半透明記録

もやもや日記

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ドドドドドドド

2007年11月13日 | もやもや日記
見よ!




生まれて初めて『ユリイカ』を買いました。
高かったけど、即買いでしたよ。
これを買わずにどうする。

なぜならば、なぜならば!
今回は、荒木飛呂彦特集なのだァーーッ!!



うへへへ。一冊丸ごと荒木先生特集。
もちろん、荒木先生のインタビューもあり、その他いろいろあり。
激ドキドキしながら読んでおりまする。うふふふふ。大事に読もうっと!

私は荒木作品とともに大きくなったので、これは見逃せないのです。

インタビューの最初のページに先生のお写真が(残念ながら、あまり写りが良くないような……? 先生はもっとハンサムですよ)。それにしてもよく言われることですが、荒木先生は私が幼かった頃からちっともお変わりなく、いつまでも若いまま。すごい。すばらしい才能と個性。尊敬。

最近は巷でもJOJO人気がいっそう高まっているようで、何より、何より。つーか、なんで今頃。というのが正直な感想です。だって、私が小学生のころからすでに、超面白かったですよ。

中学生の私は、朝起きて「第一部」を読んでから登校してました(なぜ朝から読んでいたのかは不明)。もちろん歩きながら「思い出し号泣」してました。いやー、だってあれは泣くでしょう。当時、連載中だったのは「第三部」で、私はこれにもハマったのハマらないのって、暗唱できるくらいに読み込んでいました。多感な時代の思いで……。
今いちばん好きなのは、「第四部」かな。由花子さんが好き。

あー、またJOJOを最初から読みたくなっちゃったな。


『ZERO』

2007年11月12日 | 読書日記ー漫画
松本大洋

《あらすじ》
五島雅はボクシング・ミドル級で無敗の強さを誇るが、30歳という年齢にさしかかりそろそろ後継者を…という話も出ている。しかし、彼の望みは――。

《この一文》
“「マトモじゃない。」
 「そういう人間にしか 行けない所がある。」 ”



『ナンバーファイブ』のときもそうでしたが、この人の作品は、読んだ直後よりもあとになってからのほうが、何かくるものがあります。これもそうでした。

この『ZERO』というのは初期の作品だそうですが、私がすでに読んだ『ピンポン』『ナンバーファイブ』などに繋がる、というか、それらで見られるのと同じテーマが、やはりこの作品にも見られます。

その先にあるのは何か。

というようなことを、私はいつも考えさせられるのでした。


それから、ちょっと気が付いたことには、私を震えさせるものとしての文学作品や漫画などには、2種類あるということです。ひとつは、私に突き刺さって抜けないもの。もうひとつは、私をばかっとまっ二つに割いてしまうものです。もちろん、これはただ、私がどのように感じるかというきわめて個人的な問題に過ぎません。でも、とりあえず2種類ある。

突き刺さって抜けないものには例えば、ラーゲルクヴィストやストルガツキイなどがあり、割くものには、松本大洋やエレンブルグがあります。

そんな区別が必要なのかどうか、そしてそれについて考えることも必要かどうか分かりませんが、とりあえず記録だけしておこう。


あ、なんか全然『ZERO』の感想を書いてないや…。もちろん、面白かったです。


分量はどのくらい? と本のかたち

2007年11月10日 | 同人誌をつくろう!
さあ、今週は新しい議題に入りたいと思います。


みなさま、作品の分量としては、どのくらいになるご予定でしょうか?

