半透明記録

もやもや日記

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ひかりもの

2008年10月17日 | もやもや日記

そろそろ4年くらい経とうとしていますが、以前オーストリアを旅行した際、ザルツブルクの街のあちこちにスワロフスキ・クリスタルのお店が点在していました。
吸い寄せられるようにほとんど全てのお店を見て回ったのを思い出します。懐かしいなあ。楽しかったなあ。

写真のペンダントとイヤリングはその時に購入したもの。どちらも甲斐性なしの私には分相応のきわめて安価なものですが、精巧にカットされた面が放つ独特のきらめきにはうっとりさせられます。落ち込んだときは、普段は箱に入れてしまってあるのを取り出してじっとみつめて過ごします。不思議なことに、それで元気が出るんですねー。なんでですかね。チカチカと光が反射されるのを見ていると、気が休まるんですよね。ガラスでさえこの威力ですから、これがダイヤモンドとかエメラルドとかいう宝石になったら凄いんだろうなあ、といつも想像しています。

それで、眺めて元気が出たら、また仕舞います。イヤリングは2、3度、ペンダントの方はまだ1度も身に付けたことがありません。せっかくのアクセサリーとしての機能をまったく果たせていないとは、なにかがおかしい気もしますが、私はいつもあまりにも薄汚れた格好をしているので、つける余地がないんですよね。キラキラしすぎなんですよ、これらは。それなりの身なりを要するというか(普段着にさり気なく、という高等テクニックが私などにあるはずもなく)、何と言うか高い壁を感じるんですよね、いやはや。お嬢様に恋い焦がれる庭師みたいな? 当然それは片思い、所詮は高嶺の花よ、遠い星よという感じです。いかに奇麗とはいえガラスでこれですから、私の感受性も相当なものです。王女様クラスの宝石となったら、私の魂はきっとショックに耐えられず破滅へまっしぐらでしょう。おそろしや。買う金がなくて、ほんとうに良かった……!

ごくまれに凄く頑張ってイヤリングをつけたことがありますが、その時にはなにか哀愁のようなものが漂いました。「あっしなんかと一緒に歩いたんじゃ、街の者に誤解されますぜ…」というような、なんで私が奇麗な色付きのガラスのことでここまで卑屈になるのか分かりませんが、そういう生活の哀しさが滲み出てしまっていけません。やはりこういうキラキラした美しいものは、それに見合う堂々たる美しい人に相応しい。私はそういうのを物陰からこっそり見つめたいものですね。

というわけで、私としてはただ持って眺めてあれこれ妄想するだけで満足なのですが(←どうやら「妄想」ということが私を元気づけるようですね)、ペンダントとイヤリングの方ではすぐにでも主人を替えたいと思っていることでしょう。……不憫な!




追記:書いた後で気が付きましたが、この心理こそがこないだのチェーホフの短篇集の「農奴あがり」じゃないでしょうか。憧れと、ちょっぴりの哀しさと。そうかも、そんな気がする。

  やはりこういうキラキラした美しいものは、それに見合う
 堂々たる美しい人に相応しい。私はそういうのを物陰からこ
 っそり見つめたいものですね。

これだ、これ。だからおじさんは、黙って彼女を見送って、目には涙を輝かせながら、そのあとひっそりと笑ったんだな。なるほど、やっと分かった。やっぱ凄いな、チェーホフは。
私も笑えてきた。なんかすっきりした。奇麗なものは、大丈夫なんだ。良かった。奇麗だから、いつかちゃんと自分で自分の役目を果たすことができるんだ。そうか、そうか、ワハハ!


今日の番組

2008年10月15日 | もやもや日記
NHK総合:その時歴史が動いた



今晩(10/15)22時から放送されるNHK総合の番組『その時歴史が動いた』では、アイヌの詩人 知里幸恵を特集するらしいです。ちょっと見てみようかと思います。

知里幸恵の『アイヌ神謡集』(岩波文庫)には、「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」("Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan.")と歌いながら、人間の暮らす村を通りかかるふくろうの神様を謡ったものがあり、その謡の内容もたいそう美しいのですが、ローマ字で併記されたアイヌの音を読む限りでは、音も相当に美しいのではないかと思われます。

今晩の番組でその音を聴くことができるといいなあ。



『まわれ、まわれ!』

2008年10月13日 | 自作アニメーション


ひさしぶりに、実写ショートアニメ(約15秒)を作ってみました。
ちょっと暇つぶしに……いえ、全然暇じゃないんですけど、なかなか進まないマンガの気晴らしに、つい…。逃避のための作業って、不思議なほどに捗りますよね~。いやはや。

昨日、なにか急に紙を切って遊びたくなったものですから、8つ折りにした紙を切り抜いて、8人のネコが手を繋いでいるものを作りました。で、端を輪っかになるように糊付け。

わーい、わーい!

