五人集』(集英社文庫)所収の「砂漠の戦い」は、かなり印象的な物語です。同級生の母親である美しい女性に恋してしまった少年時代を回想するという形式で語られるお話なのですが、単なるノスタルジーで終わっていません。ハードな展開にびっくりします。それにしても悲しい物語です。

第二次大戦が終わり、新しい大統領が政権をとり、急速に近代化していくメキシコ。雑多で不安に満ちた時代の浮き沈みの激しい生活にはわずかな希望があったものの、欺瞞とレッテル貼りばかりの社会や大人に対する少年の失望と怒り、違和感といったものを、細かく章分けしてスピーディーかつ鮮やかに描いてあります。ちなみに、不味そうな食事の描写の不味そうさ加減が凄かったです。

カルロス少年が恋した同級生の母親マリアーナは、何か美しいもの、たしかなものへの憧れを象徴するものだったと言えるでしょうか。手に入るだなんて思ってはいなかったけれど、ただ恋をしただけだったのだけれど、しかし、永遠に失われてしまったマリアーナ。

夢のように手がかりをなくしてしまった過去を振り返ると、現在が当時からはまるで様変わりしてしまったことの喪失感とともに、当時未来に対して望んでいたようには何も変えることが出来なかった現在の我々への失望感もまた同時に感じられます。また、マリアーナが結局どうなってしまったのかを思うと、非常な恐ろしさも感じます。一人の人間を抹殺してしまえる世界があったとしたら。覚えているのは自分だけで、誰にもそれを確かめることができないとしたら。

短い物語ではありましたが、引用したくなるような文章をたくさん含んだ作品でした。面白い!


『美しい水死人』(福武文庫)所収の「遊園地」は、これまでまったく印象に残らなかったのですが、パチェーコという人の作品だということを念頭に置いて読み返すと、なるほどその人らしいという気がしてきます。

“遊園地の中の遊園地に含まれる遊園地に包みこまれた遊園地の中の遊園地、つまり、それがたくさんの遊園地を中に含んでいると同時に幾重にも重なる遊園地の中に含まれる遊園地という果てしない遊園地の連鎖の最小の環となっており、どの遊園地にいても誰一人として自分が人から見られ、どんな人間か判断され、批判されることなしには、他人を見ることはできないのです。”

こういうことを言い出す人って好きですよ、私は。


というわけで、パチェーコをもう少し読んでみたくなりました。この2篇の他に邦訳されているものは、あと1冊『メドゥーサの血』という短篇集があるそうです。よしきた!




最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ラテンアメリカ (ペーチャ)
2009-09-10 23:46:21
『ラテンアメリカ五人集』は、つい先日古書店で見かけましたが、2000円くらいしたので買いませんでした…高すぎる。そのお店は基本的に少し高めの設定で、残念。でもすごく欲しい短編集だったのですが。

『美しい水死人』は、先日コメントどうもです!ぼくは中でもドノソの作品が気に入りました。『夜のみだらな鳥』は長くて読んでいなかったのですが、俄然興味が湧いた次第です。「波と暮らして」は初めて読んだのですが、これもすごくよかったですね。

そういえば、以前にお薦めしていただいた(覚えていますか?)アレーの短編集を、このあいだ購入しました。年内には読むつもりです。
返信する
ラテンアメリカの猫 (M)
2009-09-11 00:19:25
『夜のみだらな鳥』『ラ・カテドラルでの対話』『石蹴り遊び』ですね、ベストスリー。百年の孤独をはずして考えれば。
そういうものを読んでいたころ、部屋に一匹の猫がいて、寝転んで本を読んでいるとかならず、本の上にやってきてそこに座りました。で、それらの本には、彼の足跡が残されています。本を開けば、いまでもその猫が座っているのです。
返信する
ラテンアメリカ! (ntmym)
2009-09-11 07:30:09
*ペーチャさん、こんにちは!

そうですか、この本も今ではそんなに貴重なものになっているんですねー。私はまだこれらが普通に書店に売られている頃に「いつか読むはず」と購入したのですが、「いつか買おう」と思って買わなかった本も沢山あるので、当時の私を呪いたくなります;

ドノーソは「閉じられたドア」ですね。なんとなくペーチャさんらしいなぁと思ってしまいました。いや、私にとってもすごく衝撃的だったのですが。この1作品だけでレビューが書けそうなくらいに、悲しくて美しい物語ですね。

アレーをおすすめしたことはもちろん覚えてます! 短篇集にはさまざまな物語が収められていますが、なかでも特に「親切な恋人」を猛烈にプッシュしておきますね(^^) 面白いですよ~!


*Mさん、こんにちは!

>『夜のみだらな鳥』『ラ・カテドラルでの対話』『石蹴り遊び』ですね、ベストスリー。百年の孤独をはずして考えれば。

これはちょうど、私の「今こそいよいよ読むラテンアメリカ文学リスト」の上位作品とぴったり一致します!(百年の孤独をはずしているところさえも。これはまだ読めません;) やっぱり面白いんですね~。弾みがつきます!

本を読んでいたら猫がやってくる、だなんて相当に素敵ですね。私にもそんなことが起こればいいのになあ。ああ、でも私はいつも片思いなので、あるとしてもずっと先のことですね……
返信する

コメントを投稿