私はと申しますと、私はマンガですので、6頁~10頁くらいいただきたいな…と思っております。


「だいたい、これくらいになりそう…」という見当がついていらっしゃる同人の皆さま、本の版型を決める際の参考にいたしたく、ご報告いただけると助かります。

「だいたい」でいいですよ、「だいたい」で。
「何頁欲しい」とか「何千字くらいになる」とか。

それとも先に本の形を決めた方がよいでしょうか。
「A4版がいい」
「いやそれはでかすぎる。四六版だ」
「まて、まだでかい。文庫サイズにしよう」
「小説は2段組にしたい」とか。
「カラーグラビアを入れなきゃ」とか。

「こういう楽しいことをやろう!」という提案があれば、どしどしおっしゃってくださいませ♪


よろしくお願いします~。

つながった

2007年11月10日 | もやもや日記
うっかりして、松本大洋氏に関する情報を読んでしまった。

今回うっかり知ってしまったことと言うのは、松本大洋氏のお母さん(お母さんがいる人なんです。いや、当たり前なんだけれど)というのは詩人の工藤直子さんである。工藤さんと言えば、台湾に育った方であり、

日本で愛されている桜の花というのを、台湾で見ていた花に比べてるとまるで紙くずのように色あせて味気ないものだと思っていたけれど、親族のどなたかの葬儀の場だったかどこかで桜の花びらが青い空に舞い散っているのを見て初めて、その美しいことを知った。

という文章を私は教科書で読んだ記憶がある。細かいところは記憶違いしているような気もするけれど、それはたしか工藤直子さんだったと思う。強烈な印象だったので、よく覚えている。(と言って間違っていたら間抜けだが)


さらに。松本大洋氏の奥さんは冬野さほ氏である。そうだったのか、妻だったのか。
『ピンポン』だったか『鉄コン筋クリート』だったかの巻末に、スタッフへの謝辞があり、その中に冬野氏の名前があったので、関係者だとは思っていたけど、そうか奥さんだったのか。あのときも「あー、なるほど」と思ったけれど、彼女が松本氏の妻で、作風にもかなり影響を与えているらしいことを聞くと、またしても「あー、なるほど」と思ってしまった。
冬野さほさんの漫画は、大昔に読んだことがある。あまりに詩的かつ独特のスタイリッシュな画面に、当時の私はまったく付いていけなかったという記憶がある。


もうこれでじゅうぶん。どうやらこの人は本当に生きている作家らしいことを改めて知り、愕然。いえ、分かっているんですけど、どうしても分からない。いずれにせよ、これ以上の情報は欲しくない。ような気もする。お姿などは決して拝見したくないと強く願う。これはもう崇拝であると自覚する。

それでも私はただ、この人の言葉を聞きたいと願う。ただひとつのことを語るために、どこまでもただひとつのことを語るためだけのこの人の言葉は聞きたい。


昨日は、『ZERO』を読んだ。
やっぱりただひとつのことを語っているので、私はまた裂けた。


『心の平静について』

2007年11月09日 | 読書日記ー実用
前回『人生の短さについて』のつづき



《内容》
質素と倹約を最高に愛しながらも、同時に豪華な贅沢にも惹かれてしまうという自らの心の弱さを告白するセレヌス(セネカの友人。エピクロス主義者。63歳の時、毒きのこを食し死亡)に答えてセネカが語る。


《この一文》


“ルクレティウスが言うように、
   誰でも彼でもこんなふうに、いつも自分自身から逃げようとする
 のである。しかしながら、自分自身から逃げ出さないならば、何の益があろうか。
人は自分自身に付き従い、最も厄介な仲間のように自分自身の重荷となる。それゆえわれわれは知らねばならない―――われわれが苦しむのは環境が悪いのではなく、われわれ自身が悪いのである。 ”

“国民の務めを怠ったというのか。とすれば人間の務めを行うがよい。”

“或る薬は嘗めなくても触れなくても、ただ香りだけで効目があるが、徳もそれと同じように、遠くからでも隠れていても効果を発する。”

“特に避けねばならぬ者はいる。それは陰性で、何ごとにも嘆きを発する者たちであって、この者たちにかかっては、どんなことでも不平の種にならないものはない。たとえ誠実や好意は一貫していても心も安定せず、何ごとにも溜め息をつく仲間は心の平静にとっての敵である。”