って感じじゃないですか?
楽しいなあ。



 アニメーションは別館 不透明記録:層 にて御覧いただけます。

 お暇なら、どうぞ☆



真空管と豚

2008年10月12日 | もやもや日記


大昔に姉がお土産にくれた粘土でできた小さな豚を、こないだ実家へ帰ったときに引き取ってきました。ツートンカラーがよろしいようで。

豚の向かいにいるのは3本の真空管です。これはいずれも数年前に上京したときに秋葉のパーツ屋さんでジャンク品の箱の中から救出してきたものです。いいですよね、真空管って。無口な感じで。3本並んでいるところがポイント。
私はどうやら工業製品にキャラクターを感じてしまう種類の人間のようです。自動車や電車の正面が顔に見えるという人は世の中には相当数存在すると思われるので、私に共感して下さる方も大勢いらっしゃるのではないかと思いますが、いかがでしょう。美しい製品っていいですよね。うっとり。


ほんとうは、この写真をネタになにかお話を考えようかと思いましたが、やめました。意外と思い付きません……。あ、でも台詞なしのアニメーションにしたら面白いかも! ヒャクボルコとは違う無口で静かな佇まいで、やっぱりオチのないショートアニメにしたら面白いかもなあ。コマ撮りとかね。うむうむ……。


『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集1』

2008年10月10日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
チェーホフ 松下裕 訳(新潮文庫)


《内容》
結婚式の夜、苦悩の果てに男が過去を打ち明けたときの新婦の反応は。上演中なのに大声で俳優を罵る、劇場勤めの老人の運命は――。あっと驚く皮肉な結末に導かれる愛すべき登場人物たちは、100年以上を経た今も生きている! 1000編もの作品を残したロシア最高の短編作家チェーホフ。ユーモアたっぷり、洒脱で鮮やかなショートショート傑作集、本邦初訳を含め、すべて新訳の65編。

《この一文》
“「ブラーヴォ、マクス! アンコール! ハハ! かわいい人! もう一度!」
  ――「偏見のない女」より  ”




松下氏のあとがきに、私が思ったようなことはすべて書かれてあったので、もうあれこれ書くのはやめました。ついでにそのあとがきにはエレンブルグの言葉が引用してあって、そう言えばエレンブルグはチェーホフが好きだったのでした。私はそんなエレンブルグが好きさ。

このところ、微熱による重度の倦怠感に悩まされていて、思ったように考えたり行動したりすることができません。こういう状態でチェーホフを読むのは、あまりよくなかったかもしれません。いや、面白かったのですが、なにか哀しくなってきて。

「ユモレスカ」とあるので、愉快な物語が多いことを期待していましたが、そう言えばこれはチェーホフなのでした。チェーホフ作品はこれまでにいくつか読みましたが、読後にはいつもなんとなく物悲しさを覚えてしまいます。今回も、わははと笑えるものよりもむしろグサっと突き刺さる悲哀の方に、ずいぶんと気を取られてしまったようです。

さて、65もある物語の中で、特に印象的だったのは、「偏見のない女」。これは哀しい作品が多いような気がするなかでもとりわけ明るい、心があたたまる美しい物語でした。もう泣きそうです(←熱のせい)。
自信に満ち、力強い雄牛のような男マクシムは、気が狂いそうなほどに恋いこがれているエレーナ・ガブリーロヴナと結婚することができたが、実はマクシム・クジミーチには他人には言えぬ秘密があり……という物語。これは、実に素晴らしい結末! なんて素晴らしい、美しい話だろう! 最高だ! 私はこういうのが好きです。すべての人生がいつもこういうふうであったならなあ。
ちなみにここに収められたその他の婚姻にまつわる物語では、ひたすら結婚における策略、失望、裏切り、諦めなどが描かれていて、やはり結婚は人生の墓場であると再認識することうけあいです。

「偏見のない女」のように明るく美しい物語があるかと思えば、「男爵」「賢い屋敷番」「年に一度」「農奴あがり」「ポーリニカ」などの話は、いったいなんだって私にこんなものを読ませるんだ、この哀しみをどうしてくれようか! と別の意味でまた泣きたくなるようなものでした(←熱のせいもある)。
「農奴あがり」という物語は、これは別にどこにもはっきりと哀しい要素は見当たらないのですが、どうしてだか、胸が詰まって、涙がにじみ出てくるのです。この哀しみはいったい何なのだろう。
ビヤホールで、公爵のところで働いていた頃の思い出をえんえんと語るおじさんと、その話にじっと耳を傾ける若い給仕女。ある日おじさんが道ばたで寝て風邪をひきしばらく入院していた間に、娘は行方知れずになってしまった。それから1年半ほど経ったある日、おじさんはめかしこんだ娘が紳士と腕を組んで歩いているのを見かけ、「幸せにな」と目に涙を浮かべる。
まあネタバレ注意もなんのその、思いきり最後まで要約してしまいましたが、こういう話です。これだけの話です。だのに、なぜか泣けてくる。私はすごく哀しがってはいるけれど、たぶんどちらかと言えば明るい話のような気もします。そのへんが絶妙です。

