宮沢章夫(新潮文庫)
《内容》
人間にとって最もだらしがない気分とは? カーディガンを着る人に悪人はいないのか? 新聞、人名、日常会話、あるいはバレリーナの足に関する考察から、その裏に潜む宇宙の真理に迫る。牛に向かってひたすら歩き続け「牛的人生」を探求する岸田賞作家が、独自の視点で解き明かす奇妙な現象の数々。本書を一読すれば、退屈な日常がなんだかシュールで過激な世界に変わってくる!
《この一文》
“「女の膝に万一塵でも落ちかかったら、指で払いとってやらなければならない。もし塵がぜんぜんかからなかったら――なくともやはり払いたまえ」
勇壮である。「払いたまえ」ときた。確かに言葉は勇壮だが、やっていることはどこかちまちましている。
――「なくともやはり払いたまえ」より ”
近日中に書棚を整理することを迫られている私は、書棚を整理するつもりで、まず書棚に収まりきっていない部分の書物から整理することにしました。それで、整理するつもりで発掘作業を始めたところ、いきなり大昔に買ったまま読まずに放置してあった本書に行き当たりました。あー、そう言えば持ってたな。どうして買ったんだっけ? どういう内容なの? と、ページをめくってみると、結構面白そうでは無いですか。軽い語り口が読みやすそうです。
私は実はまだ最初の部分しか読んでいませんが、「なくともやはり払いたまえ」のエピソードがあまりに面白かったので、これで十分満足した私は、ここでもうレビューを書いてしまおうという魂胆です。
「なくとも払いたまえ」は、著者が友人の会社を訪問した際、待合室に置かれていたただ一冊の文学全集が「古代文学集」で、それがギリシア・ローマの文学を収めてあるものだったことから始まるお話です。そこに収録されていたオウィディウスの『アルス・アマトリア』におけるオウィディウスの語り口が高飛車かつ勇壮で、いかにもローマ時代らしくて良い、というようなことを著者は面白可笑しく書いているのですが、私はこれにとても納得してしまいました。
勇壮な口ぶりなんだけど、落ち着いて考えると結構せこいことを言ってるぜ、みたいな。というか、結構せこいことを言っているのだけれど、正々堂々と雄々しく述べられると、つい納得させられてしまうというか。そういうところはあるかもしれないなーと私も思います。つまり、物は言いようということでしょうか。訳の分からぬことでも、ついそのまぶしさのために圧倒させられてしまう人間というのは、実に仕方の無い生き物なんですね。ローマ時代からそれが変わっていないというのが、残念なような、微笑ましいような。たまにはローマものを読みたくなってきました。セネカでも読み返して、熱狂と落胆を繰り返そうかしら。
ちらっと目を通した感触では、結構楽しめそうな一冊です。続きはそのうち読もうと思います。まずは書棚の整理を……あー、もういいか、別に。