“次に財産のことに移ろう。それは人間の苦難をもたらす最大の原因である。”

“財産を持たないほうが、失うよりもどれほど苦痛が軽いか。貧乏には失う原因が少ないだけ、それだけ苦悩も少ないことを知らねばならぬ。”

“率直さのゆえに軽蔑されても、そのほうが、絶えず虚勢を張って苦しむよりもましである。だがわれわれは物ごとに節度をもつべきである。率直に生活するか軽率に生活するかの差は大きい。”

“心には寛ぎが与えられねばならぬ。心は休養によって、前よりも一層よき鋭さを増すであろう。肥えた畑は酷使してはいけない。つまり、一度も休耕しないで収穫だけを上げるならば、畑はたちまち不毛の地に化するであろう。”


“何か崇高な、他をしのぐような言葉を発するには、心の感動がないかぎり不可能である。心が俗事や陳腐なことを軽蔑するとともに、聖なる霊感を受けていよいよ高く舞い上がれば、そのときこそ遂に、心は死すべき人間どもの口には崇高に過ぎる歌を吟ずるに至る。心が或る高く険しいところにあるものに達するには、正気であるかぎり不可能である。”





さあ、前回に引き続き、怒濤の大引用です。
おお、素晴らしい、ふるえるぞハート! 燃え尽きるほどヒート!
まったくもってセネカ先生のおっしゃることは、あまりの鋭さで私を貫きます。

貧乏がなんだ!(時間のバーゲンセール。フルタイムのパート労働者)
国に務めを果たせないからってなんだ!(私はただ税金を納めているだけである)
人類のための務めを果たせばいいじゃないか!(そうだ!)
うわーーん!!

と、もう明日にも職を辞して隠遁生活者・学究の徒と生まれ変わらんと、興奮する私でした。


だがしかし、ここでふと「そういえば、セネカ先生はどういう人だったのだろう?」と、気になる。
素性も分からぬ人の言葉にそこまで心酔するなよ、という意見もありましょうが、重要なのはその人の素性ではなく思想そのものなのですよ。

以下、あとがきによってまとめる【セネカ先生は こんな人】

*セネカ(ルキウス・アンナエウス、前5/4-後65年)。

*政治家。
  えっ!? 「国政よりも人類のために」って言って……あれ?

*30歳でローマの財務官の地位を得、色々とキャリアを積み、
 弁論によって名声を博す。

  まあ、この頃はまだ先生も若いから……。
  
*陰謀にはまって、流刑になったりする。
  ちょっと第一線から遠のいた。気の毒。

*クラウディウス帝死後の一連の勢力争いの結果、隠退。
 莫大な財産を皇帝に譲渡しようとするも拒否される。

  ……!! 莫大な財産……!?
  いや、それを「譲渡しようと」したんだよね、はあはあ…;

*ネロ暗殺に加担したとの嫌疑をかけられ、自殺を命じられる。
 死に際して、
 “一番近くにいた奴隷たちに湯を振りかけながら、
  「私はこの湯を解放者ユピテルの神に捧げる」と言った。”
 と伝えられる。

  ど、奴隷……? そうよね、ローマだもんね。
  奴隷だなんて、当たり前よね。……でも、でも……うぅ…
  最期まで財産家だった…先生!!


というわけで、セネカ先生は、そのお言葉は実にもっともなのですが、ご自身は社会的・経済的にみて、かなりの「選ばれし者」だったようです。

ぎゃふん。

「貧乏のほうが良い、って言ってたじゃん!!」という怒りの声は遠い過去にも挙がっていたようですが、セネカ先生としては


財産はないよりもあるにこしたことはない。
ただ、そのために自分を幸福とは信じない。
幸福は別のところにある。

だそうです…。ふっ。
いや、まあ分かるけど……。


こんな感じで、セネカ先生の人生を拝見すると、ちょっと意気消沈してしまいました。まあ、あるとも知れぬ能力を発揮しようと当てもない挑戦をするよりは、私は自分に出来ることからやるのが良いという結論ですね。やはり経済は必要である…。