これらどことなく哀しい物語はどれもほんの短いものであるのに、弱っている今の私には、突き刺さって痛む小さいがしかし強力なこの刺を抜く力がありません。全面降伏です。起き上がりたくない。もうちょっと元気のあるときに、あらためて読み直したい。

「一般教養 歯科学の最新の結論」「申し込み 娘たちのための話」などは、単純にわははと笑えて楽しかったです。歯医者の話は、いつも誰が書いても面白いです。

やはり振り返れば、65編のなかには色々な種類の物語が収められていることが分かり、チェーホフの幅の広さをあらためて認識できました。チェーホフ恐るべし。はやく続きの「2」の文庫も出てほしいな。



らくがき

2008年10月09日 | もやもや日記


昔から、紙の余白に落書きをするのが好きなんです。
なので、ちょっとしたメモやちょっとしたお手紙などを出す際にも余白を埋めなきゃ気が済まない。そんなわけで、わりかし時と場合もわきまえず、どなたに差し上げる書面でもネコとかペンギンとかが変なことをしている絵付きだったりするわけです。いいのかねー。

描かなきゃ気が済まないとは言え、所詮はちょっとした落書きに過ぎないので、いつも下書きはせずに一気にペンで描いてしまいます。なので、一番描きやすいのは黒い猫です。多少失敗しても、「塗り」の時に修正ができるからです。顔の表情なんかは大抵の場合、大幅に修正されています。上に載せた画像も、最初顔だけを描いた時点では正面を向いていたのですが、気に入らなかったので横向きにして走らせました。よかった、セーフ。
白い猫を描くつもりが失敗して黒い猫になる、なんてこともしょっちゅうです。白い猫はレアキャラ。なかなか描けません。たいてい黒くなります。

それにしても、こういう他愛無い落書きをするのは楽しいですね。マンガにしたり、奇麗に色を付けたりするのも楽しいですが、こういう何の意味もない絵はほんとうに楽しい。私は意味のないものが好きだ。


あ。余談ですが、私は小学2年生の頃、小テストに出題された「落書」という漢字が読めなかったことがトラウマです。いまだに忘れられない。しかし、今にして思えば、あの屈辱こそが私を成長させた最初のきっかけだった(はず)。ええ、私は意味もなく自尊心の高い子供だったんですね、今でもそれは変わらないかもしれません…で結局あまり成長はしていませんね。ほんと意味ねーな。

でもまあ、私は意味のないものが好きです。
落書きの絵みたいに、無意味で何も主張しない控えめな、別にただそれだけ、というものが好きなんですよねー。なにごとにつけても。


『寒い国から帰ってきたスパイ』

2008年10月08日 | 読書日記ー英米
ジョン・ル・カレ 宇野利泰訳(ハヤカワ文庫)


《あらすじ》
ベルリンの壁を境に展開される英独諜報部の熾烈な暗闘を息づまる筆致で描破! 作者自身情報部員ではないかと疑われたほどのリアルな描写と、結末の見事などんでん返しとによってグレアム・グリーンに絶賛され、英国推理作家協会賞、アメリカ探偵作家クラブ賞両賞を獲得したスパイ小説の金字塔!

《この一文》
“「なにが自分の希望か知らないで、どうして自分の行動が正しいと確信できるんだね?」 ”



たまにはスパイ小説が読みたいと思い、以前ある素敵な人が「面白いよ」と言っていたジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』を読むことにしました。

で、面白かったです!
かなり骨太、硬派なスピード感ある物語で、非常に面白かった。

スパイものと言えば、強大な悪の国家に潜入した一流のスパイが(たとえば007のような)最後はド派手に滅亡させてしまうという展開も娯楽としては面白いものですが、この『寒い国~』の面白さはそういう派手さとは無縁な、粛々と作戦を展開する地道でリアルな諜報活動について優れたバランス感覚でもって描いているところです。

読み進めると、スパイするほうもスパイされるほうも、どちらともが常に相手の裏をかこうとさまざまな罠をしかけ合います。もはや互いの掲げる主義や思想ましてや正義などはなんの関係もなく、謀略そのものを愉しむための謀略なのではないだろうか、この人たちいつまでもこんなことを続けてちょっと馬鹿なんじゃないだろうか、と疑わしくなってきます。こんなことに優れた知力と労力を惜し気もなく投入して、それでいったい何が得られるって言うんだろうか。馬鹿なんじゃないだろうか。空しくなってくるぜ。

