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『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集1』

2008年10月10日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
チェーホフ 松下裕 訳(新潮文庫)


《内容》
結婚式の夜、苦悩の果てに男が過去を打ち明けたときの新婦の反応は。上演中なのに大声で俳優を罵る、劇場勤めの老人の運命は――。あっと驚く皮肉な結末に導かれる愛すべき登場人物たちは、100年以上を経た今も生きている! 1000編もの作品を残したロシア最高の短編作家チェーホフ。ユーモアたっぷり、洒脱で鮮やかなショートショート傑作集、本邦初訳を含め、すべて新訳の65編。

《この一文》
“「ブラーヴォ、マクス! アンコール! ハハ! かわいい人! もう一度!」
  ――「偏見のない女」より  ”




松下氏のあとがきに、私が思ったようなことはすべて書かれてあったので、もうあれこれ書くのはやめました。ついでにそのあとがきにはエレンブルグの言葉が引用してあって、そう言えばエレンブルグはチェーホフが好きだったのでした。私はそんなエレンブルグが好きさ。

このところ、微熱による重度の倦怠感に悩まされていて、思ったように考えたり行動したりすることができません。こういう状態でチェーホフを読むのは、あまりよくなかったかもしれません。いや、面白かったのですが、なにか哀しくなってきて。

「ユモレスカ」とあるので、愉快な物語が多いことを期待していましたが、そう言えばこれはチェーホフなのでした。チェーホフ作品はこれまでにいくつか読みましたが、読後にはいつもなんとなく物悲しさを覚えてしまいます。今回も、わははと笑えるものよりもむしろグサっと突き刺さる悲哀の方に、ずいぶんと気を取られてしまったようです。

さて、65もある物語の中で、特に印象的だったのは、「偏見のない女」。これは哀しい作品が多いような気がするなかでもとりわけ明るい、心があたたまる美しい物語でした。もう泣きそうです(←熱のせい)。
自信に満ち、力強い雄牛のような男マクシムは、気が狂いそうなほどに恋いこがれているエレーナ・ガブリーロヴナと結婚することができたが、実はマクシム・クジミーチには他人には言えぬ秘密があり……という物語。これは、実に素晴らしい結末! なんて素晴らしい、美しい話だろう! 最高だ! 私はこういうのが好きです。すべての人生がいつもこういうふうであったならなあ。
ちなみにここに収められたその他の婚姻にまつわる物語では、ひたすら結婚における策略、失望、裏切り、諦めなどが描かれていて、やはり結婚は人生の墓場であると再認識することうけあいです。

「偏見のない女」のように明るく美しい物語があるかと思えば、「男爵」「賢い屋敷番」「年に一度」「農奴あがり」「ポーリニカ」などの話は、いったいなんだって私にこんなものを読ませるんだ、この哀しみをどうしてくれようか! と別の意味でまた泣きたくなるようなものでした(←熱のせいもある)。
「農奴あがり」という物語は、これは別にどこにもはっきりと哀しい要素は見当たらないのですが、どうしてだか、胸が詰まって、涙がにじみ出てくるのです。この哀しみはいったい何なのだろう。
ビヤホールで、公爵のところで働いていた頃の思い出をえんえんと語るおじさんと、その話にじっと耳を傾ける若い給仕女。ある日おじさんが道ばたで寝て風邪をひきしばらく入院していた間に、娘は行方知れずになってしまった。それから1年半ほど経ったある日、おじさんはめかしこんだ娘が紳士と腕を組んで歩いているのを見かけ、「幸せにな」と目に涙を浮かべる。
まあネタバレ注意もなんのその、思いきり最後まで要約してしまいましたが、こういう話です。これだけの話です。だのに、なぜか泣けてくる。私はすごく哀しがってはいるけれど、たぶんどちらかと言えば明るい話のような気もします。そのへんが絶妙です。

これらどことなく哀しい物語はどれもほんの短いものであるのに、弱っている今の私には、突き刺さって痛む小さいがしかし強力なこの刺を抜く力がありません。全面降伏です。起き上がりたくない。もうちょっと元気のあるときに、あらためて読み直したい。

「一般教養 歯科学の最新の結論」「申し込み 娘たちのための話」などは、単純にわははと笑えて楽しかったです。歯医者の話は、いつも誰が書いても面白いです。

やはり振り返れば、65編のなかには色々な種類の物語が収められていることが分かり、チェーホフの幅の広さをあらためて認識できました。チェーホフ恐るべし。はやく続きの「2」の文庫も出てほしいな。