しかし、さっきも書きましたが、セネカ先生の素性はどうあれ、その思想はたしかに、これからも私を励ましてくれるには違いありません。
そうだとも。


でも、もうひとつ収められている『幸福な人生について』は、また今度読むことにしよう…。いや、なんとなく…。
と、さっそく陰性な私であった。

 

ちょっとひとやすみ

2007年11月07日 | もやもや日記
昨日のセネカ先生のつづきをやろうと思いましたが、謎の胃痛に悩まされており断念。いてー、なんだろ、また風邪か? それとも「晴れてるのに、壁に向かって仕事(←マジで“壁”に向かっての仕事。窓も閉鎖されていて暗い。しかし暗くないと画面が見えないのだ)……」とストレスを蓄積したせいか? うがー。


てなわけで、書きたいと思っているいろいろなことをとりあえず走り書き。

宮沢賢治は悲しいと思っていたけれど、K氏が『猫の事務所』を朗読してくれたら、じつはその話にはけっこう笑える部分が多かったことに気が付いた。「馬肉ニ注意」「トバスキー」「ゲンゾスキー」に悶絶。まあ、でもやっぱり悲しいのだけれど。

しかし朗読しようが何をしようが、『オツベルと象』はまったく笑えなかったぜ。…過酷な労働、搾取というか賃金不払い……? 「じっさい象は経済ですよ」 イヤーッ、もうヤメテ!!

さっき夜の公園でうずくまっている猫の影が見えた。

寒くなってきた。

明日も晴れるらしい。うれしいけど、ちょっと複雑。まだ壁がつづく…。


うーむ。あえて書くこともないようなことばかり。
図書館に予約していた本を取りにいかなくては。


『人生の短かさについて』

2007年11月06日 | 読書日記ー実用
控えるべき箇所が多過ぎて栞が足りない



セネカ 茂手木元蔵訳(岩波文庫)

《内容》
セネカ(前4頃-後65)はローマ帝政の初期というひどく剣呑な時代に生きた。事実、かつての教え子ネロ帝から謀反に加担したと疑われ、自殺を命じられるのである。良く生きれば人生は十分に長いと説く表題作、併収の『心の平静について』『幸福な人生について』のいずれもが人生の苦境にたちむかうストア哲学の英知に満ちている。

《この一文》


“多数の人々が次のように言うのを聞くことがあろう。「私は五十歳から暇な生活に退こう。六十歳になれば公務から解放されるだろう。」では、おたずねしたいが、君は長生きするという保証でも得ているのか。君の計画どおりに事が運ぶのを一体誰が許してくれるのか。”

“髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない。長く生きたのではなく、長く「有った」にすぎない。”

“時間は無形なものであり、肉眼には映らないから、人々はそれを見失ってしまう。それゆえにまた、最も安価なものと評価される。それどころか、時間はほとんど無価値なものであるとされる。 ”


“われわれがひどい恩知らずでないかぎり、かの聖なる見識を築いてくれた最もすぐれた人たちは、われわれのために生まれたのであり、われわれのために人生を用意してくれた人々であることを知るであろう。他人の苦労のおかげでわれわれは、闇の中から光の中へ掘り出された最も美しいものへと運ばれる。 ”

“われわれがよく言うように、どんな両親を引き当てようとも、それはわれわれの力でどうすることもできなかったことで、偶然によって人間に与えられたものである。とはいえ、われわれは自己の裁量で、誰の子にでも生まれることができる。そこには最もすぐれた天才たちの家庭が幾つかある。そのどれでも、君が養子に入れてもらいたい家庭を選ぶがよい。君は単に養家の名を継ぐばかりではなく、その財産をも、つまり汚なく、けちけちして守る必要のない財産をも継ぐであろう。この財産は多くの人に分け与えれば与えるほど、いよいよ増えていくであろう。彼らは君に永遠への道を教えてくれ、誰もそこから引き下ろされない場所に君を持ち上げてくれるであろう。これは死滅すべき人生を引き延ばす、いなそれを不滅に転ずる唯一の方法である。(中略)しかるに、英知によって永遠化されたものは、時を経ても害されることはない。いかなる時代もそれを滅ぼさないであろうし、減らしもしないであろう。次に続く時代も、更にその次の時代も、常にそれらのものに尊敬の念を強めて行くであろう。”