悲しみが押し寄せる。私たちがあんまりにもみじめにこの馬鹿げた社会を通り過ぎなくてはならないことに。虚しくて泣けてくる。
そんなことを思って気持ちが沈んでくる私の胸に、主人公である中年のベテラン情報部員リーマスの一言が激しい振動をともなって響きました。

“「リズ! 信じてくれ。おれだけは信じてくれ。きみ同様、おれはそれがいやでたまらんのだ。憎んでいる。つくづくいやになっている。だが、それが現実であるのは否定できない。それがおれたちの社会なんだ。人類は気がくるっている。たしかにおれたちは、ただにちかいはした金で買える品物さ……だが、それはおれたちでなくてもおなじことだ。人間はみんな、たがいにだましあい、嘘をつきあう。平気で生命を奪い、射殺はする、牢へはほうりこむ。グループ、階級を問わず、人間の価値など考えたこともない。そして、リズ、きみの党は――そういった人間の上に築かれているんだぜ。きみはおれとちがって、人の死ぬところを見ていない。リズ……」”

……エレンブルグを読んでいるみたいだな、この感じ。まるでフレニト先生かエンス・ボートみたいじゃないか。ただのスパイ小説だと思ってたけど、これはもっと…普遍的な何かを訴えている。

こんな風に「みじめに使い捨てられる道具」としてのスパイを描くのは、実際斬新なアイディアだったのだろうと思います。そしてこのことは、スパイという立場に限らず社会に生き、道具として扱われる人間すべてに当てはめて考えられます。物語ではこのあたりにもちゃんと焦点を当てていて、この作者の冷静かつ鋭いまなざしを感じて、たいそう興味深いところでした。

面白かった。素敵なあの人が言った通りだった。もっとお話ししておきたかったなぁ。



ただいま帰りました

2008年10月07日 | もやもや日記

はあ~、どうにか大阪へ帰って参りました。
別になにもしなかったけど、疲れた。
明日からちゃんと更新を再開いたしますので、
よろしくお願いします~★

あ、manimaniさんが、『YUKIDOKE』の感想を書いてくださいました♪
どうもありがとうございます~!
感激です!!
次回作もがんばりまっす!
ええ、がんばりますとも!…とりあえず、明日から……。



帰省

2008年10月03日 | もやもや日記

高速バスで帰省してみました。けっこう疲れます;

途中で携帯電話の電池が切れてしまい、駅まで迎えに来てくれ、と母に電話をするはずがいったいどうしたら…というピンチ! しかし、途中で電池が切れるだろうことを見越して、まだ僅かに残量があるうちに母の携帯番号を控えておくあたり、我ながら用意周到です(←まあ、ちゃんと充電しておけばこんなことにはならなかったのですがね)。
で、仕方ないので駅から公衆電話で母へ連絡しました。
しかし、10円だといくらも話せないものですね。「15分くらいに着……ガチャ!」。あぁ! 用件が伝わったのかどうか分からず、今度は30円分投入して掛け直しました。「もしもし、あ、そう。よろしく」……伝わっていたようです。

はあ、疲れた。
さらに汽車に揺られて、どうにか帰着。
明日は朝から遊びに行く予定。久々に楽しみです!



やっと晴れ

2008年10月01日 | もやもや日記
しばらく雨が続いて寒かったですが、今日は午後からようやく晴れました。すがすがしい。高気圧ばんざい。

昨日まで当ブログを癒していたリスのテンプレートは、慣れれば結構良い感じカモとも思っていたのですが、ついついまた自前のものに変えてしまいました。なんだかんだでこれが落ち着きます。字がデカイところとか。

そして今日から衣替えなので秋物を用意しようと思い、長袖のブラウスを縫いました。裁縫は久しぶりでしたが、まあまあ上手く出来ました。続けてワンピースも製作中。ふたつ続けては、さすがに疲れてきたなー、でもせっかく型紙を作ったことだし、さっさとやってしまおう。布を裁断するまでが面倒ですが、ミシンを使うところからは割と楽です。さあさあ、がんばるぞ。

あ、図書館へ予約していた本も取りに行かなくては。こないだ面白かったジェラルド・カーシュの別のやつ。はやく読みたい。

……そうだ、はやく漫画を描かないと;
今度の週末はバスで帰省する予定です。バスの中で集中して、下書きくらいは仕上げるべし。今月中に終わらせたいぞ。

ああ、あれもこれも。
秋は忙しいです。