“誰彼を問わず、およそ多忙の人の状態は惨めであるが、なかんずく最も惨めな者といえば、自分自身の用事でもないことに苦労したり、他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり、何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである。”






さて、いかがでしょうか。
とてもすべてを引用しきれないほどに的確な意見が目白押しです。日頃から怠惰に漫然と存在している私などは、セネカ先生のお言葉の前にあわれにも震え上がっております。

セネカ先生、どうかお赦しを! 私は愚かにもずいぶんの時をただ流れるままに過ごしてしまいました。うぅ、これからは人類のために役立つような生き方を目指します! ああ、どうかお赦しください……!
などと、単純な私はあっさり感化されてワーワーと喚いておりました。太字のところは特に感銘を受けた部分。まったくその通りであります。偉大な先人のおかげで、我々の繁栄があるのです。

セネカ先生、先生の時代から2000年を経ましたが、人類はどうですか? いまだに私たちは(というか私は)自らに与えられた時の価値を知らず、人類のためと言うよりはただ経済のために、それを安値で売りに出してしまっております。私はただ経済のために…たかが経済のために、明日終わるかもしれぬ時間を無為に費やしておりました。やはりもっと人類のためになる仕事をしなければ………。




と、盛大に感激する私は、この後まさかそんなことになろうとは
このときは露ほども思っていなかったのであった……。


(というわけで、以下次回『心の平静について』に続く――)


かなしみは星の影に

2007年11月05日 | もやもや日記
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように


と言っているそばから、涙が溢れてしまいます。
私はどうしてもこの『上を向いて歩こう』という曲に弱い。
歌詞とメロディーがあまりに美しいというだけでなく、
どうも「こぼれないように」の高音部がいけないらしいです。
いままでに一度も、涙がこぼれないで聞けたことはないのですよ。はあ。

『スキヤキ』としても有名なこの曲は、色々な国の色々な人によって色々なふうにカバーされていますが、私は坂本九さんが歌うもとのバージョンが好きです。

YOUTUBE : 『上を向いて歩こう


上を向いて歩こう にじんだ星をかぞえて

ああ、こんな悲しみをステップを踏むように明るく歌えたら。
さびしくてたまらない心を、こんなふうに明るい伴奏で。

かなしみを星のかげに かなしみを月のかげに

くちぶえを吹いて歩けたら、
そしたら君ははじめて私を
ゆるしてくれるかもしれないな。



『トーニオ・クレーガー』

2007年11月04日 | 読書日記ードイツ
トーマス・マン 佐藤晃一訳(「世界文学全集32」河出書房新社 所収)

《あらすじ》
トーニオは裕福なクレーガー家に、北方の真面目な実務家の父と、南方の情熱的でほがらかな母の息子として生まれた。彼は詩を、その世界を愛する一方で、詩などには目もくれぬ《幸福な人々》への憧れをも募らせてゆく。
故郷を離れたのち、作家として名をあげた彼は、ふたたびかつて住んでいた街を訪れるのだが…。


《この一文》
“――認識と創造の苦悩との呪いから解放されて、幸福な平凡のなかで生き、愛し、ほめたたえるようになれたならなあ!……‥ もう一度初めからやる? しかし、そんなことをしたところでどうにもなるまい。また同じことになるだろう、――いっさいがまたこれまでと同じことになるだろう。というのも、ある人々は必然的に道に迷うからで、それは彼らにとっては正しい道というものが全然ないからなのだ。   ”



私はいつか読もうと思って何冊かトーマス・マンの本を長らく手もとに置いたままにしていましたが、なかなか読むことができませんでした。
結局、私は自分が持っている本ではなく、K氏の持っている本(『詐欺師クルルの告白』という作品が収められていて、それが面白そうだった)で、『トーニオ・クレーガー』を読むことになりました。

これまでに私はたびたび「トーニオが人生に決定的な影響を与えた」という人の文章を見かけたのですが、今回手にした本のしおりには、その中でももっとも強烈な告白が載せられていました。少し引用してみましょう。


“へたにこの本の悪口でもいってみろ、ただではおかぬ、と、いまさらもうそんなことをいうつもりはない。そのころにしてもそうはいわなかった。けれども「トーニオ・クレーガー」、ぼくはこの小説をたいそう愛していた。生きることよりもこれの方がだいじに思われたことがあった。この小さな本が道づれであるなら死んでもいいとさえ思われた、むしろそうして早く死にたいと思った。
      ――中田美喜(ドイツ文学・慶応大学助教授)  ”


「むしろそうして早く死にたいと思った」。興味津々です。私はこの人とは逆に、本と出会うことでますます「このまま死ぬわけにはいかない」と強く思うのですが、情熱の種類は多分に同じ気がして、読んでみたくなったのです。

それで、読んでみたところ、「早く死にたい」とはやはり思いませんでしたが、たしかに多くの人の心を掴むだけのことはある物語でした。

無知で無関心で純潔でどこまでも美しく幸福な人々。彼らを軽蔑すると同時に激しく憧れもする。何の疑問も抱くことなく「あたりまえの幸福」のなかに反り返って立ち、その外を軽蔑のまなざしをもって見下ろす彼らを、自分とは決定的に違う人間であることから憎みつつも、しかしやはり美しいとしか思えない。

実に悲しい。引き裂かれるような痛みを感じます。

上の中田先生の続きの文章にも書かれているのですが、この小説を読むとしまいには「トーニオと自分との見境いがつかなくなる」ところがあります。人間のなかには程度に差はあれ、いくらかこのトーニオ的気質を持った者がいるのかもしれません。私はどうだろうか。少なくとも、ハンスやインゲボルクではあり得ないと自覚するならば、いくらかはやはりトーニオ側の人間かもしれません。
いえ、正直に告白すると、私は《この一文》で取り上げたあたりを読んでいるときには既にすっかり「トーニオと自分の見境いがつかなくなって」いました。
私は流されやすい性質であることを除いても、実際にこの小説にはたしかに人の心を掴むものがあるようです。

トーニオは詩人らしい感じやすい性質の、一方では冷静で自らを客観視できる人物として、それ故に世間に馴染みきれない人物として描かれています。が、これまでに多くの人を熱狂させたという事実を考えてみても、むしろ特殊なのはトーニオのほうではなくハンスやインゲボルクらの《幸福な人々》のほうではないかと思ったりもします。
でも、どうだろう? どのくらいの人々にとってこの『トーニオ・クレーガー』は必要だろうか? 《幸福な人々》にとってはまったく不必要な物語であるとは思う。読む気にさえならない、それが幸福者の条件である。
けれども、なにせこの作品は世間一般でも「名作」として認知されている上に、今でも大勢の読者を獲得しうる文学である。大勢の読者を…
と、ここまで考えて、文学を必要とする人間は必ずしもそう多くはないという現状に思い当たり、またその上で、これを読み、そして共感した私はもしや《幸福な人々》の列には連なることができないのではないかという怖れから(とは言え私のあと半分の心は「そうならない」意志を持ち、それを怖れてもいないのですが)、とりあえず私はこの問いは保留にしておくことにしました。

仮にこの作品を読もうとさえ思わない《幸福な人々》のほうがはるかにこの地上を占めているとしたら、それは喜ばしいことではないですか。おそらく。きっと。

しかし当分はある程度の割合で、ここにたどり着かざるを得ない人間も生み出され続けることでしょう。というのも、ある人々は必然的に道に迷うからで…‥



ドイツらしい静かで透明な物語の底には灼熱のようなものがたぎっていました。


『エミリーにバラを』

2007年11月03日 | 読書日記ー英米
ウィリアム・フォークナー 龍口直太郎訳(「ノーベル文学賞全集11」所収)

《あらすじ》《この一文》

“ミス・エミリー・グリアソンが死んだとき、わたしたちの町の人間は、みんなこぞって彼女の葬式に参列した。男たちは、いわば倒れた記念碑にたいする敬愛の情みたいなものから、女たちはたいてい、彼女の家の内部を見たいという好奇心から、そこへ出かけていった。彼女の家の内部は、すくなくとも過去十年間、庭師兼料理人の老僕をのぞけば、だれ一人見たものがいなかったのだ。   ”



とうとうフォークナーを読みました。
先日、幸運に恵まれた私は『ノーベル文学賞全集11』つまりラーゲルクヴィストの『刑吏』と『こびと』を収めた貴重なこの本を手に入れることができたのです。
それで嬉しさのあまり、それまでに何度となく図書館で借りたにもかかわらずまったく見ようとさえしなかったフォークナーを、つい読んでみようという気になりました。

この本には、フォークナーの『兵士の報酬』(長篇)、『エミリーにバラを』『あの夕陽』『乾燥の九月』(短篇)の4作品が収められています。

で、どうだったかと言うと、『エミリーにバラを』は面白かった。
『兵士の報酬』はまだ読んでいません。
『あの夕陽』、『乾燥の九月』は、どういう話だったのかさえまったく分かりませんでした。それはもう驚くほどに分かりません。今のところ、フォークナー氏は私に用がないようです。でも、今後はどうなるか分かりません。なぜなら、『エミリーにバラを』はちょっと面白かったから。

ごく短いこの『エミリーにバラを』という作品は、思わず《あらすじ》と《この一文》として一緒に引用した冒頭そのまま「そういう話」でした。

町の変わり者のエミリーが死んだ。
彼女は町の中でただひとり変わらない前時代の象徴のような存在であり、誰とも打ち解けず常に傲然と、町中の人間が彼女の暮らしぶりに興味をもつなかで、しかしそれについてほとんどいっさいを知られることなく生きて、死んだ。

こういう話でした。奇妙な物語ではありますが、それほど奇妙というわけでもなく、話の筋としては展開を容易に予測できる物語です。
ところが、これが、なんというか、妙な印象を残すようなのです。読み終えてすぐには別になんとも思わなかったのですが、一晩たってみると、なんだか妙な気持ちになりました。

この妙な静けさは何でしょうか。突き放したような冷たさと言うか。いや、それとはちょっと違うような、妙な感じ。
ひとつの作品を読んだだけでは、この人のことを知ることはできないかもしれません。このあとに続く短篇『あの夕陽』も『乾燥の九月』も何かちょっと『エミリー』とは違った感触に思えましたし。その2作品について、私はまったく理解できなかったという点では明らかに違う感触と言えましょう。

『エミリーにバラを』が面白かったと言って、どこがどのように面白かったのかをうまく説明することはできません。しかしひとつ確実なのは、この物語のこの場面の印象があまりに強かったので、当分のあいだ私から去ることはないだろうということです。


“いままで暗かった窓の一つが明るくなり、灯りを背にしたミス・エミリーのすわった姿が窓枠にくっきりとうかびあがり、彼女のそり身の胴体(トルソー)は偶像のそれのごとく不動にかまえていた。   ”


ただひとつの文章を、言葉を見出すためだけにでも、長いもの短いものにかかわらず目に入る限りの物語を読むことには、たしかに意味があるようです。おそらくこの印象がいつかふたたび私を別のフォークナー作品に導くだろう、という予感がする。